沖縄本島の北部に、世界自然遺産に登録された森があります。ここは古くからやんばると呼ばれ、東村、大宜味村、そして国頭村にまたがり、独特の景観を示す照葉樹林が広がります。
日本で5番目となる自然遺産登録は、明るい話題として世間を賑わせました。この世界自然遺産エリアの大部分は国頭村に集中しており、「森を守って次世代に引き継ぐ」という約束を世界と結んだ一方で、国頭村を含めたやんばる3村では過疎高齢化などの問題も進行しています。
そんな中、やんばるの森を次の世代に引き継ぐため「市民による市民のための自然環境調査」を続けている人たちがいます。
今回、その活動に参加してお話を聞かせてもらいました。
沖縄、やんばるで開催される「自然観察会」
集まったのは、やんばるのとある場所。
世界自然遺産登録エリアの境目のような地域で開催される「Yambaru Science Café」(以下、やんばるサイエンスカフェ)に参加しました。
今日は「春の虫」をテーマにした自然観察会です。やんばるサイエンスカフェでは1ヶ月に1回程度、座学や野外での観察会が開催されています。
<自然観察会とは?>
耳慣れない自然観察会という言葉ですが、文字通り、自然を観察するイベントのこと。ひとりだったら気づかずに素通りしたり、見てもわからなかったりする生き物や自然環境について、詳しい人にフィールドで教えてもらいながらゆっくり散策をするものです。足元の小さな自然に意味づけする貴重なアハ体験ができます。
今回の観察会は、図鑑の執筆もしている写真家を講師に迎えて、ひと味違う観察会になる予感です。さて、1年のうちたった数週間しか出会えない生き物に会いに行きます!
まずは、やんばるのニオイを堪能する
今日出会えたら嬉しい虫のシルエットが描かれたワークシートをもらいました。
これっぽい生き物を見つけたら教えてね!と言われましたが、果たして見つけられるのか。観察した生き物をあとで振り返ることができる仕掛けは嬉しいです。
フィールドを歩き始めると、甘い匂いが立ち込めていることに気づきました。街の中では嗅いだことのない甘い匂いの正体を質問すると、答えは「イタジイ」でした。
この樹木は、やんばるの森を構成する代表的な種類です。沖縄以外での呼び名は「スダジイ」といい、生でも食べられるおいしいドングリが実るので、森の生き物へ栄養を供給する大事な役割も果たしています。
深呼吸をして、胸いっぱいにイタジイのニオイを吸い込む。世界中でやんばるじゃないとできない体験トップ10に入るのではないでしょうか。
植物に触って感じる、春という季節感
足元に咲いている小さな青い花を眺めていると、茎を触ってみることを勧められました。おっかなびっくり触ってみると、なんと四角い……。「茎が四角いのはシソ科の特徴ですよ」ということで、無事にやんばるに暮らすシソ科の植物とコミュニケーションできました。
こういった自然観察会では、しばしば名前は二の次です。後から図鑑を引けば、すぐ名前は調べられますが、生えている毛の感触や生息環境の様子などは、観察に集中しないと気づかないからです。せっかく現地にいるのですから、五感をつかって観察する。とても幸せな環境ですね。
この植物は「アカボシタツナミソウ」といい、以下のような特徴で植物を覚えました。
- 2月にやんばるで観察した
- 森の外周部のやや薄暗い場所が好き?
- 触らないとわからない四角い茎
- 花は筒状で、蜜が奥にありそうな形
- 花の色は、白地に青ドットが入る
しかし、次回見つけたとき、名前を覚えているかは自信がないです……。
昆虫との出会い方、参加者全員でみーぐるぐる
ワークシートに描かれたシルエットの昆虫とも、無事に出会うことができました。
葉の上にいる小さな虫を発見するのは目が慣れていないと難しく、見つけるためにもらったヒントは「咲いている花を観察する」こと。虫だけを闇雲に探すのではなく、虫が来そうな場所を観察すると出会えるかも?というわけで参加者全員でみーぐるぐる(沖縄の方言で目をキョロキョロさせること)。
無事に、虎柄模様が鮮やかな虫や、胸の部分が黄色でそれ以外がメタリックブルーの虫などに出会えました。ぜひ皆さんも春のやんばるを実際に訪れて、自分の五感で自然を感じてください。
<実は、どんな生き物がいたか詳細は言えません>
やんばるの森で春にしか出会えない虫となると、だいたいが珍しい生き物です。そのため、場所がわかってしまうと採集などの悪影響が考えられます。やんばるの森では、保護対象の生き物を狙った違法な採集が後を絶たず、地域や環境省が対応に追われています。
やんばるビジョンという団体。その活動から見えてくるもの
楽しかった観察会が終わり、やんばるビジョンの大島順子さんにお話を伺いました。出てきたキーワードは3つ、『地域住民・モニタリング・気候変動』です。参加したイベントからは、気候変動というキーワードへの結びつきを感じず、スケールの大きさに戸惑いながらも詳しく教えてもらいました。
2015年、やんばるの自然や文化を守ることで地域の発展につなげるという目的をもって団体が立ち上がりました。2013年から、やんばる・西表島・奄美大島・徳之島を世界自然遺産に登録する動きが本格的に始まって、地域の資源として自然環境を捉え直す機運が、やんばるで高まっていた時期でもあります。
地域に住む自分たちの手で、親しんできた自然や文化を子どもたちにつなげていきたいという思いが原動力のやんばるビジョン。自然だけでなく、農業や林業や漁業、そういった産業も役員として参加している点から、トータルで国頭を考えたいという団体の思いが伺えます。
普段の活動は国頭村内の教職員に向けた研修と、村内の親子に向けた自然学校(くんじゃん山学校)の開催だそうです。自然や文化を未来へつないでいくためには教育の役割が重要という考えで、教育を非常に重視しているのが印象的でした。
やんばるの自然を捉え直すフェノロジー調査
その一方で、ユニークな自然環境調査もしています。それを「フェノロジー調査」といい、生物暦(せいぶつごよみ)を明らかにするためのモニタリング調査です。
「地球温暖化という現象が実際に起きていて、その影響はきっと世界自然遺産であるやんばるにも出ていると思うんです。ただ、その影響を調べようと思ったときに変化を追いかけられるまとまったデータがないことに気づきました」
多くの研究者が出入りするやんばるですが、学術調査のデータを取得するにはそもそものアクセスの難しさや、内容の難解さがネックです。そこで、住んでいる人が調査した生きたデータを扱うことを大島さんたちは考えました。
「花が咲いたとか鳥が鳴いたとか、季節の彩りが移り変わっていく様子は誰でも気付くことができると思うんです。地域に住んでいる『市民』が集めた調査データを使って、誰でも見られるものをアウトプットすることを目指しています」
フェノロジーを明らかにするために長期間・同一項目でデータを取るモニタリング調査を、まずは自分たちで行い、様子を見ながらブラッシュアップを行うことにしたそうです。
走る車から国頭村の生き物をチェックする
現在は、4名の方が調査員としてフェノロジー調査を行っています。調査では車を使い、各ルートを時速20km以下で移動しながら哺乳類・鳥類・両生類・爬虫類・昆虫・植物の記録を取っていきます。例えば植物だと、種名を把握しながら『花・つぼみ・結実』でどの段階かを、車窓からチェックして記録していきます。
一番長いルートは、国頭村を西から東へ、沖縄本島最北端の辺戸岬あたりを通りながらぐるっと回るコース。ほかにも、森の中や海の近く、ダムの周りなどを通る4つのルートがあります。決まったこれらのルートを回りながら、国頭村全体の傾向をつかもうとしています。
調査は朝5時から、または夜8時から始めて、1回の調査に2〜3時間かかるそうです。ほぼ毎週どこかで調査を行っているようなので、国頭村をドライブしていたら、どこかですれ違っているかもしれませんね。
▲調査員のノートには、勉強中という生き物の名前がびっしり
コミュニケーションの場としてのやんばるサイエンスカフェ
やんばるサイエンスカフェは、生き物好き以外に来られても困ってしまうかも…?そんな疑問が浮かんだので伺ってみました。
「やんばるサイエンスカフェは、生き物好きな一部のマニア層に向けているわけではなく、幅広い人たちを対象にしています。いろいろな人に、地域の自然の移ろいに関心を持っていただきたいと思って開催しています」
誰でも来て良いそうです!生き物に広く興味を持ってもらいたいという思いについてもう少し伺ってみました。
「生き物を観察するとき、ともすると関心のある花だけ・虫だけになりやすいと思います。ですが、生き物同士は関係し合っていて、複雑な生態系の中で存在しています。特定の生き物だけでなく、関わりがある他の生き物にもぜひ目を向けてほしいと思って、やんばるサイエンスカフェではいろいろな生き物や話題を扱って開催しています」
今回のやんばるサイエンスカフェは自然観察会。テーマは「春の虫」でした。以前はクモやカエルをテーマにした座学もあって、確かに話題の範囲は広いです。回によっては野外に出たりする点も生態系を感じられるポイントです。
「今後は、フェノロジー調査で得られたことをお伝えしたり、やんばるについて知見がある人と交流することで、みんなで考えたり、共感したりする場として機能させていきたいです。参加してくださった方が、ご自身の周りにある自然を気にかけてくれるようになったら最高です」
自然の観方(みかた)が変わるかもしれないやんばるサイエンスカフェは、どなたでも参加できる点も特徴です。ぜひ皆さん、次回の開催を心待ちにしていてください。
今後はデータサイエンスまで。地域の自然を守るのはだれ?
自然環境を守る活動はこれまで市場価値で評価されてこなかったため、保全活動で収益を上げることは非常に困難です。
「フェノロジー調査とやんばるサイエンスカフェは、『地球環境基金』で助成金を獲得しています。助成期間が決まっていて、今は2年目の『つづける助成』というフェーズに入っています」
生物多様性保全を行う地域の小さな団体は、助成金を足がかりに活動しています。今後、データを利活用するために、データサイエンスへの取り組みや新しい分野にチャレンジしながらデータの妥当性・正当性を確保していくのも目標だとおっしゃっていました。
その地域で活動しているからこそ、大きな取り組みにチャレンジできるやんばるビジョン。
やんばるの自然をフェノロジー調査でモニタリングしながら、その成果をやんばるサイエンスカフェを通して地域に還元していくフローは、お金も人手も必要です。こういった団体が存在することで「沖縄らしさ」が守られています。
しかし、やんばるの自然はやんばるビジョンだけが守るものではなく、沖縄に住む人・観光に来る人も含めた多くの関係者が、将来にわたって「沖縄らしさ」を愛するために、みんなで取り組むことが求められています。
どの地域にも、そこの自然を守ろうと頑張っている人たちがいます。
やんばるビジョンの活動を知って、また自分の地域に同じような活動をしている人たちがいないか。この記事を最後まで読んでくれた方に、興味を持ってもらえたら嬉しいです。
取材・撮影・文/幸地あやこ
編集/みやねえ(OKINAWA GRIT)