前編に続き、神奈川県で傘作りを行う「leica」の代表、東 千尋さんの物語に迫っていく。
今でこそ手作りで多種多様な傘を製作する千尋さんだが、中高生の頃は“作る”ことをしてこなかったそうだ。受験シーズンには部活を引退し、周りの友達も一斉に勉強をやりだす状況に、ある種の恐れを感じたと言う。このタイミングで、徐々に人生の歯車が「作家」としての道にシフトしていったようだ。
「ただご飯を食べるために働くなら、人間じゃなくても良い」マグロを見てそう思った
——物作りをしようと思ったきっかけとなる出来事はありましたか?
「実は中高生の頃は物作りをしていませんでした。きっかけでもないのですが、受験のシーズン中に“生きてるって何だろう”って、ふと思ったことがあったんです。ただご飯食べるだけに働くなら、人間じゃなくてもいいのではないか?水族館のマグロを見て、そう思ったんです。だからこそ、五感を大切にして自分のやりたいことをやりたいなと思いました」
受験中に色々なことを考えていたという千尋さん。結果的に特殊メイクの専門学校へと進学を決め、普通の大学には行かなかった。その理由は、“ぶっとんでて面白そうだったから”。特殊な技術を教えてくれるため、スキルは身に付くと感じて入学を決めたそうだ。
だが、そこにはもう一つの理由も存在していた。とにかく大学には行きたくないけど、将来に対する一抹の不安は拭えない。だからこそ普通の大学ではなく、手に職がつく特殊メイクの学校に決めたのだそう。
社会からの目を気にしつつも、自分の直感に従う千尋さん。常識人であるからこそ、クリエイティブな自分とのギャップに苛まれている様子が窺えた。
もしかしたら、常識と自分の直感の狭間で悩み苦しみ、結果として直感を押し殺してしまう人は多いのかもしれない。それでも己の感性を育み、多少の社会常識に囚われながらも直感を信じてきた千尋さんだからこそ、今は物作りというやりたいことに向き合えているのだろう。
——傘作りに至るまで、さまざまなターニングポイントがあったのですね。今後はどのような展望を望んでいるのか、教えていただけますか?
「今後は、完全オーダー制で傘作りをやってみたいと思っています。というのも、傘作りのイベントを実施した際に、お客さんが生地選びから実際の作る工程までを経て、完成した時の達成感に満ちた顔が忘れられないんです。これってつまり、私が五感で楽しんでいる傘作りの面白さを、一般の方にも感じてもらえているのかなって」
「色使いのことで会話をする親子を見て『これだ!』って、またピーン!と来たんですよね。色々な人が、傘作りを通して感覚とか感性とかを思い出せたら良いなと思いました。そして、自分が作った傘を見て、その時の想いやにおい、感触を思い出せる傘を作りたいと思っています」
「あと、技術面でまだまだできないことが多くあるので、それらを習得したいと思っています。日本には素晴らしい技術がたくさんあるものの、その技術を伝承する後継者がいないのがもったいないと感じています。まずはそれを皆さんに共有したいんです。あとは、肩書きがあった方が信頼してもらえると思うので、資格の勉強にも興味を持ち始めています」
——思い出が蘇る傘って、とても素敵ですね。では、今後も傘作りは続けていくのでしょうか?
「はい、傘作りは続けたいです。たとえ傘作りができなくなっても、物作りはしていきたいと考えています。それこそ、今作っている傘の生地が魚に見えてきて。生地の質感が魚の鱗みたいに思えたり、切れ端が小魚に見えてきたり。まだ商品化はしていませんが、小物も製作しているので、いつか売りたいと思っています」
最近になり、ようやく社会的な目を気にする自分が吹っ切れてきたと語る千尋さん。これまで数々の迷いを乗り越え、ある時は常識を、ある時は直感を信じてここまで来た。その末に辿り着いたのは、やはり直感だった。自分の興味を優先し、第六感とも言うべき直感を信じた結果、今の「leica」が生まれたのだろう。
もし今、社会の常識と自分の直感との狭間で迷っていることがあれば、「leica」の傘を一本手に取って広げてみてはどうだろうか。傘を広げた瞬間の高揚感と開放感は、自分の心を素直にしてくれるはずだ。