鹿児島本土と沖縄本島のほぼ中間に位置する奄美大島。
2021年7月に生物多様性が評価され、日本で5カ所目の世界自然遺産に登録されました。美しい自然と豊かな生態系を有する島ですが、実は文化面でも、とても興味深い島だということはまだあまり知られていません。
今回は数ある伝統行事の中でも、奄美生まれ奄美育ちの私が2023年夏に体験した、しまんちゅ達の熱い戦い「舟こぎ」についてご紹介したいと思います。
しまんちゅ達がしのぎを削る舟こぎ競争とは?
「奄美の夏の風物詩」といっても過言ではない舟こぎ競争。花火大会とセットで行われることが多く、各市町村ごとに大会が催されます。
ルールは、漕ぎ手6名と舵取り1名が舟に乗り、ヤホと呼ばれる木を削ったもので水面を漕いでいき、スタートからゴールまでのタイムを競うといったシンプルなもの。
ルールはシンプルですが、タイムを縮めるには実は奥が深いのです。
漕ぎ手の息がピッタリと合わないと舟はなかなか進まず、ブイを出来るだけコンパクトに回って折り返す際には、舵取りが重要な役割を果たします。
子どもの部、女性の部、一般の部と分かれており、老若男女が1分1秒を争って、舟を漕ぎ続ける姿はまさに青春!
大会があるのは8月がメインですが、島の海岸では4月ごろから「いちに、いちに。」と声を出しながら練習している光景が見受けられます。
170年以上!奄美における舟こぎの歴史とは?
島の人にとって夏の楽しみになっている舟こぎ競争ですが、そのはじまりはなんと170年以上前。
奄美では本土と比較して、その歴史や風習が書物として残されている事が少ないのですが、薩摩藩士、名越 左源太(なごや さげんた、1820年2月12日 – 1881年6月16日)が『南島雑話』に奄美の舟こぎの様子を描いており、それが最古の文献とされています。
五月五日ハレコギの図
引用:奄美舟こぎ協会オフィシャルサイト
舟漕競争ひ、一番、二番に早きは、褒美米を遣す事也。
百姓共勇み漕争事也。
諸人見物、男女群集す。
褒美米也 一番 二番
伊津村にて此小き離れ島を廻り、本の所へ漕帰るを勝とす。
小き離れ島の惣名をタコトリと云ふ。
(舟こぎ競争にて、一番二番に早い者には米を与える事にしたところ、多くの者が勇んで漕ぎ争った。見物人が大勢集まった。伊津村のタコトリと呼ばれる小さな離れ島を廻り、より早く帰った者の勝ちとする。)
選手も観客も大盛り上がり!実際の大会の様子
私が今回参加した大会は、奄美群島の中でも一番参加チームの多い「第60回奄美まつり舟こぎ競争」。コロナの影響で4年ぶりの開催となりました。
職場、学校、集落など、多種多様なチーム構成で、計95チームがエントリー。チームごとにお揃いのユニホームを着て団結力を高めます。
私たちのチームは、まさかの当日はじめましての即席チーム(笑)
舵取りは、舟こぎ協会の方に協力を仰ぎ、漕ぎ手の6人中3人が人生初の舟こぎとなりましたが、ミラクルが重なり、なんと準々決勝進出!
準々決勝では、周りとの差を見せつけられ敗退しましたが、「いちに!いちに!」の掛け声で全員の息を合わせ、海の上を漕ぎ進めるのは、なんとも言い難い気持ちよさと達成感がありました。
https://mediall.jp/wp-content/uploads/2023/11/舟こぎ大会動画.mp4
朝8時から始まった大会も15時前まで続き、準々決勝、準決勝、決勝と上がるにつれ、観客席の応援の熱も上がり、島ならではの太鼓チヂンの鳴り響く音と、島口の実況リポートで会場をさらに盛り上げていきます。
今大会の一般の部では、圧倒的強さを誇った丸潮漕友会が連覇を果たし、女子・子どもの部では絶対女王だった結miracleを清水集落が破り優勝しました。
同じ舟を漕ぐことで生まれる一体感
選手たちの熱気と、観客席からの声援や拍手で大盛り上がりのまま無事に終えた舟こぎ大会。
優勝を狙ってほぼ1年中練習するチーム、親睦を深めるために職場の仲間同士で和気あいあいと楽しむチーム。
チームの特色はそれぞれですが、決してひとりの力では進むことのできない重たい木舟をみんなの息を合わせて漕ぐことで、レースが終わった後にはどのチームにも自然と笑顔と達成感が満ち溢れ、絆が一段と深まっているように感じました。
選手も観客も一体となって楽しむこういった風習が、島の人同士の結び付きをより強いものにしてくれているのかもしれません。