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人  |    2023.10.08

「自分の根底にあるのは3つ」サウンドクリエイター・新田紘三さんが歩んできた音楽人生を辿る

この曲を聴くと、「あの人」「あの場所」「あの時代」「あのときの感情」を思い出す。
この曲を聴くと、頑張ろうと思える、やる気がみなぎる、愛おしい気持ちになる。

そんなことが私にはよくある。音楽には不思議なパワーがあるが「どうやって音楽は生まれるんだろう」「音楽を生み出す人ってどんな人なんだろう」と、ふと疑問が湧いた。

キーボードを演奏している新田さん(写真提供:新田紘三さん)

そこで今回は、サウンドクリエイターの新田紘三(しんでんこうぞう)さんに話を伺った。「oto-no-mori.com」という屋号を掲げ、活動している。

「やっぱり音楽を学びたい」大学受験直前に方向転換

新田さんは1977年、鹿児島市生まれ。鶴丸高等学校普通科へ進学し、バンドを3つも掛け持ちするほど、音楽活動に夢中な高校生活を過ごした。

高校卒業後は、哲学を学べる広島大学への進学を目指していたが、大好きな音楽への思いを捨てきれず、進路先を見直した。センター試験直前、高校3年の冬のこと。

入試に実技試験はないが、音楽を専攻して学べる大学。必死に情報を集めた末、見つけた「京都教育大学 教育学部 総合科学課程 情報音楽専攻」。まさに、自分が求める理想の進路先だった。

ここに合格するため、校内の音楽の先生を頼り、直談判で進路相談をした。相談当初は、その先生に「今から間に合うのか」と心配されたが、希望する専攻には当時、鹿児島出身の教授が2名在籍していた。また、先生とその教授たちとの間には親交があった。そんな偶然と幸運が重なり、限られた短い期間で十分な受験対策のサポートを受けることができた。

音楽に没頭した大学生活。教員の道を選ばず一般企業へ就職

希望の大学に晴れて合格。鹿児島を離れて、京都での新生活が始まった。

大学の仲間たちと作曲に没頭した日々(写真提供:新田紘三さん)

「あの頃に戻りたい」と今でも思うほど、大学生活は楽しかった。少人数でありながら、音楽好きな学生たちが集まる同じ専攻の友人たちと徹夜で作曲に没頭したことも多々。

大学生活も終盤を迎えると、避けては通れないのが就職活動。教員免許を取ることは卒業条件ではなかったものの、教員の道も視野に入れて、2週間の教育実習を経験した。

しかし、この実習で「自分は先生には向かない」ということに気づく。それに当時は教員氷河期の時代。教員になることはとても難しく、その上、音楽という専門科目は募集人数も少なく、狭き門。教員採用試験を10年以上受けても通らない人も見てきた。

大学の卒業式(写真提供:新田紘三さん)

そういった時代背景や自分の気持ちもあり、一般企業に就職。専攻していた「情報音楽」の「情報」を活かして、PCの使い方の指導、相談、設定、サポートなどを主な業務とする仕事に就いた。その傍ら、マンションの一室を「スタジオ 音の森」と命名して、音楽関係の仕事もしていた。

鬱を発症し、鹿児島に戻ることに

28歳の頃、自分の心身の異変を感じ心療内科を受診すると、自分が初期の鬱状態であることが判明。それを機に、仕事がひと段落したタイミングで京都を離れ、鹿児島へ戻ることにした。

Uターンしてから5年ほどは引きこもり状態。ちょうどその頃に聴き始めたのがジャズだった。ビル・エヴァンスにハマった。彼が晩年に録音したアルバム「You Must Believe in Spring」のなかの「We Will Meet Again (For Harry)」がお気に入りで、その曲を聴くと当時の情景が浮かぶという。

自分の人生のどの場面にも音楽が傍にいた

そんな生活から徐々に立ち直っていき、知人のつてで音楽やホームページ、ネット関係の仕事を再始動して、今に至る。

ピアノと出会った頃(写真提供:新田紘三さん)

「幼稚園に入るか入らないかの頃、近所に住んでいた元幼稚園教諭のご自宅でピアノを習っていました。自らピアノに興味を持った姿に、親がアップライトピアノを買ってくれたんです。それは40年経った今でも実家にありますよ。これが僕と音楽の始まりだと思います。」

と音楽人生の原点を振り返ってくれた。

新田さんには、幼少期に影響を受けたアーティストがいる。一つはTM NETWORK。当時の最先端だったPCを使って作曲することに衝撃を受けた。次に聖飢魔II。ロックを好きになったきっかけだ。そして最後にドラゴンクエスト。CD販売されたオーケストラアレンジを聴いてオーケストラの面白さを実感するとともに、クラシックへの興味も芽生えた。これらが音楽人生の根底にあるようだ。

人の印象に残る“音”づくりを目指して

スタジオの風景(写真提供:新田紘三さん)

ここ最近は、ボーカロイド(歌声合成システム)に興味を持ち、導入したライブラリで作曲することも多いという。ボーカロイドからは、人間では歌えない、機械だから歌える面白さや可能性を感じる。

最後に、新田さんが信じている音楽のチカラとそれにかける思いを教えてくれた。

「人は、音楽と何かしらの形で関わりがあり、生きていくなかで音楽を必要とする瞬間が必ずあると思うんです。音楽によって、落ち込んだ気持ちから取り戻してくれたり、何かの曲を聴くことで昔を思い出したり、誰かとカラオケで盛り上がったりと、さまざまな感情を与えてくれます。それだけ耳から受ける情報は人の記憶に残りやすく、心に訴えかけてくるもの。そんな印象に残る“音”をこれからも作っていきたいですね。」

ときに困難や苦労、挫折を味わっても、そのたびに音楽に救われてきた。そんな新田さんと二人三脚の音楽にもっと触れたくなった。

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この記事を書いた人

きゃんまり

鹿児島出身、関東在住。広告代理店に勤務し、ライターとしても活動中。取材ありの記事執筆やイベントレポートの作成が得意。一歩鹿児島を出ると、「鹿児島の本当の魅力が知られていない」「鹿児島と無縁の人が多い」と痛感しています。大好きなふるさと鹿児島を一人でも多くの人に知ってもらい、ファンになってもらうために、鹿児島のモノ・コト・ヒトに関する情報をお届けします。

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