スーパーもコンビニも信号もないけど心も生活も豊かさを感じる理由とは?
国道257号線から福岡坂下線に入ると、グッと山が近くなり、田園の風景が広がります。
ここは中津川市川上(かわうえ)地区。
人口約650人、面積の90パーセントが森林。最近観光客が急増している龍神の滝があり、何より川上を見守ってきた夕森が今も川上を見守っています。
パワースポットとしても人気の龍神の滝
深い山並みの夕森。川上の人々を見守ってきました
信号がなく、通年営業している飲食店は昼に1軒、夜に1軒あるのみ。
スーパーもコンビニもありません。
しかし車で少し走れば買い物する場所はあるし、そこまで不便じゃないのに秘境感すら感じることができる不思議な地域。
その川上地区が、今年から様々な試みを行っているそうで、今回中津川市集落支援員川上担当、川上まちづくり推進協議会理事(移住定住促進部会長)の鈴木さんにお話をお伺いしました。
実は鈴木さん自身も川上が気に入り移住してきた方。川上を愛しているお一人です。
「川上に移住してとても満足しています。その上でこれからの川上を住民のみなさんと一緒に考えて、行動に移していけたらと考えてます」
川上地区のホットスポット、かたらいの里。日帰り温泉がありますよ!
「川上地区は、江戸時代は尾張藩の天領でした。ヒノキの産地で豊かな森があり、豊かな一面もあったと思います。例えば、ゴミ置き場はヒノキでできていたり、バス停の待合ボックスも川上らしさ満点だったり。なかなか他の地域では見ないですよね」
なんだかアニメに出てきそうなかわいい待合ボックス
このゴミ捨て場の広さはワンルームのロフトくらいの広さで立派なものです!
「川上は、昭和29年(1954)年に制定された学校給食法のずっと前の大正10年(1921)に、全国で初めて栄養学的な見地から小学校全校児童を対象とした給食がスタートした歴史があり、街灯も、上下水道も、ケーブルテレビやネットが導入されるのも早かった。何かが始まるのが早い地区でもあり、これほど自然が多い地域でありながら、生活するのにそれほど困ることがありません。川上の人はその豊かさがあったからか、おおらかでがめつさがない人が多いですね」
そういった、自然も人間もほのぼのした人が多い地区なのです。
住民の5人に1人が参加した座談会とアンケートからはじまる、川上の未来への旅
それほど素敵な場所でもある川上地区でも、押し寄せる人口減少の波。
「長年抗ってきたのですが、中学校、保育園が統合され、さらに小学校までもが統合に向かって舵が切られたことは、地域にとって苦渋の決断でした。学校がなくなるということは、教育を通して川上の文化を伝える機会が減ってしまう。何より登下校を見守ることができなくなるのは地域みんなにとって本当に寂しいことです」
それだけがきっかけというわけではありませんが、川上地区は少しずつ小さな挑戦をしていくことに。
まずは自分の住む地域を見つめることから。
「元気な川上にするための座談会」「川上暮らしに関するアンケート」を
今年の春に住民の5人に1人が参加して、様々な意見を見える化しました。
私たちの住む場所は何がよくて、何が大切で、何が必要なんだろう?
コンビニ、と答えたのは10代の若い世代がメイン。車を使用する社会人になるとそこまでの必要性はなくなるそうです
浮き彫りになったのは、老後の不安、これからの将来、漠然とした不安でした。
日々生活する中で、草刈りや町内会などの役の負担の大きさ。
子どもたちにこの暮らしを勧められるだろうか?
でも川上が好き。この地域のみんなが好き。このまま住み続けたい!
衰退するのは困る!でも衰退を止める方法が分からない。
今まで心の中で秘めていた心配事を共有していきます。
そして、夏には第2弾として、第1弾では聞けなかった高齢者の意見を収集します。
若い世代が不安に思っていた、高齢になって運転できなくなってからの交通手段。しかし、実際当事者の高齢者の生活状況の調査をしてみると、不便を感じている人はゼロ。家族、親戚、近所の人に助けてもらっていて、日々の暮らしの中では何も困っていることがないということがわかったのです。地域の人たちの緊密なネットワーク、助け合いの精神。高齢者が困らないまちづくりのためには、住民同士の絆が鍵だということがわかり、それも今後の川上らしいまちづくりのヒントになっていきます。
川上のみなさんが求める未来は、発展よりも川上の暮らしがこのまま続くこと。
たくさんの声が文字に、言葉になり、共有しあったところで少しずつ川上地区の挑戦が始まっていきます。
キーワードは「川上らしさ」「心地よい暮らしを大事にすること」「他の地域と均一になることはできるだけしない」という、オリジナリティ。そして何より「住民のための川上」を第一にすること。
果たしてその挑戦とは?
後編に続きます!