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フード  |    2024.01.30

新・名古屋名物は10種類のスパイス香る”台湾カラアゲ”!ドラマの詰まったルーツに迫る【前編】

名古屋で一番活気のある大須商店街。プチプラ雑貨やファッション、メイド喫茶、電子パーツ、そしてB級グルメなど約1200軒のお店が並び、上野のアメ横と秋葉原を足して2で割ったような雰囲気です。

大須商店街ではB級グルメを食べ歩きで楽しむ人が多くいます。人気なのは、たい焼き、ケバブ、ナポリピザ、そして「台湾カラアゲ」。台湾カラアゲはサクサクの衣とスパイシーな味付けが特徴です。筆者も大須に行く時は必ずお店に立ち寄ります。しかし、このカラアゲが広まるまでには台湾人店主の奮闘がありました。

<前編>では、ゼロからの立ち上げで行列のできるお店になるまでを
<後編>では、日本人になることにしたカラアゲ店主、李さんの決意と覚悟をお伝えします!

名古屋の大須商店街で一番行列のできる屋台

お揃いの白いスニーカーを履いたカップルとアンティークの着物を纏った女性がすれ違う。エスニックなスパイスの香りに線香の香りが交じり合い、日本語以外の言葉も聞こえてきます。

ここは名古屋で一番活気のある商店街「大須」。食べ歩きが盛んなこの街で、鮮やかなオレンジ色の看板を掲げた店の前にはいつも人だかりができています。

そこは「李さんの台湾名物屋台」です。湯気の昇る大粒の台湾カラアゲにかぶりつく男性は、この店の常連客という。「カラアゲの店は大須にたくさんあるけど、ここは独特のスパイスがだんだんクセになるんだ」と教えてくれました。

お客さんから撮影を求められ、にっこりピースで応じている男性の姿が目に入る。店の経営者、台湾出身の李承芳(リショウホウ)さんです。

李さんは日本に台湾カラアゲを初めて紹介した人物。台湾カラアゲは何種類もの香辛料を鶏肉にまぶして揚げるのが特徴。「うちは全部で10種類くらいの香辛料を使っているけど、何が入っているかは企業秘密だからね」と李さん。熱々のカラアゲをほおばると八角などのエスニックな香りが鼻に抜けていきました。

台湾メディアも日本初の台湾カラアゲ店を取り上げるために取材に訪れたほど注目されているそうです。

「李さんの台湾名物屋台」は大須に3店舗、さらには大阪、富山にも1店舗ずつ支店を構えています。なぜ日本で台湾カラアゲ屋台を始め、日本各地に広めるまでになったのでしょうか。

カラアゲ店主の前職は、連ドラ主演男優!

もともと、李さんは台湾の芸能人でした。23歳の時に「浴火鳳凰」というゴールデンタイムのドラマの主役を演じてブレイクしました。

その後もタレント活動を続けるのですが、台湾の芸能界に氷河期が訪れます。1990年代に「東京ラブストーリー」など日本のトレンディドラマが放送されるようになり、高い視聴率を取るようになったのです。
また、安室奈美恵など日本の芸能人がフィーバーし台湾でもテレビ画面を賑わせるように。結果として、台湾の芸能人の仕事を減らすことになってしまいました。李さんもあおりを受けた一人でした。

これからは日本ブームの時代だ!

1999年の秋、李さんは35歳で留学を決意して日本へやって来ました。日本文化を学び、日本を紹介する番組を台湾で作ったらヒット間違いないだろう。そう考えたのでした。

名古屋に住む台湾人の友人から「住みやすい街だよ」と勧められたことから、留学先に名古屋を選んだと言います。来日してからは、日本語学校に通って必死で言葉を勉強。1年間の滞在予定だったのですが、もっと日本を知りたくてもう少し残ることにしました。

子どもの頃に家族が営む食堂を手伝った経験や、料理が好きだったこともあり、調理師専門学校へ入学。ここで知り合った友人との出会いが李さんの人生においての転換期となったのでした。

ノリと勢いで屋台をオープン

専門学校生としての生活にも慣れてきたある日、クラスメイトから「李さんの料理はおいしいから、一緒にお店やろうよ」と話を持ちかけられました。

「絶対にウソだと思った。冗談半分で大須に物件を見に行ったら、一発で候補地が見つかっちゃったんだよ」トントン拍子に話が進み、2001年、大須に2坪の敷地で『李さんの台湾名物屋台』1号店がオープンしたのです。

「そこからが苦労の始まりだった……」と李さんは語ります。

名古屋の冬はつめたい

開店当初は誰にも見向きもされなかったそうです。

「今でも覚えている、初日の売り上げはたった1350円。さみしかったなぁ。台湾カラアゲなんて、見たことも聞いたこともなかったと思うし、タピオカドリンクも馴染みがなかった。しかも売っているのは日本語をあまり話せないガイジン。そりゃあ近寄りがたいよね」

李さんは台湾カラアゲの美味しさを伝えるためにお客さんに積極的にアピールを始めました。

「おいしいカラアゲいかがですか?」

揚げたてのカラアゲをカットして店の前を通る人に試食を勧めていきました。しかし、誰も目を合わそうとせず足早に通り過ぎたそうです。店をオープンしたタイミングは冬、木枯らしと人の冷たさが心身に沁みました。

「商店街の人にとってもよそ者でガイジン。すごく冷ややかな目で見られていた。日本人は、なんでこんなに冷たいんだろう。そう思った」

それでも、李さんはあきらめなかったといいます。

「失う物は何も無かったからね、怖くなかったよ」

店の前を通る人に「おはよう・こんにちは・こんばんは」の挨拶を欠かさず行いました。数か月経つと、顔なじみになった人が試食に手を伸ばすようになったのです。1口食べて気に入ったお客さんがカラアゲを買うようになり、そこから売り上げも徐々に伸びていきました。

感動と恐怖の行列

台湾カラアゲの評判が広まり始めたころ、名古屋のグルメ情報番組「P.S.」で店が紹介されました。当時の番組ディレクターは「口コミで話を聞いていたので気になって番組で取り上げた」と言います。その週末、李さんは日本のテレビの力に驚愕しました。

「開店準備のために店に行くと、店のまわりに人が溢れていた。100人以上はいたと思う。何か事件でもあったのかと尋ねると『店のオープンを待っているんです』という答えが返ってきたんだ。その瞬間、感動と同時に恐怖にも包まれたよ」

中には6時間以上並んでいる人もいたそうです。これだけの人が自分のカラアゲを待っていてくれたのは嬉しかったが、困ったことにそれだけの人数を賄える材料を用意していない。

それに自分一人でお客さんをさばけるのだろうかと李さんは不安でたまりませんでした。カラアゲは途中で品切れとなってしまったが、お客さんの忍耐強さと優しさに助けられたのです。全く文句を言わず礼儀正しい人たちばかりだったそうです。
「大丈夫。また明日来るから」と言って本当に次の日に来る人もいたとのこと。

仲間の裏切り

テレビで紹介されて以来、お客さんは順調に増えアルバイトを雇うまでになりました。ところが、その頃事件が起きたのです。李さんが台湾に7か月間の一時帰国をしていた時のことでした。

信頼して留守を預けていた台湾人スタッフに店を乗っ取られてしまったのです。「李さんの台湾名物屋台」の看板はそのままに、店の名義が台湾人スタッフに変わっていたという。カラアゲの味も李さんが提供していたものと全く同じでした……。

仲間に裏切られた李さんがとった行動はどんなものだったのでしょうか?

後編へ続く
→新・名古屋名物は10種類のスパイス香る”台湾カラアゲ”!ドラマの詰まったルーツに迫る【後編】

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この記事を書いた人

まゆこ

【Webライター】 東京在住。出版社で編集・ライターを経験し、現在は複業ライターとして活動中。実際に行ったおすすめスポット・旅のお役立ち情報を発信します。 得意ジャンルは、美味しいもの・絶景・カフェ・お土産・温泉・神社です。

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