今回は地元横浜、言わずと知れた桜の名所『掃部山公園』に行ってきました。
JRまたは横浜市営地下鉄「桜木町駅」より徒歩約15分、もしくは「紅葉坂」バス停より徒歩約6分で行けます。
「紅葉坂」という少し急な坂を上っていくと、右手に「神奈川県文化センター」があり、その手前の通路を奥へ進むと間もなく『掃部山公園』の看板が見えてきます。
私が訪れたのは、4月初めのお花見シーズンで、ソメイヨシノが咲き始めていました。
今年は全国的に桜の開花が遅かったので、例年は3月終わり頃が見頃と思われます。
井伊直弼像にまつわる歴史
看板の横の階段を上ると、見晴らしの良い砂地の広場があります。
ここには両脇にソメイヨシノが植えられていて、お花見をするには最適な場所です。
平日の昼間でしたが、何人かビニールシートを広げている方がいました。
そんな花見客を中央の高い台座の上から見下ろしているのは「井伊直弼(いいなおすけ)像」。
この方は、彦根藩主で大老だった江戸時代末期に、日米修好通商条約調印により、
横浜を開港へ導いた人物で、同時に、茶道や芸能に通じる文化人でもありました。
直弼公に縁のあるこの地では、夏に万灯・献灯を掲げる「西区虫の音を聞く会」、
秋には公園の一角にある「横浜能楽堂」にて「横浜かもんやま能」を開催し、
直弼公も親しんだ能・狂言を公演しています。
この銅像は、明治時代に旧彦根藩士らによって建てられましたが、
その後、第二次世界大戦中の金属回収のため、一度撤去され、開国100年祭の年(1954年)に再建されました。つまり、この銅像は2代目ですが、台座は明治時代から同じものが使われています。
銅像の左脇には、どこか西洋風の水道のようなものがありました。
中央のライオンの口から水が出そうなのですが、出ていません。
(後日、雨降りの後に行ってみると、よだれのようにポタポタと水が垂れていました)
年季が入っている様子で、今回大変気になったので調べてみました。
すると、12年前の興味深い情報が見つかりました。
この水泉も、井伊直弼像台座と同じ時期に、直弼公のご子息から寄贈されたものらしいです。
しかも、台座と水泉ともに「横浜市認定歴史的建造物」の認定を受けていました。
掃部山公園(西区紅葉ヶ丘)内の井伊直弼像台座と水泉がこのほど、西区で6件目となる「横浜市認定歴史的建造物」の認定を受けた。「開港以来の横浜の歴史を体現する歴史的資産」としての価値が高く評価された。
横浜市認定歴史的建造物は、建築物や土木遺構といった歴史的資産をまちづくりの資源として保存、活用しようと、横浜市が1988(昭和63)年度に定めた「歴史を生かしたまちづくり要綱」に基づき認定されているもの。認定を受けると保全改修や維持管理のための費用助成を受けることができる。西区では「二代目横浜駅基礎等遺構」(高島)などに続いて6件目、市内全域で82件目となる。
掃部山公園の井伊直弼像台座は、横浜開港50周年にあたる1909(明治42)年、旧彦根藩の有志により建設された。また水泉はこの時、井伊直弼の子息、直安によって寄贈された。
特に台座は明治を代表する建築家で、赤レンガ倉庫や横浜正金銀行本店本館(神奈川県立歴史博物館)などを手がけたことでも知られる妻木頼黄が設計。今回の認定にあたり「規模、造型の両面でわが国明治期の彫像台座を代表する作品の一つ」と評価された。
2012年4月19日公開 横浜市中区西区版の「タウンニュース」より引用
幼い頃から幾度となく訪れていた掃部山公園ですが、こんなに歴史を有するものが身近にあったとは、今まで気付きもしませんでした。
直弼公の視線の先には、みなとみらいの横浜ランドマークタワーがそびえ立っています。
変わっていく横浜の風景を、どんな気持ちで眺めているのでしょうか。
表示版に癒される木造トイレ
広場を後にして、初めの『掃部山公園』という看板の前に戻り、一番外側の坂を下って行くと、
間もなく木造のトイレが見えてきました。(トイレは井伊直弼像の右後ろ側にもあります)
ソメイヨシノの淡いピンクと調和しています。
入口に回ると、「男子」「女子」の表示がお雛様のようなイラストになっているのを発見しました。
上から桜か何かの花びらも散っています。意外な部分に、ほっこりしました。
このトイレは、比較的新しく建てられたものと思われます。
トイレのすぐ近くの広場からは、子供たちの歓声が聞こえてきました。
この広場には、すべり台やブランコなどの子供用遊具や、大人用の健康遊具があり、
近所の住民に親しまれています。
和風庭園で小さな滝と巨大な灯篭のある池を楽しむ
遊具広場の後ろからは、水が流れる音が聞こえてきます。
後ろを振り返ると、小高い山の上から岩に伝う、小さな滝の流れを確認できました(写真の中央です)。この滝の水は、隣の池へと注いでいます。
狭い階段を数段上ると、滝を近くで眺められます。そのまま進むと、反対側に下りられるようになっていました。実は今回初めて、この園路を発見したので嬉しかったです。
身近な公園でも、隅々まで見てみると、新しい気付きがありますね。
すぐ近くには、シャクナゲの花が見事に咲き誇っていました。
階段を下りて、池へと向かう途中には、明るいピンク色のミツバツツジが咲いていました。
真っ白で、名前の通り、雪のようなユキヤナギも。
さて、いよいよ池のほとりにやって来ました。ソメイヨシノの淡いピンク、イロハモミジの新緑の黄緑色、背景の山、巨大な灯篭が調和しています。すっかり春模様ですね。池の手前には、2羽のカモがいました。
手前の東屋では、ベンチに座って池の様子をのんびり眺めることが出来ます。
飯岡幸吉の歌碑と「西区 虫の音を聞く会」
池を左に見ながら進むと、ちょうど池の裏側の左方向へと曲がる坂があります。
その途中の右側には、西区花咲町生まれのアララギ派歌人、飯岡幸吉の歌碑があります。
「まちなかに緑をたもつ掃部山 ましてや虫を聴くに楽しき」
と書かれていて、掃部山の情景が上手く表現されているのと同時に、
夏の終わりの催事「西区 虫の音を聞く会」を思わせます。
>>「西区 虫の音を聞く会」とは・・・
掃部山公園を万灯やぼんぼりで灯し、鈴虫の音を聞きながら夏の夜を情緒豊かに過ごす、
西区伝統のお祭りです。地元有志の発案により、昭和40年から開催されています。
会場では屋外でのお茶会(野点=のだて)や琴・尺八の演奏も行われています。
坂の途中で綺麗な花々に癒される
歌碑のすぐ近くでは、ヨコハマヒザクラ(横浜緋桜)が満開になっていました。
因みに、ヨコハマヒザクラは、横浜市港北区在住の園芸家により、カンヒザクラとケンロクエンクマガイ(兼六園熊谷)とを交配して作られた品種で、カンヒザクラの特徴的な緋色(スカーレット)と、ケンロクエンクマガイの花形の良さを兼ね備えています。
最近、公園や街路樹などで良く見かけるようになりました。
井伊直弼像の広場へと続く、一番外側の上り坂には、イロハモミジが多く植えられています。
今の時期は新緑が綺麗で、小さな赤い花が沢山咲いていました。秋には紅葉が楽しめることでしょう。
近くには、オレンジ色のミツマタの花も咲いていました。何とも言えない甘く良い香りがします。
近所の公園で見かけることが少ないので、私にとって貴重な個体です。
因みに、ミツマタはジンチョウゲ科で、3月から4月頃にかけて開花します。形と咲き方が、ジンチョウゲの花に良く似ていますね。
枝が必ず三つに分かれるため「ミツマタ」と名付けられたそうです。一年枝の樹皮は和紙や紙幣の原料として用いられます(小学校で習ったのを思い出します)。
まとめ
掃部山公園は、横浜市西区紅葉ケ丘にある公園で、桜木町駅から徒歩約15分で行けます。
井伊直弼像の台座と水泉は、「横浜市認定歴史的建造物」の認定を受けており、
横浜開港当時からの歴史に思いを馳せることが出来ます。
趣深い和風庭園や子供用の遊具を備えた広場があるので、子供から大人まで楽しめます。
園路は広々として歩きやすいので、犬の散歩にもおすすめです。
桜の季節はもちろん、初夏の新緑、夏の終わりの「西区 虫の音を聞く会」、秋にはイロハモミジの紅葉、冬は和風庭園の梅の花など、四季を通じて散策を楽しめるので、みなとみらいや伊勢山皇大神宮など、近くへお出掛けされる際に、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
>参考文献
掃部山公園・・・横浜市HP
横浜市認定歴史的建造物・・・タウンニュース横浜市中区西区版
ヨコハマヒザクラ・・・Wikipedia
ミツマタ・・・Wikipedia