「伝統的工芸品」とは、昔ながらの伝統的な技術と材料でつくられたもので、人々の日常生活のなかで使い続けられてきた工芸品のことを示す。 鹿児島県には、県が指定した32の伝統的工芸品がある。
今回は、そのなかでも鹿児島県の伝統的工芸品を代表する品をご紹介したい。
県指定伝統的工芸品の「薩摩切子(さつまきりこ)」の誕生
まずは、「薩摩切子」の歴史に触れたい。
時は江戸時代。薩摩藩では1846年、島津家27代島津斉興の代にガラス製造が始まったといわれている。江戸から当時硝子師として名が知られていた四本亀次郎を招聘し、中村製薬館の近くに硝子製造竈を設け、化学薬品の薬瓶などを製造していた。
その後、1851年、28代島津斉彬が藩主になると薩摩藩は鎖国の時代にもかかわらず、世界に通用する日本を目指して反射炉や軍艦などの建設、海外交易のための美術工芸品の製造などが盛んになった。 その美術工芸品が「薩摩切子」だ。
「薩摩切子」の終焉と復元
しかし、斉彬は藩主就任後わずか7年で急逝し、斉彬が主導してきた様々な事業が縮小、その後の薩英戦争や西南戦争などによって「薩摩切子」の製造は途絶えてしまった。 その終焉から100年以上に渡り、「薩摩切子」の存在は一般的には浸透していなかったものの、1982年、鹿児島の百貨店で開催された展覧会を機に復元の機運が高まった。その数年後、薩摩ガラス工芸株式会社の設立、復元事業が始まり、1986年には工場を稼働し、本格的な製造が開始した。
様々な試行錯誤を経て、時代とともに進化
復元当初は当時の作品に合わせて、紅、藍、緑、紫の製造から始まり、次第に金や赤、黄の製造も発表。事業展開をしていく過程で、切子師たちは誕生から大切に受け継いできた本来の美しさを守りつつ、現代のライフスタイルに馴染むデザインや商品の開発を絶えずおこなっている。
黒が持つ歴史と清流の透明感が宿る薩摩切子の新潮流「霧島切子」
鹿児島県霧島市に拠点を置く「美の匠 ガラス工房 弟子丸」は、鹿児島が古くから黒の系統を受け継いできた歴史と、霧島から流れ出づる水の透明感を一つ一つ丁寧に表現した「霧島切子」を生み出した。
この工房は先に紹介した薩摩ガラス工芸株式会社や薩摩びーどろ工芸株式会社で「薩摩切子」の復元に携わったのち、2011年に弟子丸努社長によって設立された比較的新しい工房だ。
器になれなかった硝子廃材たちに「アクセサリー」としての道を
「薩摩切子」は、製造する工程で硝子廃材が排出されてしまう。そんな実態に目をつけたこの工房では、器としては使うことができないけれど、ネクタイピン、ブローチ、ヘアゴム、イヤリングなどのアクセサリーという別の使い道で生まれ変わらせている。そして、「ECOKIRI(エコキリ)」という商品で新たな価値を生み出している。
自分だけのオリジナルECOKIRIを制作できる薩摩切子カット体験
工房では販売だけでなく、自分だけのオリジナルECOKIRIを制作できる薩摩切子カット体験が用意されている。
体験料はアクセサリー体験が6,600円、その他風鈴やタンブラーなどいくつかのプランがある。
体験の流れは以下の通り。
①割付
様々な色や形のガラス生地からお好みの素材を選び、理想のデザインをイメージして目安の線を引く。
②カット
切子師のアドバイスを受けながら、専用のカット工具を使用し、削りたい部分を押し当て前後に動かしながらカット作業を行う。
③完成・お届け
全てのカットができたら一度、作品は工房で預けられ、磨き加工が施される。約1ヶ月後、綺麗に仕上げられた完成品は自宅に届けられる。
一見、初心者には難しいのではと不安に感じるが、割付とカット作業のみなので、気軽に体験を楽しむことができそうだ。
気になるけれど、なかなか足を運びづらいという方へ
商品はオンラインショップでも販売されている。また、全国の百貨店などで催事に出展しているようなので、公式ホームページにて最新の催事情報をチェックしよう!次はあなたの住むまちにやってくるかも。
先代から受け継がれ、大切に守られてきた伝統的工芸品「薩摩切子」。その美しさや切子師たちの繊細な手作業によってつくられた技を是非手にとって体感してもらいたい。
施設の情報
本社工場
住所:鹿児島県霧島市国分清水1丁目19-27
TEL:0995-73-6522
切子カット体験・ショップ
住所:鹿児島県霧島市隼人町小浜1817-1 ART DESHIMARU
TEL:0995-73-4747
公式HP:https://deshimaru.jp/