みなさんは赤マテ貝をご存知でしょうか?
マテ貝と聞いて、潮干狩りで獲れる貝を思い浮かべた人もいるかもしれません。
今回紹介する赤マテ貝は、砂浜にいるマテ貝とは別の、海の底に生息している貝です。
実は、赤マテ貝の漁をしているのは全国でも長崎県佐世保市とその隣の西海市だけです。希少であるだけでなく、非常に美味しいため、都市部では高値で取引されています。実はこの赤マテ貝、近年は漁獲量が減り、漁の存続の危機に立たされています。
この記事では、佐世保の赤マテ貝について紹介します。
伝統の漁法で獲る希少食材
赤マテ貝は、長崎県佐世保市の針尾瀬戸という海域で獲れる二枚貝で、40年ほど前からこの地で漁が行われています。
3月の晴れた日、朝から漁に出ていた漁師の村上軍次さんが漁港に戻ってきました。
かごの中にはたくさんの赤マテ貝が入っています。
今日は早めに戻ってきたのでいつもより少ないとのこと。
赤マテ貝は「かぎ漁」と呼ばれる伝統的な漁法で獲られています。
水深5mから30mの砂地に生息している赤マテ貝をカギで刺して釣り上げる漁法です。
100kgほどあるカギ棒の束を海底に沈めて数回上下させて突く作業を行います。これがとても力を使うのです。
かつては手作業でカギ棒の上げ下げをしていたそうですが、村上さんがガス油圧式のモーターを開発したことでだいぶ作業が楽になりました。
カギ棒をモーターで引き上げると、棒の先に細長い赤マテ貝がびっしり刺さった状態で獲れます。それを手で一つずつ取り除いて、かごの中へ入れていきます。
漁から戻ると、船着き場に設けられた小屋の中で赤マテ貝の出荷作業を行います。村上さんの船着き場には桟橋の先に小屋と養殖のいけすが設けられていました。ほかの船も似たような小屋がいくつか見受けられました。
出荷作業は2人の女性が担当していました。丁寧に一つずつ形を見ながら、手の中に収まるぐらいの量をゴムで手際よく束ねていきます。
束を150個ほど作ると、発泡スチロールに入れ「赤マテ貝」と書かれたブランドタグを付けていきます。
作業が終わるのはだいたいお昼過ぎ。その後、漁の仲間が車を出して赤マテ貝を地元の魚市場に持っていきます。村上さんは市場にすべてもっていくようにしていて、直接販売はしていません。
「昔は獲れる量があったからね。北九州まで持って行きよったもんね。今は漁をする人もおらんし、貝もおらんごとなった」
そう語るのは6年ほど前まで赤マテ貝の漁をしていた女性Aさん。6年前にご主人が亡くなってからは、村上さんが獲ってきた赤マテ貝の出荷作業を手伝っています。
Aさんご夫婦のように、高齢化で漁ができなくなった漁師さんもおり、かつて6人いた赤マテ貝の漁師さんも3人に減りました。
今回取材させてもらった村上さんも今年で80歳。
「あと3年くらいできるかどうかだね」
村上さんは2月から5月まで赤マテ貝の漁をし、夏はタコ漁をします。漁港の船着き場にはいけすがあり、そこではクエやカワハギなどを養殖していました。カワハギは大きくなれば高値で売れるそうです。体力的にもハードな漁は週に3回ほどにしているとのことでした。
味が濃く美味
赤マテ貝は見た目に抵抗を感じるかもしれませんが、非常に味が濃くて食感もよい貝です。
味付けがなくても十分楽しめる貝ですが、バター醤油で炒めたり、酢味噌和え、味噌汁、炭火焼きなどで食べるのもとても美味です。
赤マテ貝漁は2月1日から解禁し、5月の末まで行われていますが、終わり頃の5月が身が太っていて一番美味しくなるそうです。
村上さんに「どうやって食べますか」と聞くと「おいは食べん」とのこと。学生時代、弁当に赤マテ貝の炊き込みご飯が入っていて怒ったこともあったそうです。漁師さんは魚を食べないというわけではありませんが、飽きてしまうのでしょうね。
瀬戸内の漁師から伝授 赤マテ貝漁の歴史
佐世保で赤マテ貝の漁を始めた経緯について、村上さんから教えてもらいました。
赤マテ貝漁は村上さんの曾祖父の時代から始まりました。
戦時中に針尾の港に停泊していた広島の漁師さんから教わったそうです。広島の漁師が魚を取るための餌として赤マテ貝を獲っており、それを習って赤マテ貝漁が始まったとのこと。
村上さんも中学校を卒業するとすぐに赤マテ貝の漁に従事しました。30年前はたくさん取れたそうで、当時の人の中には赤マテ貝の売り上げでお家を建てた人もいたとのことでした。
希少価値高まり、脚光を浴びる
昔は十分な量が獲れ、一束100円ほどで売られていた赤マテ貝ですが、今はスーパーでは一束300円から500円前後で販売されています。福岡などの居酒屋などではもっと高い値で提供されています。
当初安く販売されていた赤マテ貝ですが「貴重な貝なので、もっと価値を上げて販売した方が良い」と考え、13年ほど前から漁協を中心にブランド化に着手しました。
毎年「もうマテない針尾魚介祭り」というイベントを開催し、多くの人に食べてもらう機会を設けたり、テレビに出演したりした結果、認知度もぐんと上がりました。全国から問い合わせもきて、淡路島から100束送ってほしいなどといった注文もあったそうです。
しかし、最近は漁獲量も減少してしまい、問い合わせがあっても個別に販売できないため、現在はメディアでの紹介を控えているとのことでした。
漁獲量減少と後継者不足に危機感
ブランド化は成功したものの、30年前と比べ現在の漁獲量は3分の1まで減少。それにあわせて、漁師さんも高齢化が進み担い手も減少しました。私が取材した村上さんも、後継者がいないため自分の代で終わるとのことでした。
漁獲量の低下について漁協の浜崎さんに尋ねると、原因の一つとして貝の生育期間が長いことがあげられました。
養殖の牡蠣などは1年足らずで出荷できるサイズになりますが、赤マテ貝は5年から10年かけてやっと食べられるだけの大きさに育ちます。しかも養殖ではなく天然物なので、量をコントロールすることが難しい状況です。
今獲れている赤マテ貝のサイズも小さくなってきているそうで、現在は保全をしながら大切に出荷していくことが課題となっています。
持続可能な漁を目指して
危機的状況を受け、赤マテ貝保全のため数年前から長崎大学や佐世保市の水産課が中心となり、赤マテ貝の稚貝の研究を続けています。しかし、なかなかよい結果が出ていないとのこと。もし稚貝を人工的に育てて放流できれば、赤マテ貝の減少を防げるかもしれません。
ブランド化の取り組みは成功し、価値が高まったことで、赤マテ貝への関心も高まりました。希少で美味な食材として需要が根強くあることは、この漁を守る原動力になるでしょう。
長年の歴史と伝統を持つこの赤マテ貝漁を絶やすのはもったいないことです。漁師、行政、研究機関が力を合わせ、持続可能な形で守り継いでいってほしいと願っています。