以前、鹿児島駅から仙巌園に向かいながら史跡を巡る「まちあるき」のイベントに参加したことがある。そのときにガイド役となってくれたのが尚古集成館の館長・松尾千歳(まつおちとし)さん。
そのガイド中に松尾館長が教えてくれた3つの言葉が印象的だ。
「鹿児島本港区にある石蔵群。大半が取り壊されてしまったが、私たち県民がこの建造物の歴史や価値を理解していたら、小樽や横浜のように活気ある観光地になっていたかもしれない」
「幕末期の薩摩藩は、琉球王国に至るまで広大な領域を支配していた。鹿児島の本土を起点に180度反転させるとその距離は新潟まで行き着くほど」
「ペリーが乗船していた黒船の端から端までの長さは、尚古集成館の建物と同じくらい。それほど迫力がある船だった」
松尾館長が発する言葉は、聞く人に強い印象を与え、頭のなかで分かりやすくイメージさせてくれると感じていた。
「歴史好きな生粋の薩摩人」かと思いきや、実は福岡県出身だと知った私は「地元でもない鹿児島の歴史になぜ興味を持ったのか」「なぜ40年以上鹿児島の歴史や文化を調査・研究し続けるのか」と気になり、松尾館長ご本人に話を伺った。
歴史を学んでいるとどうしても鹿児島の活躍が目につく
松尾館長は、福岡県糟屋郡新宮町生まれ。実家の近くに筑前名山のひとつ「立花山」があり、ここには元徳時代に築かれた山城があった。そんな環境の下で育ったこともあり、幼少期から歴史が好きで、歴史を学べば学ぶほど鹿児島の偉人たちの活躍ぶりが目立つと感じてきた。
そういった背景から「歴史を勉強するなら鹿児島大学で」と志し、宗像高等学校を卒業後、鹿児島にやってきた。
とにかく歴史を仕事にしたかった
幸運なことに学部卒で学芸員の資格が取得できるタイミングと重なり、鹿児島大学を卒業後、尚古集成館の学芸員として入職。
松尾館長の家系は教員一族のようで「もし学芸員の道に進んでいなかったら地元福岡に戻って、高校教師として歴史を教えていただろう」と話してくれた。
学芸員として本格的に鹿児島の歴史・文化を研究すること40数年。研究をすればするほど、自分自身も含め、多くの人が鹿児島のことを誤解していたことに気づかされるという。
武の国・薩摩は日本の端に位置し、京都や江戸からの文化や情報が伝わるのに遅れをとっており「野蛮な田舎」というイメージを抱いていたが、文化、芸術、技術など何事もレベルが高く、海外志向が強いことを感じている。
「何もない鹿児島」ではなく「何も知らない鹿児島」
「人と人、地域と地域の交流は、その人や地域の歴史・文化の衝突でもあると思っています。自分たちの歴史・文化をきちんと理解し、誇りをもっていなければ、相手の歴史・文化に飲み込まれ、流されてしまう。理解し、誇りをもっていれば、相手に流されることもなく、相手の良いところを吸収し自分の成長に繋げることもできる。これが私たちが歴史・文化を学ぶ意味だと考えています」
松尾館長はこのように教えてくれた。
確かに、自分や自分の住む地域・国のことが分かっていないと、誇りをもつことも胸を張って行動することもできない。
学生時代に座学で叩き込んできた年号や人物など歴史の知識よりも、ストーリー性のある松尾館長の話のほうがずっと面白い。その上、頭のなかでイメージが湧き、記憶として脳に刻まれている気がする。
誇りを持って伝え続ける
私自身、鹿児島を離れて2年の月日が過ぎた。一歩鹿児島を出ると「鹿児島に行ったことがない」「鹿児島ってどんなところなのか知らない」「初めて鹿児島出身の人に会った」と言われることが結構ある。
だからこそ、私はこのWebメディアで鹿児島の発信をしているのだが、この活動は続けていきたいと思う。松尾館長が教えてくれた「私たちが歴史・文化を学ぶ意味」を念頭に、まずは鹿児島で生まれ育った私が自分たちの歴史・文化をきちんと理解し、語れる人になる。そして、故郷に誇りをもち、活気ある鹿児島を読者に伝えていこうと改めて思った。
松尾館長の主な著書
『鹿児島県の歴史』(共著、山川出版社)
『西郷隆盛と薩摩』(吉川弘文館)
『島津斉彬』(戒光祥出版)
『秀吉を討て』(新潮新書)
尚古集成館の情報
住所:鹿児島県鹿児島市吉野町9698-1
電話番号:099-247-1511
営業時間:9:00〜17:00(年中無休)
入場料金(仙巌園共通券):大人 1,000円/小中学生 500円
公式HP:https://www.shuseikan.jp/
※尚古集成館本館は耐震・リニューアル工事のため、2024年9月末まで休館中ですので、ご注意ください。なお、別館は無休で開館しています。