
長野県東部の南佐久郡佐久穂町にある東町商店街は、かつて「東信州の上海」と呼ばれた繁華街でした。しかし、時代とともに多くの商店は店じまいをし、シャッター街に。けれども近年、移住者を中心に新しくお店を始める人が増え、注目を集めています。今回お伺いしたのは2021年にオープンした新駒書店。移住してお店を始めたことで人生が豊かになったという店主の近谷浩二さんに、お客さんとの交流や、地域の魅力について聞きました。
お客さんのために取り寄せた本が縁でスイスへ

「地元の90歳を過ぎた男性が、よく野菜を持ってきてくれるんです。ある時、彼から若い頃に読んだ本を取り寄せてもらえないかと相談を受けました。登山家ハインリッヒ・ハラーの『白い蜘蛛 アイガーの北壁』をもう一度読みたい、と」
1960年に刊行された古い本でしたが、無事に取り寄せ、お客さんに届けることができました。「死の壁」と呼ばれるスイスの危険な登山ルートの記録と登山史について書かれたその本を、今度は近谷さんがお客さんから借りて読んだそう。そして、その壮絶な体験と克明な記録にとても衝撃を受けたといいます。この本がきっかけで、なんと近谷さんはお父さんとスイス旅行へ。
「あの本を読んでいなかったら、スイスの山々の見え方も違っていたと思います。お客さんが頼んでくれた本がきっかけで、すごく豊かな経験をさせてもらいました」
お客さんと、人と人としての関係性ができているからこそ、自分の行動を変えてしまうような影響を受けている、と近谷さん。
「現代は、ネットを開けば個人の好みに合わせたものがどんどんおすすめされてきます。でも人間的な関係ができた相手からの“おすすめ”の影響力はやっぱり比にならない。私たちの書店が、そういう出会いや交流を生み出す装置のような役割も果たせたらいいですね」
実際に、お客さん同士で知り合いになったり、近谷さん自身もお客さんが詳しい分野の本について教えてもらったりすることもあるといいます。こんな関係を築けるのも、小さい町ならではの良さかもしれません。
信頼される本屋は人が集まるプラットフォーム

「お店を始めていちばん意外だった発見は、『本屋は信頼感がある』ということです」と近谷さん。初めて会う人にも本屋であることを話すと、すごく興味を持ってもらえて「こんなことで悩んでいるんですが、いい本ありませんか?」と相談を受けることも多いそう。「本屋をやっていると言って、怪しまれることはまずない」と笑います。
「困りごとの解決策を探すツールとして本を求める人もいれば、自分の作品を置いてほしいという人もいる。書店という場所は、本を介していろいろな形で人が繋がれる、プラットフォームのような存在なのかなと感じています」

年々書店が少なくなっていることもあり、社会のために大切な場所として認識されているからこそ、信頼感が醸成されるのではないかと近谷さんは考えています。
新駒書店がオープンしたのは4年前。その2年前に、東京から子どもの学校のために移住してきた近谷さん一家は、佐久穂町に書店が1軒もないことに気づきます。近所の人に聞いても、書店と言ったら隣町の佐久市まで出かけるしかないとのこと。
「夫婦共に本が好きだったので、不便だなと思いましたね。ネットで取り寄せるのは便利だけど、いろいろな本との偶然の出会いとか、リアル書店ならではの良さがあるじゃないですか。だから、いつか本屋をやれたらいいねと妻と話していました」

とは言っても、当時近谷さんは東京と佐久穂町を行き来しながら仕事をしており、引退後にやれたらいいね、ぐらいの話だったそう。ところが、世の中に急激な変化が訪れます。新型コロナウイルスの流行です。
「幸いにもリモートで仕事は続けられたんですが、人と会わずにこもって仕事をしているだけでは、やっぱり面白くなかったんですよね」
ちょうど移住者を中心に、現在新駒書店が位置する東町商店街でいくつか新店舗オープンの計画が進んでいたことも、後押しになりました。
「自分たちだけではお店は始められなかったと思います。みんながやるなら、私たちも一員としてできるかなと、背中を押してもらえました」

ほぼ同じタイミングで複数店舗がオープンしたので、「佐久穂町が面白いことになっている」とメディアも注目。取材を受ける機会も多く、その影響もあってか、半分近くが県内遠方から訪れるお客さんです。
そして新駒書店には、本を通じて海外へと繋がるようなこだわりのディスプレイや選書の数々があります。日本の小説の翻訳版や、アジア各国の文学など普通の書店ではあまり見かけない書籍も。どうしてそのようなラインナップをそろえているのでしょうか?後編では、その理由となる近谷さんのもう一つの顔をご紹介します。
【後編】へ続く