東日本大震災の発生から13年目を迎えた、2024年3月11日。
いわき市役所には、追悼の半旗が掲げられていました。
東日本大震災とそれに伴う大津波は、この街から400人以上の尊い命を奪っていきました。
長い月日が流れたいまでも、悲しみが消えることはありません。
〈Part1〉いわきFCフィールドでの追悼
この日、いわき市をホームタウンに活動するJリーグクラブ「いわきFC」は、追悼の献花と黙祷を行いました。
場所は、チームの練習場である「いわきFCフィールド」。
この献花と黙祷には、誰でも自由に参加することができます。
白い花びらと初春の日差し
いわきFCフィールドに入ると、白いカーネーションがたくさん用意されていました。
1本いただいて、献花台に捧げます。
ピッチの中央、センターサークルに設置された献花台。
ゴールの向こう側に見えるのは、選手たちが利用するクラブハウスです。
カーネーションの白い花びらを、やわらかな初春の日差しが照らしていました。
13年前に街を襲った悲劇が、こんな日差しの中で見た、うたた寝の悪い夢ならよかったのに。
2時46分の黙祷
献花は市民、クラブスタッフ、選手の順に続いていきました。
普段は選手たちが躍動するピッチに、静かな鎮魂の時が流れます。
献花の最後は、いわきFCの大倉智社長と田村雄三監督、田中謙吾キャプテンの花束です。
午後2時46分、フィールドにいる全員が黙祷を捧げました。
あの悲劇は、残念ながら夢ではありません。
いわきの人たちは、震災の記憶を胸に刻みながら、この日まで歩いてきたのです。
〈Part2〉元キャプテンが駆け抜けた13年
いわきFCには、東日本大震災を経験した若いスタッフがいます。
かつて選手として在籍していた、地域推進マネージャーの平澤俊輔さんです。
被災当時は高校生1年生だった平澤さん。13年という長い時間を、彼はどのように駆け抜けてきたのでしょうか。
黙祷の後、お話を伺うことができました。
平澤俊輔さんプロフィール
ひらさわ しゅんすけ
茨城県出身。東日本大震災当時は「JFAアカデミー福島」の高校1年生だった。
2017年から2020年まで、選手としていわきFCに所属し、キャプテンや選手会長を務める。クレバーなプレーとリーダーシップで、多くのサポーターから愛されてきた。
引退後はいわきFCのスタッフとして勤務。過酷なJ2リーグを戦うチームを献身的に支えている。
※JFAアカデミー福島
福島県楢葉町(ならはまち)のJヴィレッジにある、中学・高校の優秀なサッカー選手を教育する養成機関。
男子は中学3年間が対象だが、平澤さんが在籍した当時は、中学から高校の6年間一貫教育だった。
追悼の日に思うこと
――東日本大震災から13年を迎えました。平澤さんにとって、3月11日とはどのような1日なのでしょう。
僕にとって3月11日は、1年間を振り返り、自分自身を戒める特別な日です。
今年も皆様と一緒に、いわきFCパークで黙祷を捧げることができました。
東日本大震災を経験した僕は「あの日にもう一度生かされている」という強い思いを持って、ここに立っています。
――平澤さんはその頃、JFAアカデミー福島に所属していました。震災発生時はJヴィレッジにいらっしゃたのですか?
Jヴィレッジのグラウンドでサッカーの練習をしていたときに、大地震が起きました。そこで練習が中止になり、僕たちは寮に戻っていたんです。
原発事故が起きたと聞いたのは、3月12日の朝でした。
――Jヴィレッジから福島第一原発までは、直線距離で20kmしか離れていません。避難指示区域に入っていたのですね。
はい、僕たちもJヴィレッジを離れることになり、まずはいわき市へ行きました。
その後、サッカー協会から迎えに来たバスに乗って、みんなで東京へ避難したんです。
やがてJヴィレッジへの立ち入りが禁止され、JFAアカデミー福島は組織がまるごと、静岡県御殿場市へ移動しました。そのときは、僕も一緒に静岡へ行っています。
いわきFCへの加入とJヴィレッジへの思い
――時が流れて、平澤さんは福島に戻り「いわきFC」に加入しました。そのときのお気持ちを聞かせてください。
僕が加入したのは、いわきFCが福島県社会人リーグ1部に所属していた2017年です。福島でサッカーができること自体、嬉しくて仕方がありませんでした。
いわきには、僕の友達や親戚が暮らしています。大切な人たちの前でプレーできるのは、本当に幸せなことです。
――平澤さんは試合で活躍するだけでなく、2019年にはキャプテンも務められました。
僕にとって2019年は、キャプテンに就任した年であり、Jヴィレッジが再開した年でもあります。
東日本大震災の後、Jヴィレッジは東京電力による原発事故対応の拠点となり、スタジアムにはプレハブが建てられていたんです。
そのピッチがきれいに再整備されて、僕たちはまた、天然芝の上で試合ができるようになりました。
スタジアムのこけら落としとして行われたのが、福島ユナイテッドFCさんといわきFCの親善試合「福島ダービー」です。
そのピッチにキャプテンとして戻り、再びプレーできたのは感無量でした。僕が人生の中で感じた「最大級の喜び」のひとつだと思っています。
あの日から13年、そして未来へ
――現在、平澤さんは選手を引退して、いわきFCのスタッフになりました。
引退後もこうして、いわきFCに関われていることを、とても幸せだと感じています。
東日本大震災を経験したいわきの方々は、大変な思いや悲しい経験を乗り越えて、13年の日々を歩んできました。
いわきFCは、その時間の中で誕生したチーム。選手たちは、地元の方々の思いを汲み取って、この街でサッカーをしています。
チームの成長といわき市の復興が相乗効果を生んで、もっともっと大きな輪を広げてほしい。僕はいま、そんな願いを抱きながら、毎日ここで働いているんです。
――最後に、平澤さんご自身にとっての13年と、今後について思うことを教えてください。
僕にとってこの13年は、高校生から大人になった激動の時間でした。
サッカー選手になって、引退をして。いわきFCのスタッフになって、結婚をして。
今思うと、あっという間でしたね。
いろいろな変化の中で、1日1日をしっかりと積み重ねてきたからこそ、僕はここに立っていられます。
これからも同じように、毎日を心から大切にしながら、幸せに生きていきたいですね。
――貴重なお話を聞かせてくださり、本当にありがとうございました。
おわりに
東日本大震災が起きてから、13年の月日が流れました。被災地の中には、人口が激減したまま戻らない街も、原発事故の影響が色濃く残っている地域もあります。
爪痕が完全に消えるまで、あとどれほどの時間が必要なのか。いまはまだ、想像することもできません。
鎮魂の祈りに包まれた1日は、とても穏やかに過ぎていきました。
これからも3月11日が来るたびに、いわきの人たちは東日本大震災に思いを馳せ、亡くなった方々を偲ぶことでしょう。
いわきFC(株式会社いわきスポーツクラブ)
住所:福島県いわき市常磐上湯長谷町釜ノ前1-1
いわきFCパーク
TEL:0246-72-2511