生まれ育った故郷にUターンすること。
ひょんなできごとでゆかりのない場所にIターンすること。
そういった帰郷や移住は誰もが当たり前のように経験するものではなく、人によっては人生のなかで一度あるかないかといった重要なターニングポイントになるのではないでしょうか。
これまでの生活から180度変わったり、なかには周りの人たちを巻き込んだりするかもしれません。
今回、鹿児島県熊毛支庁がPR動画を制作しました。 本記事では、PR動画の公開を記念し、PR動画に出演されている、2024年春に地元種子島に戻られた福元和興(ふくもと かずおき)さんと2012年にご家族で屋久島に移住された木全香里(きまた かおり)さんに取材いたしました。
人生を豊かにする上で必要なもののひとつが「暮らしの拠点」。このお二人はどのようなきっかけや思いで島での生活をされているのでしょうか。
自分を必要としてくれる人がここにいた
ーーこれまでの経歴と現在のお仕事を教えてください。
福元さん:今年春に勤めていた公務員を退職し、東京から地元である種子島へ戻ってきました。現在は主に農業をして暮らしています。
ーーUターンを決意されたできごとやきっかけは何でしたか?
福元さん:実家で両親とともに家業を手伝うなかで、自分を必要としてくれることを実感したのが大きなきっかけです。
島を離れた期間が長くなればなるほど、両親も高齢になっていきます。その姿をみて、「『いつか種子島に帰ろう』という思いを叶えるのが定年後だと遅いのではないか?」と感じるようになったんです。
ーー実際に地元に帰ってきていかがですか?
福元さん:島に帰るのを決断するまでは経済面での不安もありましたが、帰ってきてよかったという気持ちで満たされています。
30年近く島を離れて生活をしてきた分、島以外の暮らしを経験し比較するものがあります。だからこそ、島の暮らしは他のどの地域での暮らしよりも自分に合っていると感じますし、この上なく幸せな人生だなと思えます。
ーーこれからどんなことをしていきたいですか?
福元さん:狩猟や魚突き、魚釣りなど、とにかくなんでも挑戦したいという気持ちがあります。また、地域の活性化に繋がる活動もしていきたいです。
島の不便な暮らしが人間として豊かになっていく
ーー簡単に自己紹介をお願いします。
木全さん:2012年に夫と当時8ヶ月の娘の家族3人で屋久島へ移住しました。その後、子どもが2人増え、現在5人で暮らしています。
また、自宅の敷地内に小屋を建て、工房nokoというオーダーメイドのお菓子屋を経営しています。
ーーなぜ、屋久島に移住することになったのですか?
木全さん:以前から「自然いっぱいで温暖な気候の南の地方で暮らしたい」「子育てをするなら屋久島がいい」といった気持ちがあったからです。
移住前は大阪や岐阜など、さまざまな土地で生活をしてきました。自分には都会での生活が合わず体調を崩したり、自然豊かな場所を求めて岐阜の旅館で働いたものの、寒さの厳しい環境は生活しづらかったりといった過去の経験から屋久島にたどり着きました。
もともと夫が大の屋久島好きで結婚前から2人で何度も訪れており、子育てが始まったタイミングで屋久島への移住を決意しました。
ーー実際に屋久島で暮らしてみていかがですか?
木全さん:新しいことを始めるのにチャンスに溢れている場所だなと感じます。もちろん便利な都会の生活と比べると、不便を感じることはよくあります。しかし何もないからこそ自分で生み出す力が養われるのだと思います。
また、台風の時期は停電や断水でライフラインが途絶えてしまうこともあります。そのためには日頃からの備えは大切です。
ーー移住を考えている方へメッセージをお願いします。
木全さん:何か行動を起こそうとするときは、不安や恐怖、リスクがつきものです。それでも勇気を出して一歩踏み出して、その先にある悩みもがく日々が輝く瞬間なのではないかなと感じています。
「気になるな」「やってみたいな」と思ったらまずやってみていいと思います。きっと何かそこに発見や気づきがあるはずです。
生まれた場所には愛がある、新しい場所には希望がある
今回、種子島に帰って来た福元さんと、屋久島に移って来た木全さんのお二人にお話を伺いました。お二人の取材を通して感じられたのは、自分の人生を自分の足で歩んでいたり自分にとって何が大切なのかを理解できていたりする人はイキイキとされていて輝いているということです。
島での生活は不便を感じることがあるかもしれません。しかし、「ここ」にしかないモノやコト、「ここ」でしか味わえない体験があります。
あなたはどんな人生を、誰と、何を大切にして生きたいですか?
そんな問いに答えが見つからなかったとき、ぜひこの動画をご視聴ください。
そのヒントが得られるかもしれません。
動画はこちら