「ものの始まりなんでも堺」という言葉があるのをご存知でしょうか。
中世の時代、自治都市・自由都市だった堺は、現代につながる多くの製品を生み出してきました。
なかでも一大産地となったのが「鉄砲」の生産です。
鉄砲は、ポルトガルから種子島に伝来しましたが、堺の商人はいち早く島を訪れ製法を習得しました。
鉄砲は戦国大名にとって勝利に欠かせない戦力であったため、需要はどんどん増え、堺は瞬く間に日本一の鉄砲生産地となったのです。
今回は、その堺の歴史がよくわかる「堺鉄砲館」を紹介します。
堺鉄砲館がある「堺環濠都市北部地区」の歴史
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江戸時代初めの1615年、大坂夏の陣で豊臣方の焼き討ちにあった堺。
徳川幕府の直轄領となり、三方に濠が掘られ新しい近世の環濠都市へと生まれ変わりました。
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堺の会合衆などの豪商は、南蛮貿易で盛んになった海外貿易と鉄砲の生産によって莫大な富を蓄え、大きな力を持っていきます。
その後、第二次世界大戦時の堺大空襲で大部分が焼失しましたが、堺環濠都市北部地区は幸運にも戦火を免れました。
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現在も、江戸時代から戦前に建てられた町屋などの貴重な歴史的建造物が多く残されています。
堺鉄砲館ってどんなところ?
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堺鉄砲館は、当時の鉄砲鍛冶やその関連職人が多く住んでいた北旅籠町にあります。
築約100年の町屋を利用した施設内では、堺鉄砲にまつわる展示品の見学や、火縄銃の作り方などについて聞くことができます。
中に入ると、先に数名の方が話を聞いていたので、展示品を見ながら次の回を待ちます。
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鉄砲を鍛造した炉(写真手前)やふいご。
ふいご(写真奥)は、炭などの燃料を高温で燃焼させるために空気を送り込む装置のことで、箱形と蛇腹の物があります。
こちらにあった箱形は、中のピストンを往復させて風を送ります。
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鋏(やっとこ)は鍛冶屋や金細工など、金属を加工する工房などでよく使われていた道具。
熱した鉄の延べ棒を、やっとこや鎚(つち)で曲げたり伸ばしたりします。
火縄銃は作るのも撃つのも大変…
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ほどなく、話を聞ける時間になったので、他市から来られたご夫婦と共に、館長の話に耳を傾けます。
時折、堺の歴史について問題を出してくださいますが、堺に住んで35年の筆者、ほぼ(全く)答えられません。
和やかな雰囲気の中、面白くてどんどん惹き込まれていきます。
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当時の貴重な火縄銃がこちら。
実戦に使っていたという「足軽筒」から「侍筒」、彫金が見事な「大名筒(この日は残念ながら未展示)」。
一番軽めの足軽筒でさえ重く、これを抱えて戦っていたとは…驚きです。
火縄銃の筒部分は、平たい鉄を丸みを出すようにひたすら打って作るとのこと。
平和な世になり、銃が必要なくなってからは、その技術を使ってシャベル(スコップ)の柄の部分を作ったそうです。技術が生かされて、さまざまな製品が生まれてきたんですね。
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火縄銃に使われていた鉛の弾がこちら。
火縄銃に付属している照準器は簡易なもの。「狙ったところに当たるのか?」といった感想です。でもどこかに当たれば鉛の弾ですし…怖いですよね。
毎年10月に行われる堺まつりでは、堺火縄銃保存会の皆さんが、火縄銃を撃つパフォーマンスを披露。鉄砲隊があらわれると、これぞ堺!という感じで盛り上がります。
以前行われていた、御堂筋パレードにも出演されていたそうです。
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他にも、鴨居には陣羽織や陣笠、壁面に当時の様子がわかる文献が、拡大して展示してありました。
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このような兜や陣羽織をつけて写真撮影もできます。
筆者が訪れた際に、小学生の男の子が兜と陣羽織を身に纏い、鉄砲を構えてお母さんに写真を撮ってもらっていました。とても良い記念になりますね。
堺鉄砲館の伊田英雄さんにインタビューしました!
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堺鉄砲館を運営されている、伊田英雄さんからお話を伺いました。
「観光客の方から『鉄砲鍛冶屋敷が非公開で見れないのが残念』という声を聞いて。何かできることはないだろうかと仲間と始めたのがきっかけです。築100年の町屋を自分たちで改築して、道具を集めて。ただ、『好きだから』という理由でやってます」
歴史ある堺を知ってもらうために、仕事を持ちながらも運営されている堺鉄砲館の皆様に頭が下がる思いです。
貴重な火縄銃に触れたり、優しい伊田さんのお話から広がる世界は学びの宝庫でした。
堺にお越しの際は、戦国の歴史を感じられる堺鉄砲館へ遊びに行ってみてくださいね。
堺鉄砲館の情報
所在地:大阪府堺市堺区北旅籠町西1-2-7
アクセス:南海本線「七道駅」5分、阪堺電車「高須神社駅」下車5分
料金:100円
営業時間:11:00〜16:00(日曜のみ開館)
*臨時休館することがあります
定休日:夏季・冬季休館、日曜日以外
駐車場:なし
最大人数:20名まで
お問い合わせ:(公社)堺観光コンベンション協会
電話:072-233-6601