京都府長岡京市の住宅街に突如現れる巨大な古墳。
その広い土地にたたずむ古墳には、多数の土器が並べられています。
「恵解山古墳公園(いげのやまこふんこうえん)」は京都府の乙訓地域最大規模の前方後円墳を整備してつくられた公園。
約650点の埴輪がズラリと並ぶ光景は、古墳時代にタイムスリップしたかのようです。
現代に蘇った古墳は、地域の人々の憩いの場として親しまれています。
恵解山古墳とは?
「恵解山古墳(いげのやまこふん)」とは、今から約1600年前の古墳時代中期に造られた乙訓地域最大の規模の前方後円墳です。
その全長は128m、後円部の直径約78.6m、前方部の幅約78.6m。
誰のために造られた古墳なのかはわかっていませんが、規模からみると、少なくとも乙訓地域を広く治めた人物であると推測されています。
昭和55年(1980年)には、鉄製の武器など約700点を納めた武器埋納施設が発見されています。
京都府内でもこのように大量に出土した例はなく、全国的にも珍しく貴重な古墳です。
そのため、昭和56年(1981年)に国の史跡として指定され、整備されたのち、平成26年(2014年)に「恵解山古墳公園」として開園しました。
復元された埴輪が間近で見られる
恵解山古墳が築かれた当時は、古墳の平面に沿って埴輪列が並べられていました。
公園として開園する際に復元された埴輪列が間近で見られます。
これだけの数の埴輪が並んでいるのは圧巻の光景!
戦国時代の土器が出土!明智光秀の本陣説も
恵解山古墳からは、古墳時代だけでなく、戦国時代の出土品もみられます。
戦国時代の皿や湯釜、火縄銃の弾もみられることから、戦場になった形跡も。
また、江戸時代の絵図では、恵解山古墳が山崎の合戦で明智光秀の本陣とされています。
明智光秀の本陣は他にも説がありますが、深い掘り込みや階段状への改変がみられており、古墳時代ののちに恵解山古墳を何かしらの目的で利用した人物がいたということがうかがえます。
老若男女の憩いの場
現在は地域の憩いの場として親しまれている恵解山古墳には、老若男女問わず多くの人々が足を運んでいます。
犬の散歩や子どもたちの遊び場となったり、古墳の外周を走りこむ学生がいたりと、毎日にぎやかな光景がみられます。
公園の各所には、古墳の詳細に関して記されている案内板があります。
歴史を感じながらゆったり散歩するもよし、じっくり古墳について学ぶもよしです。
古墳の頂上まで行くと、南側に天王山が一望できます。
長い階段を上り切った先に待つ、明智光秀が見ていたかもしれない光景。
ぜひ体感してみてください!
明智光秀をめぐる歴史さんぽはいかが?
恵解山古墳公園から12分ほど歩くと、勝竜寺城公園があります。
住宅街の中に突如現れるこのお城は、明智光秀の娘である「玉」が天正6年(1578年)に細川忠興へ嫁ぎ、新婚時代を過ごした城です。
しかし、わずか4年後の天正10年(1582)には、山崎の合戦に敗れた明智光秀が最期の夜を過ごした場所となりました。
古墳時代にタイムスリップした後は、明智光秀に思いを馳せながら、歴史さんぽに出かけるのはいかがでしょうか?
恵解山古墳公園
所在地:京都府長岡京市勝竜寺30
電話番号:075-954-3557(長岡京市教育部文化財保存活用課(図書館内)文化財保存活用担当)
駐車場:なし
アクセス:阪急西山天王山駅から徒歩約14分、JR長岡京駅から徒歩約17分
阪急バス「久貝」停留所、バス停から約徒歩4分
勝竜寺城公園
所在地:京都府長岡京市勝竜寺12-1
開園時間:午前9時から午後5時 ※4月から10月は午後6時
電話番号:075-954-3557(長岡京市教育部文化財保存活用課(図書館内)文化財保存活用担当)
駐車場:なし
アクセス:阪急西山天王山駅から徒歩約20分、JR長岡京駅から徒歩約10分
参考リンク
財団法人 長岡京市埋蔵文化財センター:http://nagaokakyo-maibun.or.jp/igenoyama.html
長岡京市公式ホームページ:
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000001138.html
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/cmsfiles/contents/0000005/5235/hurusatofile78.pdf