昨今、地域の歴史や文化に触れる観光が注目を集めています。
それは古代から近代にわたり、多くの歴史的価値を持つ日本の文化遺産が再評価され、多くの人々にもう一度その魅力を知ってもらいたいという想いからではないでしょうか。
そんな中、羽曳野市で『はびきのぶらり』というウォーキングイベントが開催されていることを知り、参加してきました。
3回目の開催となる今回は"古民家を見学しませんか"をテーマに、古民家と古墳が語る奥深い物語を肌で感じられる、とても貴重なものでした。
このページでは、そのウォーキングイベント体験を通して得られる古民家と古墳の魅力を振り返りながら、イベントの意義を探っていきます。
ぜひ最後までご覧ください!
はびきのぶらりとは
企画の背景
『はびきのぶらり』は羽曳野市スポーツ推進委員協議会主催のイベントで、年に1度、ウォーキングを楽しみながら市内の名所を巡るものです。
毎回コースを新しく設定し、参加者に羽曳野市について新しい発見と"歩く"という基本的な運動をしてもらうことを目的に誕生したそうです。
ウォーキングのルート
今年度は、市の北西部に位置する高鷲・島泉・恵我之荘地区を約3時間かけてぶらりと歩いてまわるコース。
羽曳野市で毎年10月ごろに設けられている「古民家の日」と開催日(2024年10月5日)が同じだったこともあり、この日特別に一般公開される古民家や、羽曳野市を代表する古墳、寺社を巡るように設定されていました。
各所にて、羽曳野市職員や観光ガイドからの細かな説明があるため、参加者はその背景を理解しながら楽しむことができます。
ウォーキングを通して、自然を感じながら学び、歴史に触れられるこのルートは、多くの参加者から高い評価を得ていました。
古民家の魅力と古墳の魅力
古民家の趣や魅力
古民家はその地に根付いた歴史と文化を感じることができる貴重な財産です。
その佇まい自体が魅力的で、歴史を感じさせる風情があります。
伝統的な日本建築の造りはもちろん、木材や瓦、土壁などの自然素材が醸し出す温もりが、訪れる人々を引きつけます。
古墳の魅力と羽曳野市
古墳は、日本の歴史を物語る重要な文化財です。
古墳時代はおよそ3世紀から7世紀にかけて続き、この時代に作られた古墳は、当時の権力者が自らの力を象徴するために築いた墓として知られています。
古墳の形状や規模は地域や時代によって異なり、円墳、前方後円墳などさまざまな形が存在しています。
これらはまた、古代日本の社会構造やその時代の技術力を理解する手がかりといえるでしょう。
羽曳野市は、古墳時代における日本の中心地の一つであり、世界文化遺産にも登録されている「百舌鳥・古市古墳群」の主要な構成要素を有する歴史深い都市です。
2019年にユネスコの世界文化遺産に登録された古市古墳群の中心的な地域である羽曳野市には、数多くの巨大な前方後円墳が集中しています。
その壮大さと保存状態の良さで知られる羽曳野市は、歴史愛好者にとって魅力的な訪問地といえるでしょう。
『はびきのぶらりⅢ~古民家を見学しませんか~』を振り返る
イベント当日、期待に胸を膨らませて、近鉄南大阪線「高鷲駅」の北口に集合。
たくさんの参加者が集まっていました。
2班に分かれ、いざウォーキングに出発!
松村家住宅
まず訪れたのは国登録有形文化財である「松村家住宅」。
江戸期に建てられた木造瓦葺の建物です。
松村家は、江戸時代に河内国丹南郡南島泉村の庄屋を務めていたそうで、その敷地は約840坪。
大きな規模を誇る茅葺の民家です。
普段は入ることのできない古民家の中に一歩足を踏み入れると、そこにはまるでタイムスリップしたかのような世界が広がっていました。
素朴な木の温もりを感じます。
一般公開用にさまざまな展示も施されており、かなり見ごたえのある見学時間となりました。
松村家住宅
高鷲山鳳凰堂 明教寺
次に訪れたのは、松村家住宅からほど近い「高鷲山鳳凰堂 明教寺」。
明教寺の寺伝によると、推古天皇8年(600年)に創建されたという歴史あるお寺です。
推古天皇がこの地に、白衣の老婦が鳳凰に乗って舞い降りたという夢を見たことから、もとは「鳳凰寺」と呼ばれていたそうです。
天平宝字8年(764年)に、高鷲山鳳凰堂明教寺と改名され、鎌倉時代初期に天台宗から浄土真宗に改宗されています。
その後、天正4年(1576年)の石山合戦に於いて織田信長に焼かれてしまったという明教寺ですが、豊臣秀吉の時代に再建されました。
この日は特別に本堂の中も思う存分見学できるようになっていました。
普段は入れないようなところまで見学できる特別感がたまりませんね。
高鷲山鳳凰堂明教寺
雄略天皇陵
続いての目的地は「雄略天皇陵」。
雄略天皇陵は、島泉丸山古墳という円墳と島泉平塚古墳という方墳、2つの古墳を合わせて一つの陵墓として扱われています。
こちらは雄略天皇陵 拝所。
訪れる先々で詳しい説明が聞けるのは、本当にありがたいですね。
古墳の特徴や古事記との関連、未解明な点など聞くと、以前個人的に訪れた場所ではありましたが、また違った視点で古墳を眺められます。
島泉丸山古墳側にまわると、島泉丸山古墳と島泉平塚古墳がつながって見えるフォトスポットがありますよ。
雄略天皇陵 拝所
吉村家住宅
雄略天皇陵を出て「吉村家住宅」に向かいます。
1937年に、民家としては最初の国宝に指定されたという吉村家住宅の主屋(おもや)。
現在の文化財保護法により、1950年に重要文化財として再指定されています。
江戸時代中期以降に、丹北郡、八上郡の十八ヶ村の大庄屋を代々務めた吉村家の邸宅とのことで、その風格は格別です。
建物の一部には、桃山時代の書院造りの建築様式が残っているそうです。
昔の人々がどのように生活していたのかを想像させられますね。
吉村家住宅を知るための展示やビデオ放映も行われていました。
吉村家住宅
河内大塚山古墳
続いて、羽曳野市と松原市にまたがる巨大な前方後円墳「河内大塚山古墳」に向かいました。
ここまででもかなり歩いています。
筆者を含め、参加者らに疲れが見え始めます。
それでも到着して、説明を聞くのは楽しい!
また、こちらの河内大塚山古墳、墳丘長が約335メートルもあるそうで、その大きさは圧巻です。
墳丘の周囲には濠がめぐらされており、内部主体は横穴式石室の可能性が高いとされているようです。
河内大塚山古墳
大津神社
今回のウォーキングイベント『はびきのぶらりⅢ』の最後に訪れたのは、「大津神社」。
「高鷲駅」の南側に位置します。
平安時代の『延喜式』に「大津神社」と明記され、天皇から進物を受けていた由緒ある神社です。
神社にも書かれていましたが、羽曳野市の公式サイトによると、古代に「古市大溝」という人工水路が近くに流れていたことから、当初はこの地を本拠地として貢物の輸送にかかわっていた渡来系氏族の船氏・葛井氏・津氏のうち、津氏の祖先神を 祀った社であったと考えられているそうです。
また、江戸時代には、丹下9カ村の氏神として人々に崇拝されていたとのこと。
現在の御祭神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)・奇稻田姫命(くしいなだひめのみこと)の夫婦神と天日鷲命(あめのひわしのみこと)。
配祀神として大山咋命(おおやまぐいのみこと)、菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)が祀られています。
大津神社
普段何気なく通っている道に貴重な文化財である古民家が存在していることを知ったり、古民家や古墳を実際に見ることで地元の歴史を身近に感じられたりするとともに、秋晴れの中、気持ちよく楽しみながらウォーキングで健康づくりができる良い機会をもらえたように思います。
羽曳野の魅力を再発見するため、健康のため……理由は何であれ、参加する価値大のイベントでした。
『はびきのぶらり』は、コースを変えて来年も開催される予定です。
どんなコースで開催されるのか、どんな魅力に触れられるのか、今から楽しみでたまりません!