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スポット  |    2024.05.13

【歴史散歩】織田信長と武田信玄の戦い最前線のひとつ「飯羽間城」

織田信長や武田信玄、ここ1~2年は大河ドラマでも再注目された徳川家康や明智光秀。
彼らが生きた「戦国時代」を象徴し、歴史ファンを今も魅了するのが「お城」です。
今回はその中から信長や信玄が衝突したエリアの最前線である「飯羽間城」をご紹介させていただきます。

飯羽間城と織田信長、武田信玄

岐阜県恵那市、中津川市は織田信長と武田信玄の陣営が衝突する最前線でした。
(稀に徳川家康の軍が入ってくることもあった)
中でも恵那市の岩村城は双方が奪い合ったため、城主が信長の叔母(いわゆる女城主)→信玄の部下が攻め落とし女城主と結婚→逆に信長軍に奪い返され…と目まぐるしく変わることもあったほど。

飯羽間城は岩村城の支城として西に約6kmの地点に当時存在し、また激闘にも巻き込まれたお城のひとつです。
(岩村城の紹介はまた別の機会に)

マップ画像は余湖くんのお城のページにて。
地形としては写真の「8」から西側から東に伸びた尾根の先に造られています。

・飯羽間城

この辺りは低い山に囲まれ、尾根が四方から伸び街道を囲んでいます。
飯羽間城はその尾根のひとつに建てられていました。
急な崖と川にも囲まれ、目の前まで行って「ここを攻め落としてね」と言われたらめちゃくちゃ困るほどの崖。
(ちなみに分類としては山の中の『山城』と平地の『平城』の中間である『平山城』というらしいです)

駐車場は国道沿いの野菜販売所の隣が利用できます。
お城案内の看板が目印。
飯羽間城の看板左下辺りから登り口がありますが、ここは近代に新たに作られた道。
お城本来の入り口は駐車場から左手に数分歩いた先にありました。
お城の敷地としては「凹」の文字の右側が大きくなったような地形をしており、真ん中の凹んだ部分から右手に登っていきます。
(先述の8の右側、9の辺りから)

飯羽間城中腹

石垣のない時代からのお城のため、見た目でハッキリと分かるのは高低差と周囲を断絶する崖くらいです。
写真ではちょっと分かりつらい…。
とはいえ、一度足を踏み入れるとその高低差の凄さを実感できます。
2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の影響で各地方の史跡が整備されましたが、ここもコア層向けながらもとても気合の入った伐採が行われました。
季節によっては本当に竹藪をかき分けながらだったのが、一気に丸刈りに。

飯羽間城は地域の方々による保存活動も活発だったようで、敷地内にはいくつもの案内板が新旧設置されてます。
こちらは中腹部の武家屋敷跡地の案内板。
敷地に入って右手を登ってすぐの辺り。
埋蔵物などはほぼ残ってないようですが、貴重な遺構を残す活動は今も行われています。

「お城」というと広い敷地を想像しがちですが、ここはそんなに広くありません。
山頂部だけでいえばテニスコートくらいを想像すると分かりやすいかもしれません。
激戦をしてた頃、そんなスペースに篭って戦っておりました。

1番高いスペースにある供養塔。
飯羽間城は攻め落とされてしまった分、ここで命を落とした武将も数多くいました。
そんな彼らを弔うため、塔婆は今も定期的に立て直されています。
ベンチも今年は一新。
むしろベンチが朽ちるほど(写真奥)の時間、地域の方々によって守られています。

最後に

お城めぐりとしてはコア層向けの飯羽間城。
色んな意味で初心者向けではありませんが、30分もあれば回れる規模なので「山の城」の地形を体感するには入りやすい場所かも。
また、日本三大山城としても有名な岩村城を語る上では外せません。
岩村城までは6km、歩いて約1時間。
こちらも実際に歩いてみるとその距離感を体感できるのでおすすめです。

飯羽間城アクセス

〒509-7401 岐阜県恵那市岩村町飯羽間2084付近
最寄りの極楽駅から徒歩約35分。
車の場合は車道沿いにある野菜販売所の隣にて。

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この記事を書いた人

しもじま

岐阜県中津川市にて介護職のかたわら、おへマガというサイトにてたまにライター活動を行っています。 mediall様でも書かせていただく事になりました。 得意分野は歴史、文化、アウトドア、音楽です。 よろしくお願いします。

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