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アクティビティ  |    2024.06.19

牛若丸と弁慶、本当はどこで出会った!?|京都を歩く【松原通り編】

みなさんはあの牛若丸と弁慶が出会ったとされる橋をご存知でしょうか。

怪力の僧兵「武蔵坊弁慶」は、1000本の刀を集めようと「ある橋」にて夜ごと待ち構え、通行人から999本の刀を強奪します。最後の1本を奪おうと待ち構えていたところ、「牛若丸」と出会うのです。
軽やかな身のこなしで返り討ちにした牛若丸。その後、弁慶は生涯をかけて牛若丸(後の源義経)に尽くしましたとさ。

(ほんまかいな)

諸説ありますが、彼らが出会った場所は五条大橋とされています。
ですが、そこには意外な事実がありました。

碁盤の目の街「京都」を歩く。
前回は【三条通り編】を紹介しましたが、今回は【松原通り編】です。

天気の良い日、大好きな松原通りをぶらぶら歩いて見えた風景をどうぞ。

今回のルートはこんな感じ

〜大宮〜堀川〜烏丸…

さて、西大路通りからスタートして東へ向かいましょう。
京都市立病院のある御前通りを越えて大宮通りまで行くと、「松原京極商店街」が始まります。

少し入ると南側に創業75年以上のパン屋さんまるき製パン所があります。
今は亡き漫才師「今いくよ・くるよ」さんも愛したお店です。

自家製のコッペパンに、惣菜系から甘い系までさまざまな具材を挟んだサンドは抜群です。
名物ハムロールは現在でも200円。60種類にも及ぶラインナップはすべてお手頃価格でうれしい。

女性の店員さんはみなさん愛想が良くて、心温まる接客をしてくださいます。もう店頭には出ていない種類も、具材が残っていたらその場で作ってくれるサービスまで。

お財布にも優しくてホッとするお味のパンが揃う、一番好きなパン屋さんです。

さまざまお店が並ぶ商店街を抜けて、堀川からさらに東へ向かいます。
こちらはオフィスの集まる烏丸通りの交差点。

ここを抜けると、老舗の商店や民家、新しいマンションなどが混在する区域に。
今回は先を急ぐことにしましょう。

麸屋町通りに差し掛かると、南東角にあるのが真言宗東寺派の明王院不動寺
空海作のご本尊「石像不動明王」が祀られています。

門の向かって右側にあるピンク色の掲示板に注目。

松原通りは、北は八坂神社、南は伏見稲荷大社の氏子という境界線だそう。現在でも稲荷祭の神輿巡行はここまで来ているとのことです(伏見稲荷ってここからかなり遠い印象でしたが)。

さらに通りの歴史についても書かれていましたが、それは後ほど。

木屋町〜川端〜宮川町…

河原町通りも抜けて、高瀬川が横を流れる木屋町通りに差し掛かります。

北東角にすば(suba)というオシャレ立ち食い蕎麦屋さんができて、いつも若者たちで大行列がL字を作っています。味の良さとSNSの拡散力もあって、一気に人気店に。

この日通りかかった平日14:30頃は、行列は大丈夫でしたよ。

そして、ついに辿り着きました。
鴨川に架かる松原通りの橋、「松原橋」です。

結論から申し上げましょう。
こちらこそが「牛若丸(後の源義経)と武蔵坊弁慶が出会った橋」なのです!

「え!五条大橋がそうなんじゃ…」
はい、実は現在の松原橋が旧「五条大橋」なのです。

今回の命題に対する答えは、この立て看板の中にありました。
(実は、先ほど寄った明王院不動寺の掲示板にも言及が)

平安時代にはこの通り(現在の松原通り)が五条大路と呼ばれていたことから、嵯峨天皇の勅命により架けられたこの橋は「五条橋」とされていました。
その後、室町時代末期に新玉津島神社(歌人「藤原俊成」の屋敷跡)が建てられ、参拝する道の両脇にあった松林の美しさから通りを「五条松原通り」と呼ぶように。それに伴って橋の名も「五条松原橋」と呼ばれるようになりました。

ところが、安土桃山時代に入って豊臣秀吉がこの橋を六条坊門小路(ここから少し南にある現在の五条通り)に架け替えることにし、そちらを「五条橋」と称することになったのです。それによって「五条」が取れて、単に「松原橋」と称するに至ったのでした。

「へ〜知らなかった。ここなのか。看板もたまには読んでみるものだなぁ」と納得。

なお、現在の橋は昭和10年に起きた鴨川の大洪水によって倒壊したものを改築したものだそうです。

新宮川町通りに差し掛かると、京都の花街「宮川町」が広がります。

芸妓さん舞妓さんが行き交う街で、お茶屋さんがたくさん。
石畳が美しい「ザ・京都」的な風景が観られる街の一つです。

さらに進むと南側に、六波羅蜜寺があります。

元々は、醍醐天皇第二皇子である「空也上人」によって天暦5年(951)に建てられた西光寺というお寺に由来するそう。
鮮やかな朱色の色使いが写真からもわかりますよね。

余談ですが、この通りの角にある六波羅飯店という中華料理屋さんがありまして。
優しいカレー餡のかかったカレーチャンポン麺がとても評判です。

さらにその向かいにはみなとや幽霊子育飴本舗という450年以上続く飴屋さんがありますよ。
いや、450年て。サラッと書いてありましたが、すごすぎでしょ。

どんどん先へ。通り北側に見えてくるのは、臨済宗建仁寺派の六道珍皇寺

「六道」とは仏教用語で、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六種の迷界のこと。
このあたりは平安時代に火葬地であった鳥辺野の入り口にあたる区域で、他界との境にあたると考えられたことから「六道の辻」と呼ばれていたそうです。

今も毎年お盆の頃には「六道まいり」という亡者を呼び寄せる行事も行われています。小野篁(おののたかむら)が冥土に行くために使った「冥土通いの井戸」や、帰りに使った「黄泉がえりの井戸」も現存するので、ぜひ冥土の土産(?)にお立ち寄りください。

東大路〜清水坂

さあ、急激な坂を登って東大路通りに到着。

このあたりから完全に現実に戻される風景が広がります。
人口密度が激ヤバなのです。松原通りって清水寺までの参道なんですよね。
清水に参詣される方で溢れているわけです。

おわりに

「これ以上進むと群衆に飲み込まれる、、、」
そう思って引き返した時のカオスな現実を載せておきましょう。
社用車、タクシー、人力車、海外旅行者、修学旅行生などなど、大混雑でございます。

松原通りはいかがだったでしょうか。
さまざまなお店やお寺があったり、元々は五条通りだったなんて歴史的経緯も。

清水寺に行く前後にぶらぶらするにはおすすめなので、ぜひ行ってみてください。

参考リンク

松原京極商店街「まるき製パン所」:http://matsubarakyogoku.web.fc2.com/34maruki.htm
すば:https://www.instagram.com/subasoba
宮川町:https://www.miyagawacho.jp/
六波羅蜜寺:https://rokuhara.or.jp/
みなとや幽霊子育飴本舗:https://kosodateame.com/ame/
六道珍皇寺:http://www.rokudou.jp/

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この記事を書いた人

𠮷川 ノクオ

シブいお店や観光地を愛する、昭和生まれの関西人。 SEO記事や取材記事などを扱うライターとして活動しています。 主に京都にまつわるヒト・モノ・コトについて、読んで楽しんでもらえるような発信をさせていただきます。

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