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もの・こと  |    2024.05.05

長野県小海町に春を告げる、第33回COPPA DI KOUMI(コッパディ小海)開催!!【前半】

「コッパディ小海」とは、長野県南佐久郡小海町で毎年開催されるヒストリックカーの祭典。1991年に第1回が始まり、今年は全国から75台が参加。初日のラリーは会場のホテル・ガトーキングダム小海を中心に八ヶ岳の周囲約202kmを周回し、翌日はヒルクライム競技を行う、2日間に渡るイベントとなっています。出場車中もっとも古い車体は1924年製(=大正13年)のブガッティ。新しいものでは1990年代に漫画「頭文字D」で有名なトヨタスプリンター・トレノなど様々な年代の車が勢揃い。標高1450mの高原で車好きの祭りの1日を追いました。

1.コッパディ小海は会場で観たい!!

1月に、大会を主催する小海町から紹介された井出大会実行委員長から聞いたお勧めポイントです。

大会前に出場する車がズラっと並ぶので、近くで観れます。それとラリーのスタート前にその車の名前、出場者、車の来歴のアナウンスがあり、それを聞くとどんな車か分かります。

スタートは午前10時でしたが午前8時に行って、委員長の言うとおり歴史を感じる多くの車を間近で見られて大正解!!ボンネットを開けた車も多く、話しかければいろいろと教えていただけたり、街中で遠慮がちに停車した車を眺めるのとは大違いです。

一般用の駐車場から大会本部のホテルの間に出場者の駐車場があり、あまりの楽しさに取材受付前に1時間以上寄り道してしまいました。

本部受付でメディアパスと大会パンフレットを受け取り、エントリーリストからどんな車が出場するのかを確認。左の写真の赤い車が描かれているパンフレットは毎年デザインを変わる(写真右)ので、これをコレクションするのも出場者の楽しみのひとつだそうです。

どれどれ、エントリーリストからナンバー3~9(4は欠番)が特に古いタイプのようなので、前半はこれらを中心にご紹介しましょう!

2.第二次大戦前(1945年以前)に製造された貴重なお車拝見

ブガッティT13ブレシア(1924年フランス)

さすが最古参。エンジンも小振りで、座席後ろの燃料タンクも「そのまんま」感が味わい深い。

HRG(1939年英国)

一般の人のクラシックカーのイメージに一番近い、スマートなフォルムの綺麗な車体。

MG Cタイプ(1932年英国)

スカイブルーの車体にスコットランド国旗のプレートがまた似合う。

オースチン7(1936年英国)

お揃いのキャップとカーキ色のつなぎ、あえてボストンバックをひとつ載せてあるのがお洒落。

パッカード8モススペシャル(1925年米国)

アメ車って感じ。エンジンでか~い。車体の外側にレバーがあるのもビックリです。

モーガン3ホイーラーSS(1936年英国)

あとで動画を見ると分かるのですが、これは三輪自動車なんです。

3.スタート位置の動画でエンジン音の違いを感じましょう

ホントに動くのか?

エンジン音を聞かせろよ!

車は「動いてナンボ」と言いたい、そんなあなたの声にお応えし、スタート時点の動画もご用意しました。

ブガッティT13ブレシア(1924年フランス)

HRG(1939年英国)

MG Cタイプ(1932年英国)

オースチン7(1936年英国)

パッカード8モススペシャル(1925年米国)

モーガン3ホイーラーSS(1936年英国)

4.第二次大戦後(1946年以降)に製造された車は「後半に続く」

自分が漫画を見て熱くなった、あの車を載せてくれよ。

クラシックカーじゃない、スーパーカーが見たいんだっ!!

スペースの関係で1回では載せられなかった車たちを後半でご紹介いたします。現地で感じたラリーの見方や、今年行われる別の大会についても触れたいと思います。どうぞお楽しみに。

第33回COPPA DI KOUMI(コッパディ小海)大会概要

日 程:2024年4月20日(土)~ 21日(日)
場 所:長野県南佐久郡小海町松原湖高原 ガトーキングダム小海 
ルート:リゾートホテル蓼科萌木の村 ROCKアートヴィレッジ明神館を経由する202km
    第33回ルートmap https://www.coppadikoumi.com/routemap.html
主 催: コッパ ディ 小海 実行委員会 https://www.coppadikoumi.com/
後 援: 小海町観光協会 https://www.koumi-kankou.jp/

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この記事を書いた人

Kunie

20代で首都圏エリアの情報誌のライターをしていました。その後、一般企業に転職。東京から長野へ移住、単身赴任、親の介護を経て子供の独立を機に退職。地元誌のインタビュー記事を担当させていただいたご縁から、20代から長いトンネルを経て、またライターで働いてみようと日々奮闘中です。

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