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スポット  |    2025.08.06

悲劇の記憶と平和への願い〜広島から未来へ届けるメッセージ〜

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島市上空で一発の原子爆弾が炸裂しました。
人々の日常は一瞬にして奪われ、今なお後遺症で苦しんでいる方がいます。

この未曾有の悲劇を二度と繰り返さないために、そして平和の尊さを感じる場所として作られたのが広島平和記念公園です。今年で戦後80年。決して風化させてはいけない歴史が、平和公園にはあります。

本記事では筆者が平和公園で何を感じたのか、何を学んだのかをお伝えします。

未来へ向けて問いかける平和の形

原爆ドームは、戦争の悲惨さを伝える生きた証人です。
かつては、広島県産業奨励館(広島県内の物産を展示・販売していた施設)として賑わっていました。

1945年8月6日、爆心地から北西にわずか160mの距離で被爆。
建物は、爆風と熱線によって全焼しました。
しかしながら奇跡的に骨組みが残り、現在も当時の姿のまま保存されています。

「戦争の悲惨さを伝えるため、残すべきだ」「当時の恐怖を、呼び起こす可能性がある。取り壊そう」と意見が真っ二つにわかれましたが、徐々に保存を希望する声が多くなり、広島市議会によって保存が決定されました。

原爆ドームは今も戦争の怖さ、平和の大切さを静かに訴えかけています。

参考文献:広島市

一人の少女が教えてくれた平和の尊さ

原爆ドームのほど近くに、一人の少女をモデルにした像が建っています。
モデルになったのは2歳で被爆した、佐々木貞子さんです。
彼女の同級生の「原子爆弾で犠牲になったすべての子どものために慰霊碑をつくろう」という呼びかけにより、1958年(昭和33年)に建てられました。

貞子さんは被爆当初は怪我もなく過ごしていましたが、約10年後突如白血病を発症し、8か月の闘病の末12年の生涯を終えました。

病に倒れてからは「折り鶴を折れば病気が治る」という言い伝えを聞き、来る日も来る日も薬の包み紙で折り続けたそうです。その数は、千羽にものぼったといわれています。

まだ幼い少女。
友達と、もっとたくさん遊びたかったでしょう。
家族とも笑って過ごしたかったでしょう。
これからの人生に、希望ももっていたはずです。
しかしその願いも非情な原子爆弾によって、永遠に絶たれてしまいました。

後に貞子さんの折った千羽鶴は、世界中の人々の心を動かすことに。
現在でも平和の子の像にはたくさんの折り鶴が届けられており、核兵器のない平和な世界を願う象徴となっています。

参考文献:原爆の子の像

慰霊碑に刻まれた悲痛な叫び

爆心地から3km離れた場所で被爆した、峠三吉さんの詩です。
「ちちをかえせ ははをかえせ」から始まるこの詩。
その一語一語から、無念さ・悔しさ・怒り・悲しみが伝わってきます。

筆者は小学生のとき、初めてこの詩を読みました。
そのときは深く理解できていたわけではありませんが、幼いながらにも「戦争は怖いことなんだ」と感じ胸が締め付けられたのを覚えています。

大人になった今、戦争はただ単に過去の出来事としてと捉えるのではなく、悲劇を繰り返さないために私たちが何をすべきかを考える教訓として心に刻むべきものだと感じました。

広島で世界が共有する平和の願い

平和公園内を歩いていると、さまざまな国の方とすれ違います。
中には胸を締め付けられ、ただ静かに涙を流している方もいました。

特に印象的だったのは、男性グループとすれ違ったときのことです。
彼らは全く言葉を発することなく、ずん…と重い空気をまとい歩いていました。

平和公園内には原子爆弾の恐ろしさが、被爆者の証言とともに鮮明に記録されています。
想像を絶する光景に、言葉を失っていたのでしょう。
言葉も文化も異なる人々が同じ感情をわかりあう姿は、戦争の悲惨さを物語っていました。

先人の想いを未来へつなぐ

広島は戦後70年は、草木も生えないだろうといわれていました。
しかし、今美しい緑に囲まれたくさんの人で賑わっています。

被爆からわずか3日後には、路面電車が再び走りました。
この事実は広島という街を、そして未来を、当時の人々が諦めなかったからに他なりません。

私たちが今平和に暮らしていけるのも、不屈の精神で広島を立て直すためご尽力くださった、先人の努力があったからです。
二度と同じ悲劇が起きないことを、筆者は切に願っています。

みなさんはこの地球上で誰もが幸せに暮らすために、一人ひとりが何をすべきだと考えますか?

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この記事を書いた人

木村香央里

広島県山県郡出身のフリーライター☆ 宇宙と広島東洋カープ大好きです。 広島や中国地方の素敵な場所・人をたくさん紹介できればと思います。 よろしくお願いいたします。!

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