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もの・こと  |    2024.10.19

今年話題の碓氷第三橋梁(めがね橋)へ出かけましょう|群馬県安中市

碓氷第三橋梁(めがね橋)は、1892年(明治25年)に完成し1963年(昭和38年)まで群馬・横川~長野・軽井沢間に敷設した信越本線の鉄道橋として使用され、現在は遊歩道「アプトの道」として整備されている群馬県安中市にある歴史的なレンガ造りのアーチ橋。テレビ朝日系の木村拓哉主演木曜ドラマ『Believe-君にかける橋-』の舞台にもなりましたね。

群馬県のJR信越本線横川駅で下車し、駅前がスタート地点の遊歩道「アプトの道」を歩きだし、4.7Kmの整備された道のりで碓氷第三橋梁(めがね橋)に到着します。春や秋の行楽シーズンにお出かけになってはいかがですか。

画像提供:安中市

そもそも碓氷第三橋梁(めがね橋)はどこにある

当時のアプト式鉄道は群馬県横川~長野県軽井沢間の碓氷峠旧道に沿うように敷設され、碓氷第三橋梁(めがね橋)は碓氷湖の北西400mの付近に位置します。住所はありませんが、Google Mapsで「碓氷峠 めがね橋」と入力すれば表示されますよ。

1.遊歩道「アブトの道」を歩き出そう

群馬県横川といえば、関東圏の方はよくご存じ「峠の釜めし」のおぎのやさん。ちゃんとJR信越本線横川駅の改札を出た駅前にありました。
で、ここから歩くこと100m程の「碓氷峠鉄道文化むら」前の交差点にアプトの道の起点となる看板が設置されています。

どれどれ、めがね橋ありました。4.7Kmで間違いないですね。全体をイメージしやすいよう、下にGoogle Mapsもつけました。ちゃんと遊歩道である「アブトの道」でルート検索できるなんて便利ですね。ただ、この表示は地図上の距離を平均歩行速度で割り出しているようで、実際には登りの傾斜があり個人的には安中市役所HPが表示している横川駅~碓氷第三橋梁(めがね橋)の時間数95分=1時間35分の方が合っているように思いました。

歩き始めると遊歩道の左手に碓氷峠鉄道文化むらの静態展示された鉄道車両と妙義山に連なる険しい山々を見ることができます。

あれ~?!トロッコ列車が走ってる。トロッコ列車は運転日(土曜・日曜・祝日・8月等)が決まっているのですが、足に自信のない方は峠の湯までの2.6Kmはこちらの力を借りる手もありますよ。

2.峠の湯までは何がある?

トロッコ列車を見送り歩みを進めます。2.6Km先の峠の湯までは基本的にこのような直線。

見えてきたのは上信越自動車道の碓氷橋。首都高速道路の「かつしかハープ橋」と同じ斜張橋の仲間です。

横川駅から1.7Km地点。見えてきたのが旧丸山変電所。アプト式鉄道はトンネル区間が長く、蒸気機関車の煙の排気の問題から電気機関車で運行されていたため、このような変電施設が必要でした。

旧丸山変電所は1912年(明治45年)に建てられ、今は国指定重要文化財となっています。

碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」に到着したら、遊歩道から建物正面に回ってごつごつとした妙義山を見ながら

孫悟空が出てこないかな~

と妄想を膨らませて、しばしリラックスしてみました。峠の湯は物販や飲食、日帰り入浴施設まであるので、行き帰りに休憩を兼ねて利用するのもよいでしょう。

3.峠の湯から碓氷第三橋梁(めがね橋)へ

さぁ。アプトの道に戻ります。めがね橋へは5つのトンネルをくぐります。どれも当時のレンガ造でなかなか味わい深いです。

これは2号トンネル。入口付近が補強されています。現代の工法であれば鉄骨やコンクリートなどに支えられていることを考えると、大部分がレンガ造で残っているのは高い技術力と言えるのではないでしょうか。

4号トンネルに入ってみると、さすがにここは漏水で苔むした場所が多かった。

5号トンネルを出ます。出た先が碓氷第三橋梁(めがね橋)です。

4.碓氷第三橋梁(めがね橋)で自撮りのベストポジション

画像提供:安中市
テレビ朝日系ドラマ『Believe−君にかける橋−』木村拓哉さん天海祐希さん写真背景(記事下段X参照)

5号トンネルを抜けると、碓氷第三橋梁(めがね橋)の上に到着です。上の写真は登ってきた方向の右側で、谷の中腹に1963年(昭和38年)~1997年(平成9年)まで使用された信越本線の橋梁が見えます。

ここをバックに写真を撮れば、あなたも木村拓哉さんや天海祐希さんの気分に浸れるかもしれません。下のXの写真で角度を確認し、木村さんのように首の左右に橋梁が映り込んでいればベストポジションです。

それでは左の写真の道標脇の階段から下に降りて、レンガ造のアーチの美しさを確認してめがね橋までのアプトの道の旅は終了です。

画像提供:安中市

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この記事を書いた人

Kunie

20代で首都圏エリアの情報誌のライターをしていました。その後、一般企業に転職。東京から長野へ移住、単身赴任、親の介護を経て子供の独立を機に退職。地元誌のインタビュー記事を担当させていただいたご縁から、20代から長いトンネルを経て、またライターで働いてみようと日々奮闘中です。

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