2024年1月、私が住んでいる長崎県佐世保市で恒例のビジネスプランコンテストが開催された。
そこで賞をいくつも受賞した学生がいる。古川友稀さんだ。
古川友稀さんは障がい者が描いたアート作品をレンタルするビジネスを立ち上げ、地方からから全国へ事業を広げようとしている学生起業家だ。
コンテストでは惜しくも大賞を逃がしたが「取り組まれていることは社会貢献。海外の投資家からも求められるニーズだ」と、審査員から大きな期待が寄せられていた。
コンテストの4日前には株式会社として起業。セミナーでお会いした旧知の仲ということもあり、今回インタビューをさせていただいた。
地方発でソーシャルビジネスに取り組む古川さんに、起業した経緯や佐世保での暮らしについて伺ってきた。
SigPArt(シグパラート)について
古川さんの会社の名前は「SigPArt」シグパラート。Signal、Para、Artの3つの言葉を合わせた造語だ。この言葉には「障がい者のアートを発信する」という意味が込められている。
SigPArtの事業内容は、主に障がい者の描くアートを企業にレンタルするというサービス。障がい者の就労支援施設であるB型作業所では、利用者が自作の絵を描いている。それまではただ描いてしまっていた彼らの絵をデジタルフレームやサイネージ、または額縁に入れて企業に提供するのだ。
古川さんは就労継続支援B型事業所を経由して障がい者から絵画を借り、企業へ絵を送る。
プランも3つ準備しており、提供の仕方は企業のニーズに合わせて選択できる。
売り上げの7割は事業所に配分し、そのうちの5割を実際に絵を描いた障がい者本人に配分する。
現在システム構築の段階に入っており、近いうちにWebサイトでサービス購入ができるようになる。長崎の企業を中心に広報活動をしており「システムができたらぜひお願いしたい」と、すでに地元企業から依頼が来ているそうだ。
障がい者にとっては新たな収入源となり、企業にはSDGsやCSRの取り組みとしてパブリシティを高めるポイントになる。
また、絵画を職場に設置することで雰囲気が明るくなったり、発想の整理やひらめきのヒントになるといった効果も期待されている。
障がい者の貧困問題も解決でき、企業のブランド力の向上にもなる。まさに三方よしのビジネスだ。
このビジネスのきっかけは高校生のときに見たニュースだった。
「テレビのニュースで、障がい者の平均時給が200円という事実を知ったんです。当時ラーメン屋でアルバイトをしていたのですが、自分よりずっと低い時給で働いている人たちがいると知り、とてもショックを受けました」
大学に入り、障がい者が生活するグループホームでアルバイトした古川さん。施設利用の当事者から「もう少しお金があったらいいな」という言葉が、ビジネスプランを作る出発となった。
父の背中を見て経営学へ
古川さんは現在、長崎県立大学経営学部の3年生。
古川さんが起業した背景には、実業家の父親の存在があった。
20年前、大阪でBBQのケータリングサービスを起こし、一代で大きな会社に築き上げた。コロナ禍で売り上げが落ちた時も新たなビジネスを生み出し、窮地を乗り越えてきたそうだ。そんな父の姿を幼少期から見ていた古川さんは強く憧れを抱いていたとのこと。
大学では経営を学びたいと、経営学部を探し、推薦で長崎にやってきた。
大学では国際経営学科を専攻し、ゼミでは東南アジアのマーケットなどについて学んでいる。
古川さんの指導教官は大久保文博講師。実は彼も起業家だ。大学発のベンチャーとしてベトナムと日本の架け橋となるビジネスを展開している。ビジネスコンテストの応援にも来ており、学生の活動を全力で応援している姿が見受けられた。
大学の学びと一緒に取り組んでいるのが起業サークル「FIRPEN(ファーペン)」の活動だ。古川さんは総代表を務めており、サークルの運営で悩むこともあったそうだ。業務内容がとても多く、メンバーのモチベーションやチームワークで悩んだとき、父親に相談。
「感謝が必要だよと教えてくれました。その通りだと思い素直に感謝の言葉を伝えるようにしたところ、スムーズに運営ができるようになりました」
サークル活動でもリーダーシップなどの学びの場に変えていき、経営者としての経験も重ねていった。
2年前のビジコンの経験をバネにして
実は古川さんは、大学1年のときにビジネスコンテストに参加した経験がある。
そのときのプラン名は「障がいのある方々が描くアートを発信 ~みんなに平等と仕事のやりがいを~」。現在のビジネスの最初の一歩だった。ところが……。
「1つも賞を取れなかったんです。通信状況が最悪でした……」
当時の話をすると古川さんは苦笑い。その日は自動車学校の合宿日と重なってしまい、オンラインでの登壇となった。これが仇となってしまったのだ。山奥の合宿所だったせいか、発表中に何度も通信が途切れてしまう。質疑応答も十分にできないまま、司会者の声で発表が終了となってしまった。きっと不完全燃焼だっただろう。
この苦い思い出が古川さんを奮い立たせた。
その後も市の起業セミナーなどに積極的に参加し、地域の企業やスタートアップ支援者などにアドバイスをもらい、プランをブラッシュアップしていった。
昨年には長崎学生ビジネスプランコンテストにて、企業賞も受賞している。
以前、古川さんも私も参加したセミナーで、福岡のスタートアップ企業の代表が「ビジコンに出て一度も賞を取ったことがない」と話していたことがある。その際も古川さんは積極的に質問をしていたし「受賞していなくても事業を興している先輩がいることを知り、勇気をいただいた」と話していた。
実際のところ、ビジネスプランコンテストでは発表だけで終わってしまう出場者もいる。古川さんの場合、他大学の仲間3人と事業を始めたものの、途中で一人になってしまった経緯もある。「孤独との戦いもあった」と話していたが、起業に至るには熱量が必要だ。その源泉は?と聞くと次のように答えてくれた。
「一番は、誰かのために、という思いです。やはり、障がい者のためにというのが原動力になっていますし、今まで育ててくれた両親や、関わってきてくれた先生方のためにも報いたいという思いがありました」
就労継続支援B型事業所の管理者にお話を持って行ったときにも「ぜひやってほしい」と背中を押してくれたという。
その努力の甲斐もあり、2024年のビジネスコンテストでは次世代起業家賞と、6つある企業賞のうち3社から賞をもらう結果となった。
受賞した折に「これからが始まりだと思っています。今後ともご縁のほどよろしくお願いします」と感謝の言葉と共に決意を話されている姿は、とても晴れやかできりりとした表情だった。
これからも佐世保と関わっていきたい
佐世保は古川さんにとってどんなまちなのだろうか。
「佐世保は人が優しい。自分は大阪出身なので、みんなせかせかしてイラチな人が多い(笑)。でも佐世保はいい意味でのんびりしているし、自分も丸くなれた気がします」
家庭教師や、個別指導塾、居酒屋などでアルバイトをしてきたが、帰り際にお土産を渡してくれたりなど、地域の人がとても優しく接してくれたそうだ。
一方、地方大学では”あるある”なのだが、交通の便が悪く、学生の遊ぶ場所が少ないというデメリットがある。
正直、市内の大学は中心地から外れたエリアにあり、不便だとよく聞く。でも古川さんは「逆にそれが良かった」と話す。
「何もないから勉強に集中できます。それが一番のメリットです。誘惑が少ない分、お金を使わないで済むし。野菜も美味しい。毎日自炊していますよ」
今後について聞くと、1年間休学してSigPArtの事業に集中するという。復学したら卒論と就活に取り組み、就職先は東京のベンチャーを目指す。
「卒業して佐世保を離れても、なんらかの形で佐世保と関わっていきたい」と話してくれた。佐世保が古川さんにとって第2のふるさとになってくれれば嬉しい。
おわりに
障がい者のアートは見た人の心を引き付ける不思議な魅力がある。
私のかかりつけの病院の待合室には、自閉症の方が描いた絵が数枚飾られている。気が付くと眺めていることがあり、心を癒やす瞬間になっている。
最近ではお土産売り場や100均ショップでも障がい者が描いたイラストをデザインした商品を見かけることがある。真似したくてもできない、唯一無二のアートばかりだ。見ているとなぜか胸がドキドキする。
古川さんは障がい者の貧困の課題として、このビジネスを興した。しかし、きっと誰よりも障がい者の描くアートの力を信じている一人なのだろう。私もその仲間になりたい。
佐世保発で新たなビジネスが世界に広がることを願ってやまない。最後に起業を考えている人に向けてメッセージをお願いした。
「諦めずに継続することです。意思あるところに道は開ける。ぜひ挑戦していってほしいですね」
古川さんも諦めなかったからこそ。学生起業家の挑戦はまだまだ続く。