皆さん、一度は️日本の歴史を学んだことがあるでしょう。
かながわはとても重大な場所として登場します。それは開国の場所。
日本が開国し、いち早くペリーが上陸したのが「かながわ」なのです!
そんな、当時の西洋人目線で見た、かながわのことを知れる展覧会が神奈川県立歴史博物館で開催されていました。
今回は「かながわへのまなざし展」を紹介します。(現在は終了していますが、図録をミュージアムショップで購入できます)
かながわへのまなざし展とは?
19世紀、日本は開国し、西洋文化がかながわに入ってきます。
「かながわへのまなざし展」は江戸時代以降、開国時をメインに西洋人から見たかながわを絵画や写真等で紹介しようという展覧会です。(現在、展示は終了しています)
諸外国との縁が深いかながわの歴史をよく知れる展覧会になっています。
※現在の神奈川県が成立するのは明治以降で、本展はそれ以前の江戸時代の資料も展示しているため、現在の神奈川県域周辺地域を含め「かながわ」と表記しています。
展覧会を開催した神奈川県立歴史博物館は、もとは県立博物館として1967年3月に開館しましたが、神奈川県の文化と歴史を知れる唯一の博物館として1995年3月にリニューアルオープンしました。
元々は旧横浜正金銀行の本店で、レトロな当時のままの部分と、その後増築された新館部分で形成されています。
外国人から見た日本・かながわ
最初に日本が西洋と出会ったのは、16世紀ごろのこと。
このとき、種子島にポルトガル人が漂着し、鉄砲などが伝わったと言われています。
ですが、西洋人は主に西日本に滞在しておりました。
そのため、東日本、かながわの情報は正確に把握しておらず、そのことがアジア地図の形の不正確さに現れています。
こちらは1623年に描かれたアジア地図。
この地図が描かれた1623年、イギリスは日本との貿易から撤退し、1624年にはスペイン船の、1639年にはポルトガル船の来航が幕府により禁止されます。
江戸幕府により、日本人による外国への往来も禁止され、海外との縁はうすくなっていたのです。
そのこともあってか、右端上の緑色に描かれた日本列島の形は正確でなく、だいぶ大雑把に描かれ、北海道は描かれていません。
また、左側に西洋、右側に東アジアが描かれています。
1720年の地図になると、やっと少し北海道らしきものが描かれています。
右上赤紫に囲まれたのが日本列島です。
ただ、北海道に関しては描かれてはいるものの、まだ島の集まりのような表現で現在の北海道の形にはなっていません。
とはいえ、1623年の《新アジア図》と比べると、だいぶ形が正確に近づいてるのが分かります!
江戸幕府により、外国への往来も禁止され、海外との縁が薄れていた日本でしたが、 1720年鎖国中ではあるものの、第8代将軍の徳川吉宗はそれまでは認められていなかったキリスト教以外の書物の輸入を容認。
これにより、西洋の学術を学ぶことも重要視されていったのです。
当時、日本ではスペインとポルトガルのことを️「南蛮」と呼んでいました。
こちらの屏風には、南蛮人による貿易とキリスト教の布教活動の様子が描かれています。
こちらは右隻ですが、左隻には黒船来航が描かれて、ほかの南蛮屏風にも黒船来航のシーンも描かれていました。
黒船というと、ペリーのことだと思いがちですが、そもそも外国船すべてを「黒船」と呼んでおり、黒船には財宝を積んでいたことから、日本では商売繫盛や、航海安全祈願の縁起物として人気だったそう!
上部をよく見ると、日本人と南蛮人が会話している様子も描かれています。
背の高さや洋服などの描き方から、日本人から見て南蛮人がかなり自分たちとは異なるように感じられていたことが分かります。
開国と開港
こちらはペリーが日本に上陸したシーンを描いたもの。
久里浜の海岸にペリーが上陸したシーンや、1854年横浜に初上陸した様子が描かれています。
描いたのは画家のヴィルヘルム・ハイネ。
ヴィルヘルム・ハイネは1827年、ドイツのドレスデンに生まれます。
はじめは建築学を学びますが、その後、絵画の道へ。
パリにも留学し、宮廷劇場で舞台美術の仕事などをしていました。
その後、26歳でペリーの日本遠征へ同行し、ペリー上陸の様子を水彩画や石版画として制作しました。
ペリー上陸の様子のみならず、遠征隊の活動、琉球や横浜、下田の街並みや、日本人の生活も描かれています。
左の《神奈川条約締結直後の日本に滞在した8ヶ月》の神社の鳥居は、西洋人からして物珍しかったのでしょう。
右の《下田混浴の図》は、西洋人にとって日本人は文明的ではないと強く印象づけるものでした。
右ページ下に描かれたゴツゴツした岩の島は日本。タイトルは《享楽の島》。
享楽とは快楽や楽しみを味わうことを意味します。
当時、日本はまだ伝説の島で、まだ詳細がわからないからこそ快楽、楽園のようなイメージだったのかもしれません。
よく見ると、島の前方中央には中国風の城のようなものも描かれています。
横浜が開港し、主に商人が来日しはじめますが、当時流行していた世界一周旅行の途中、日本に立ち寄る旅行客も増えていきました。
こちらは富裕層に属するアメリカ人女性、ルイーズ・M・ウィリアムスが世界一周の途中、6ヶ月間、日本に滞在した記録です。
大変貴重な資料で、現在のパスポートにあたる「外国人内地旅行免状」が神奈川県から発行され、東京や長崎など日本を回りました。
ほかにも、当時、外国人も訪れた名所を浮世絵で紹介しているコーナーもありました。
こちらは収集家・丹波恒夫氏が6000点以上の浮世絵を集めた「丹波コレクション」を持つ、神奈川県立歴史博物館ならではの展示。
浮世絵には江の島や箱根が描かれており、日本人が観光として訪れていたのが分かります。
また、これらの地は、現在外国人に人気の観光地ですが、当時の外国人からも人気だったそう!
現在と比べてみるかながわ
幕末から明治にかけて、横浜写真が外国人の中でお土産として人気になります。
横浜写真とは、横浜をはじめとする日本の風景や日々の生活を撮影し、当時はまだモノクロ写真だったため、水彩絵の具で彩色したもの。
展示では、横浜写真と同じ場所の現在地の写真を展示し、比較することができました。
面影のある部分も多く、実際に訪れてみると、当時を感じられそうです。
江の島は、西洋人から日本のモン・サン・ミッシェルと言われていたそう!
どこか写真の構図もモン・サン・ミッシェルを思わせるものがあります。
現在で言う、野毛山公園でのお花見の様子や、鎌倉の大仏、江の島など、やはり外国人に人気の地域が多く撮影、彩色されました。
かながわに入ってきた新しい文化
開港と同時期に誕生した横浜焼。
現在の神奈川県立歴史博物館のある地域には、当時多数の輸出向け陶磁器を制作、販売する商店があったそう。
もちろん、カップアンドソーサーは当時の日本人にはまだ馴染みがなく、外国からの注文を受けて制作されていました。
カップアンドソーサーの形は美しく優美な装飾が施されていますが、よく見ると描かれているのは鳥や人が描かれている山水花鳥人物画や、戦国武将が戦っている富士合戦の様子。
これらは日本のイメージそのもので、外国人から人気があり、このようなデザインになったのです!
こちらはムービング・パノラマ。現在で言う紙芝居のような映画の原型です。
19世紀半ばにアメリカとイギリスで人気となりました!
こちらは小さめの模型ですが、当時は小劇場の舞台や大きめの会場で上演されていたそう。
横に人が15人ほど並べる長さの物もあり、袖に支柱を作り、そこに巨大な横長の絵巻物ような絵画を巻いてセットします。
端でハンドルを持ってぐるぐると回すと、絵巻物のように絵が横にスライドして動くので、まさに現代で言う映画のように鑑賞しました。
「日本遠征画集」が制作された当時、実物を見ることができたのはペリーやその周辺の限られた人たちだけでした。
その後、1856年、ニューヨークではじめてムービング・パノラマが上演され、一般のアメリカ人も日本を知ることになったのです。
こちらは当時の上映告知。中国と日本を紹介するものだったことがわかります。
開国の歴史を感じるかながわ
現在も港町として有名な横浜。
神奈川県立歴史博物館周辺も、開港後の外国人居留地に住む外国人たちが馬車に乗って通っていたことから、馬車道と名付けられています。
ほかにも、日本ではじめてアイスクリームを販売したり、7つの山手西洋館が残っていたり、横須賀にはペリーの上陸を記念して作られたペリー公園があるなど、現在でも神奈川県の様々な場所で開国の名残を感じることができます。
これを機会に、神奈川県に残る諸外国の文化を感じてみてはいかがでしょうか?
※今回は取材のため、特別な許可を得て撮影しています。特別展では撮影不可の部分もあるのでご来館の際は、撮影表記をご確認いただき、撮影マナーに十分ご注意ください。
神奈川県立歴史博物館
住所:神奈川県横浜市中区南仲通5-60
電話番号:045-201-0926
開館時間:9:30〜17:00 (入館は16:30まで)
休館日:月曜日(「国民の祝日・休日」の場合は開館)、年末年始(12/28~1/4)、資料整理休館日、臨時休館日
観覧料:企画展は展覧会ごと。1階コレクション展示室で開催されるコレクション展は無料。
常設展は20歳以上¥300円(¥250円)、学生・20歳未満¥200円(¥150)、高校生・65歳以上¥100(¥100)、中学生以下・障害者手帳をお持ちの方は無料。※( )内は20人以上の団体料金
※2025年1月から2026年9月(予定)まで工事休館