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人  |    2024.05.16

慈覚大師円仁|世界史にも登場する偉人は平安時代の旅行ブロガー?

栃木県栃木市岩舟町に平安時代初期の高僧「慈覚大師円仁(じかくたいしえんにん)」の誕生の地があります。世界三大旅行記の1つ「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」を書かれた世界的に知られる人物です。

「慈覚大師円仁」は、遣唐使として唐に渡り多くの貴重な経典を日本に持ち帰られました。また、東京都台東区にある日本を代表する観光名所の1つ浅草寺を中興した人物でもあります。

本記事では、世界史にも登場する偉人の誕生地と「慈覚大師円仁」についてご紹介します。

三毳山(みかもやま)の麓で誕生

「慈覚大師円仁」は、延暦13年(794年)栃木県の栃木市と佐野市にまたがる三毳山の麓で、豪族壬生氏の次男として誕生されました。

幼い頃に父を亡くしたため、母と兄によって育てられました。大同3年(808年)15歳の時に比叡山延暦寺の最澄のもとで学ぶために比叡山へ登ります。承和5年(838年)「慈覚大師円仁」が45歳の時に遣唐使として唐に留学し、多くの貴重な経典を日本へ持ち帰って来られました。

以下の写真は「慈覚大師円仁」のかなり大きな立像です。大きな立像を立てるほど「慈覚大師円仁」を誇りに思う地元の方達の思いを感じます。

以下の写真は「慈覚大師円仁」が誕生された時に体を洗った産湯の井です。鉄柵で囲われており貴重な場所であると伺えます。

世界三大旅行記の1つ「入唐求法巡礼行記」

「慈覚大師円仁」は、遣唐使として唐に留学されていた際に、世界三大旅行記の1つ「入唐求法巡礼行記」を書かれました。世界三大旅行記は、イタリア人のマルコ・ポーロが日本を黄金の国ジパングとして紹介した「東方見聞録」でも知られる世界の様子が記された非常に貴重な資料です。

「入唐求法巡礼行記」は、当時の唐の庶民の生活や風習、社会や行政の様子が詳細に記されており、歴史上において貴重な資料として高く評価されています。

昭和30年(1955年)には、駐日アメリカ合衆国大使でハーバード大学教授でもあったエドウィン・O・ライシャワー氏によって英訳され、世界各国に認知されました。

以下の写真は、エドウィン・O・ライシャワー氏が昭和39年(1964年)に誕生の地を訪れたのを記念して建てられた石碑です。

エドウィン・O・ライシャワー氏も、当時の唐の生活や社会の様子を客観的に見て詳細に記されている「入唐求法巡礼行記」を高く評価しています。

浅草寺の中興の祖

「慈覚大師円仁」は、日本を代表する観光名所の1つ浅草の浅草寺を中興された人物です。

以下の写真は仲見世を通って浅草寺に向かう途中にある「慈覚大師円仁」が描かれている絵です。

比叡山延暦寺から来山され、秘仏の前に奉安されている御前立を彫られている様子が描かれています。

「慈覚大師円仁」が存在しなかったら、今の浅草寺はなかったかもしれません。日本人だけでなく外国人にも大変人気のある観光名所なので、後世の日本にも大きく貢献されています。

「慈覚大師円仁」のまとめ

世界的な偉人「慈覚大師円仁」をご紹介しました。紹介した立像や産湯の井などがある一帯は誕生の地として栃木市指定史跡となっています。ぜひ誕生の地を訪ね、日本の歴史に大きく貢献された人物の歴史の一部に触れてみてください。

「慈覚大師円仁」誕生の地

住所:栃木県栃木市岩舟町下津原1198
【最寄り駅】
  JR岩舟駅 タクシーで約5分
  JR岩舟駅 バスで約10分(円仁誕生地入口下車)
  JR岩舟駅 徒歩で約30分
       東北自動車道 佐野藤岡IC 車で約10分
【最寄り駐車場】
     「慈覚大師円仁」誕生の地南側にあり

栃木市観光協会ホームページ:慈覚大師円仁誕生の地 – 栃木市観光協会 (tochigi-kankou.or.jp)
岩舟町商工会ホームページ:慈覚大師 円仁(じかくだいしえんにん) 岩舟町観光情報|岩舟町商工会|栃木市 (iwafune-shokokai.or.jp)

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この記事を書いた人

ヒロ

栃木県佐野市に住む40代男性。趣味は旅行、ドライブ、バスケ観戦。佐野市周辺地域は、全国に誇れる観光スポット、食、特産品、名所、歴史など魅力がたくさんあります。記事を通してこの地域の魅力を皆さんに少しでも知っていただき、「行ってみたい!」「来てよかった!」と思ってもらえるような記事を書いていきたいと思います!

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