東京都の北区赤羽に、昔の集合住宅を見学できる施設があることはご存知でしょうか。
昭和初期から中期にかけて建てられた住戸を復元した施設「UR まちとくらしのミュージアム」
関東大震災後の復興住宅、食事と睡眠を分けて行う食寝分離が進んだきっかけとなった団地など、4階建のミュージアムでは集合住宅の歴史とそこに暮らしていた人々の生活様式が展示されています。
見学は10時/13時/15時の一日3回実施し、入館料は無料です。
当時を生きた人々は、どのような生活を送っていたのでしょうか。
連日、多くの人が訪れる「UR まちとくらしのミュージアム」の魅力を紹介します。
ミュージアムでは集合住宅の移り変わりを体験できる
「UR まちとくらしのミュージアム(以下、ミュージアム)」で見学できる復元住戸は全部で4ヵ所。
関東大震災後に建てられた同潤会代官山アパートから始まる見学ルートでは、蓮根団地、晴海高層アパート、多摩平団地テラスハウスへと、時代の流れとともに集合住宅の変遷を見学できます。
見学はツアー形式
ミュージアム棟の入場には、予約時に発行されたQRコードかチケットが必要です。忘れると確認に時間がかかりますので、事前に準備しておくことをおすすめします。
時間になると、はじめに見学時の注意事項についてガイドの方から説明があります。
【注意事項】
- 飲食、喫煙禁止
- 展示物への接触も禁止
- 土足厳禁(シューズカバーが配られる)
- ペットボトルや水筒なら各階の廊下で飲用可能
- 撮影は動画を含め、復元住戸の内部と模型のみ可能。パネル資料や映像の撮影は禁止
見学には階段を使用します。展示物の保管や参加者の安全面から、ヒールなどの高い靴は避け、歩きやすい格好で見学しましょう。
プロジェクションマッピングで集合住宅の歴史が学べる
続く「URシアター」では、プロジェクションマッピングによる集合住宅の歴史とまちづくりの変遷を体感できます。
上映時間は約7分。
壁と床の四面からなる大型スクリーンでは、昭和に建設された数々の集合住宅が映し出されます。上空からの迫力ある映像も必見です。
【4階】同潤会代官山アパート(現在の東京都渋谷区)
上映後は映像の余韻にひたる間もなく、エレベーターで4階へ。
ここからは、いよいよ復元住戸と当時の生活用品が展示されたフロアへと足を踏み入れます。
エレベーターを降りると、目の前には「同潤会代官山アパート(以下、代官山アパート)」と別の同潤会アパートで使用されていた当時の装飾品が展示されていました。
同潤会は1923年に発生した関東大震災後の住宅復興のために設立された財団法人。ミュージアムでは、同潤会が建設した本格的な鉄筋コンクリート造の集合住宅の中から、代官山アパートの単身住戸・世帯住戸を復元展示しています。
公式サイトより引用
ちなみに、表参道にある商業施設「表参道ヒルズ」の一角では、同潤会が建てた青山アパートの外観を一部再現した「同潤館」が見られます。
フロアに展示されている装飾品からはどれも年代を感じさせるなど、当時の面影がしのばれます。
代官山アパートには、共同スペースとして食堂や浴場がありました。
そこには多くの人が集まり、交流の場として賑わっていたようです。
展示されている資料では、当時の様子を写真とともに紹介しています。
災害対策も施されていた
同潤会は関東大震災後の復興住宅を手掛けました。その経緯から、住戸には縄ばしごや燃焼防止用の針金入り窓ガラスが設置されました。
復元住戸では、震災や火事が起きても被害を最小限に抑えるよう、安全面に重視した設計が見られます。
単身者用の復元住戸
単身者用の住戸はベッドが設置されているものの、基本は簡素な作りとなっています。
それもそのはず。住戸には水回りの設備がありませんでした。
お手洗いや洗面所は各階の設備を共用し、食事とお風呂は同じく共同のスペースである食堂や浴場を利用していたとのことです。
世帯用の復元住戸
世帯用の住戸には、単身用にはなかった洗面所・台所・トイレが備え付けられています。
台所には、昔使われていたであろう釜も置かれていました。年季を感じさせます。
見学中、電気体系についての説明もありました。当時の電気契約は現在の従量制(使った分を請求)ではなく、照明の数で電気代が決まる定額制だったそうです。
【4階】蓮根団地(現在の東京都板橋区)
4階のフロアでは、東京都板橋区にあった蓮根団地の復元住戸も見学できます。
蓮根団地は1957年(昭和32年)に竣工。食事と睡眠の場所を分ける「食寝分離論」を取り入れた革新的な団地でした。
現在一般的に使われているダイニングキッチン(DK)という言葉も、新たな生活スタイルが提唱されたこの時代に生まれました。
住戸の広さは33平米あり、間取りは2DK。バルコニーには物置も設置されています。
ダイニングキッチンには食寝分離を普及させる目的として、ちゃぶ台ではなく、テーブルと椅子が初めから備え付けられていました。
通気性に優れた食器棚も、テーブル横に設置されています。
当時は冷蔵庫の普及率が低く、食品を棚で管理する家庭も多かったため、通気性の良い棚が求められたそうです。
先ほどの同潤会アパートに比べ、家具や間取りの変化を見るだけでも、少しずつ生活スタイルに変化が起きていることがわかります。
【2・3・4階】晴海高層アパート(現在の東京都中央区)
続いての見学エリアは、おそらくミュージアム一番の見どころであろう、晴海高層アパートのフロアです。
1958年(昭和33年)に建てられた同アパートは、上野にあった「東京文化会館」や新宿の「紀伊國屋書店」を手掛けた、建築家・前川國男氏が設計しました。
晴海高層アパートは当時を代表する建築家・前川國男の設計による公団初となる10階建て高層集合住宅です。垂直に3層、水平に2戸で計6戸のユニットを1パッケージとし、3階ごとにエレベーター着床する共用廊下から、階段で上下階の住戸にアクセスするスキップ形式が採用されました。
公式サイトより引用
晴海高層アパートの特徴であるアパート内部の構造に注目してみましょう。
10階建てだったアパートでは、エレベーターが1階・3階・6階・9階にしか止まらない設計でした。
エレベーターが止まる階には廊下と階段が設けられ、上下階に住む人たちはフロアの階段から住戸へと移動していました。
2階の住民専用に外階段が設置されていた
エレベーターとは別に、2階の住民専用として外階段も設置されていました。
外観は円筒形で、中はらせん状となっており、2軒で一つの階段を使用していたようです。
再現された外階段がミュージアム棟の外に設置されています。中には入れませんが、興味のある方はぜひ見学してみてください。
窓側からは海の景色、廊下側からは銀座の街並みが見えた
晴海高層アパートのエリアでは、廊下のある住戸とない住戸、両方を見学できます。
まずは廊下のある住戸から紹介します。
共用の廊下は当時、井戸端会議や子供の遊び場としても使われていたようです。歩行者との衝突を防ぐために、入り口のドアは引き戸でした。
住戸の窓からは海が見え、反対側の廊下からは銀座の街を望めたそうです。高層階になるほど、とても眺望のよいアパートだったことがうかがえます。
また当時の壁面には、今ではレトロな印象が強い黒電話が設置されていました。
黒電話は受電専用として上下階の住民と共用し、部屋のブザーが鳴ったら電話を取りに行く仕組みだったようです。
ちなみに、電話をかける場合は1階まで下りていたとのこと。電話一本かけるのにも、ひと苦労した様子が想像できます。
写真では分かりづらいかもしれませんが、廊下の先は当時の様子を写真で再現したものです。実際に奥まで行くことはできません。
スキップ方式で下りた先には当時最先端を誇った住戸がありました
廊下のない住戸へは、実際にスキップ方式で入る体験ができます。階段を下りた先には、当時の最先端の設備を取り入れた部屋が広がっていました。
晴海高層アパートでは、大量生産が可能になったばかりのステンレス製キッチンを、どこよりも先駆けて導入しています。また、外からの光を取り入れられるよう、ふすまには反射効果のある白もみ紙を使用していました。
現在でいうタワーマンションのような存在
最先端の設備と伝統技術を取り入れた晴海高層アパートには、当時どのような人が住んでいたのでしょうか。
部屋は39平米、家賃が当時のお金で月額1万3000円(現在の22万円程度)必要だったことから、平均的な年収の人が住むには難しかったように思えます。
医者や弁護士、企業の社長が多く住んでいたとの記録も残されています。
参考資料:初期集合住宅に住み続けた都心居住者たち (jst.go.jp)
現在でいうタワーマンションに近い住戸だったのかもしれません。そう考えると、かなり先進的な建物と言えますし、人気が高かったことも納得できます。
【2階】多摩平団地テラスハウス(現在の東京都日野市)
晴海高層アパートの次は、いよいよ復元住戸のラスト。「多摩平団地テラスハウス」です。
専用庭のある長屋建ての低層集合住宅をテラスハウスと言います。昭和30年代に、主に郊外の団地で多く建設され、庭は近隣住民とのコミュニティをはぐくむ場となりました。
公式サイトより引用
玄関付近には郵便物や牛乳の配達ボックスも設置され、徐々に現在の住宅へと近づきつつあります。
壁面には鮮やかなイエローの色彩が施されるなど、それまでの住戸と比べ、明るい印象を感じられました。
和室には古時計も設置されていました。眺めていると、今にも鳴りそうです。
キッチン脇には買い物から帰ってすぐ準備に取り掛かれるよう、勝手口も設置されていました。
入り口付近の地面には、旧住宅公団のマークが入ったマンホールもあります。
住のマークが入ったマンホールは希少らしく、マニアの方が見学された時は、熱心に写真を撮られていたようです。
興味のある方は、ぜひ現地にて実物をご確認ください。
【2階】まちづくりの変遷と住宅部品を展示
テラスハウスの隣には、当時使われていた住宅部品や住宅の模型が展示されています。
3つある呼び鈴はそれぞれ鳴る音が違うので、気になる方はぜひ押してみてください。
住宅模型も展示
見学したグループの中には以前団地に住んでいた人も参加されており、住まいと模型が同じ間取りなことに驚かれていました。
数種類の住戸模型があるなど、ミュージアムには模型好きの人が楽しめる要素もたくさんありました。
UR都市機構の歴史も学べる
UR都市機構の歴史が展示されたフロアも見学できます。
このフロアでは都市再生や震災復興、ニュータウン情報など、UR都市機構が手掛けてきた住宅の資料を展示・紹介しています。
90分が短いと感じるミュージアム
アンケートの記入後に、シューズカバーを返却すれば見学は終了です。
当初の予想時間に反して、見学はあっという間に終わりを告げてしまいました。
集合住宅に興味のある方ならおそらく、90分では物足りないのではないでしょうか。
団地に住まわれていた方は郷愁を感じ、建築物に興味がある方には歴史を学ぶ機会になるなど、ミュージアムには集合住宅の魅力がふんだんに盛り込まれています。
ミュージアム棟以外の展示物も見学できます
時間に余裕がある方は、晴海高層アパートの外階段を含め、外にある展示物も見学されてはいかがでしょうか。
スポットのひとつには、ポイント型と呼ばれる団地初の登録有形文化財「スターハウス」も含まれます。常時開放はされていませんが、窓から少しだけ部屋の様子を覗くことができます。
ほかにも、彫刻家の流政之氏によるファニチャーや、第二次世界大戦の遺構も一部展示されていました。
晴れた日は散歩コースとして利用できるなど、「UR まちとくらしのミュージアム」は楽しめる要素が盛りだくさんの施設です。
人気ミュージアムのため、直近の予約はほぼ埋まっていることが多いと思われます。見学を希望される際は早めにお申し込みください。
施設情報
施設名 | UR まちとくらしのミュージアム |
住所 | 〒115-0053東京都北区赤羽台1丁目4−50 駐車場・駐輪場はなし。電車またはバスなどの公共交通機関をご利用ください。 |
アクセス | JR「赤羽」駅西口より徒歩8分 |
電話番号 | 03-3905-7550(休館日を除く10:00~17:00) |
開館時間 | 10:00~17:00 休館日:水曜日・日曜日・祝日(年末年始・臨時休館あり) |
見学方法 ※予約受付期間:見学2か月前の1日から前日まで※団体予約可 | 事前予約制のツアー見学(入場無料) 10:00~/13:00~/15:00~(各回90分程度) 定員:各回20名 |
公式サイト | URまちとくらしのミュージアム|UR都市機構 (ur-net.go.jp) |