鹿児島には3つの世界遺産がある。
1993年に日本で初めて世界自然遺産に登録された「屋久島」、2015年に世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」のうち3つの構成資産、そして2021年に世界自然遺産に登録された「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」だ。
1つの県に2つの世界自然遺産を有するのは、鹿児島県だけ。
そんな誇らしい世界遺産を有する鹿児島県だが、意外と県民も知らなかったり、その地に訪れたことがなかったりする。私自身も屋久島や奄美大島、徳之島にはまだ一度も訪れたことがない。
今回は、自分の身近な宝を学び、魅力に気づく意味でもこの3つの世界遺産のことを紹介したい。
365日雨が降るといわれている神秘的な島・屋久島
1993年に日本で初めて世界自然遺産に登録された「屋久島」は、樹齢7200年の縄文杉をはじめとする屋久杉でも有名な島だ。
九州最南端の佐多岬から南南西に約60kmの位置に浮かび、周囲約130kmのほぼ円形であり、面積は約500㎢の、島としては日本で7番目に大きい。
この島には、標高1935mの九州最高峰の宮之浦岳のほか、1000mを超える山々が46もあることから、「洋上のアルプス」と呼ばれている。
また、独特の地形がおりなす気候には亜熱帯から亜寒帯まで含まれているため、九州から北海道までの広域的な気候を一つの島で見られる。
そんな自然豊かな島の90%を占める神秘的な森、1500種の特異な生態系、40種の世界で屋久島だけに自生する固有の植物・固有種などの特性から「東洋のガラパゴス」とも呼ばれている。
日本のかおり風景百選(照葉樹林と鯖節)、日本の滝百選(大川の滝)、森の巨人たち百選(縄文杉・紀元杉・弥生杉)、島の宝百景(海辺の温泉)など、この島には見どころがたくさんあり、短期間での滞在では物足りないので、1回の滞在で1つのテーマを設け、じっくりと向き合うのが良さそうだ。
江戸後期の激動の時代に世界を見据えていた薩摩藩主・島津斉彬の偉業
日本の南端に位置する薩摩藩は、欧米列強の脅威にさらされている地域であり、列強に対抗する軍備力の強化が求められていたため、1840年代に島津斉彬の父・斉興がヨーロッパの科学技術を導入し、海防体制の強化を図っていた。
父の遺志を受け継ぐべく、1851年に藩主に就任した斉彬は、軍備力の強化をさらに高め、鹿児島市の磯地区に鉄製大砲をつくるための反射炉やガラス工場などを建設。この国内初の洋式工場群を「集成館」と名づけた。
軍備力の強化を目的としたもの以外にも、紡績、写真、電信など社会インフラを整備していくための事業を展開し、最盛期には約1200人が従事する工場が操業されていた。
この集成館事業によって建設された「旧集成館」「寺山炭窯跡」「関吉の疎水溝」。この3つは2015年に世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の一部である。 「旧集成館」「寺山炭窯跡」「関吉の疎水溝」それぞれについては別の記事で丁寧に深掘りしたい。
ちなみに、「明治日本の産業革命遺産」は8県に23の資産が点在する。
生物多様性が高く評価された奄美・沖縄
2021年に世界自然遺産に登録された「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」は、学術的に価値が高い地形や希少な生態系、生物多様性などがある地域として選定され、日本の世界自然遺産としては5つ目の登録だ。
この地域一帯はかつて「琉球列島」と呼ばれ、約200万年前にユーラシア大陸や日本本州から切り離され、長い時間をかけてくっついたり離れたりを繰り返した過程で、多くの島が散らばり、現在の姿になったといわれている。その際に、大陸から渡ってきた生き物たちが島に取り残され、各島で独自の進化を遂げた。
奄美大島と徳之島のみに生息し、近縁種が存在しない遺存固有種のアマミノクロウサギは世界的に希少価値が認められている。
ここにしかない歴史と自然が点在する鹿児島
鹿児島の誇れる世界遺産はいかがだっただろうか。
娯楽を目的とした旅行先としては少し物足りなさを感じるかもしれないが、「華やかさより自然のなかに溶け込んで唯一無二の旅行を楽しみたい」「大人になった今だから気づく歴史の面白さをその土地で感じたい」など、ちょっと上質な時間を過ごす旅行に鹿児島を選んでみるのも良いかもしれない。