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アート  |    2024.01.12

草木染めを、江の島から。26歳の『染め師』が選んだ自己表現方法【後編】

【前編】で、わたしは初めて『草木染め』を目にしました。

草木から染液を抽出されるのを待つ時間、染液に染まっていくの待つ時間。

草木染めは待ちが長いんですよ、と服部さんがおっしゃっていたのは印象的でした。

作業当日から数日後、改めてお話を聞かせていただけることに。

【後編】では、服部さんが『草木染め』に感じた魅力と、魅了された理由ときっかけ、得られたものなどをご紹介致します。

草木染めとの出会い

まずは、『草木染め』との出会いから伺いました。

ーー初めて草木染めを見させていただき、わたしも『草木染め』に感動しました。服部さんが草木染めをやろうと思ったきっかけを教えてください。

服部さん:

「何かを見てその衝撃で、というわけではなかったです。今まで自分が過ごしてきた時間の中から、ふつふつと湧いてきました。初めて草木染めに触れたのは小学校2年生の時で、「よさこい」衣装に玉ねぎ染めをしました。
あとは、洋服が好きで古着にも興味がありました。日本人の物を大切にする文化が自分の根底にあります。染直しをすれば、古いものでも再び価値を持つのが『草木染め』です。
自分は手仕事が好きで、日本古来の文化で手仕事である『草木染め』にどんどん惹かれました」

ーーなるほど。次第に惹かれていったことがわかりました。『染め師』として仕事しようと思われたきっかけについてお話ください。

服部さん:

「恥ずかしい話ですが、大学4年の時、就活はしてなくて(笑)。ただ草木染めはやりたかったんです。大学卒業して、就職して、という流れでは無いかなと。草木染めをさせてもらえるところに、なんとか潜り込みたいみたいな(笑)。調べた所、東京でされてるアトリエ・ブティックがあって。
“販売スタッフ募集”をされていたのですが、とにかくやりたくて、面接で『染め師』やらせてくださいと言いました。
面接の時点で取り合ってもらえるわけでもなかったんですが、でもまあ、とりあえず販売スタッフで雇ってもらいました。入ってしまえば、あとは自分次第でどうにかなるかなと(笑)」

販売スタッフから『染め師」へ

ーー(笑)完全に力技ですね!!仕事で必要な知識は、どのように身につけられたのでしょうか?

服部さん:

「ほんとイチからです。素材や編み方など、商品の説明を学んで、1年間は販売スタッフとして働きました。そこで自分の意思を、仕事に向かう姿勢なんかを通して伝えていきました。そのおかげか、お店で月に一度ある『草木染め』のワークショップのサポートをさせてもらえることになったんです。
ワークショップの講師は、アトリエ・ブティックのオーナーである”師匠”がされていました。目の前で師匠がやっていたことのすべてをメモして、ワークショップで使われていた道具を全部揃え、家に持ち帰って反復、反復です。そうやって『染め』を身につけました。
反復する以外に身につける方法は無い、と信じていたし、とにかく反復しました。目の前で繰り広げられた『草木染め』に感じた面白味と、”師匠を超えてやる!!”という強い思いで、師匠にくっついてどんどん『染め』をやりました」

ーーその後、販売スタッフから徐々に『染め師』として仕事をするようになられた。商品を手掛けるようになったのですね。『染め』の最初の仕事は何だったでしょうか?

服部さん:

「ひたすら布地の下処理でしたね。あらゆる素材の下処理方法をに身につけました。下処理をする中で、適切な下処理ができると師匠に信用してもらえるようになったんでしょうね。いつ頃か覚えていないのですが『染めといて』と言われて。周りのみんなもびっくりするくらい(笑)。
そこから商品を染めるようになったと思います。ん〜、確か入って1年くらいかな。『染め』について師匠が教えてくれること全てを100%実行して、空っぽの自分に吸収させていきました」

師匠の元を離れる時

ーー師匠の技術を学びつつ、実績と経験を積まれたのですね。現在は独立して『染め師』として活動されています。独立を目指した時期はいつ頃からでしょうか?

服部さん:

「『染め』をやらせてもらい始めて、だんだんと自分が思う”カッコいいもの”を作りたいと思い始めたんです。仕事だから引き受けないわけにはいかないけど、自分の意図とは違う仕事が入ることがあって、違和感を覚えたんです。自分がやりたいことは、そうじゃなくて。
自分なりにやってみたいと思うことをアウトプットしたい、挑戦したい、という気持ちを師匠に伝えました。師匠から”いいね、やってみなよ。どこでやっても大丈夫だよ”という言葉をもらって決心できたんです。師匠以外の『染め師』がやってることも見てみたかったし、それで師匠の元は離れました」

ーー師匠の元で3年間。その後、独立したのですね。独立後の活動について教えてください。

服部さん:

「2021年の3月に東京での勤めを終えました。勤めている間、地元江の島の古着屋さんに遊びに行っていたのですが、たまたまその3月に古着屋さんの店舗改装があり、暇だったこともあって手伝ったんです。
改装が終わって、古着屋さんのオーナーから”染めはいくらでもやっていいから、お店手伝ってよ”と言ってもらえて、そのまま。今は古着屋さんで勤めながら、オーダーされた『染め』や、オリジナル服の作成の企画提案をしています。
企画提案は、日常のコミュニケーションから生まれるので、改まったミーティングなどはしていません。古着屋オーナーさんとは、ものづくりが好きという共通意識で繋がっています」

ーー『染め師』として現在に至っている、と。最後に、『草木染め』について服部さんが感じている価値観を教えてください。

服部さん:

「循環のサイクルの中での、ものづくり。現代は、ファストファッションに代表される”使い捨て”が主流でしょうね。草木染めは再生のサイクル。草木染めでは、玉ねぎの皮や、コーヒーの出がらしから染料を抽出します。
玉ねぎの皮やコーヒーの出がらしは普通、捨てられるものですが、草木染めでは染料に使います。染料に使った玉ねぎの皮やコーヒーの出がらしは、捨てても土に還ることができるものです。環境にやさしく、それを今風に言うと、サスティナビリティやSDGsでもあるかなと。

“元々あるもの”で、実はまかなえるんじゃないか。”元々あるもの”の循環の中でリユースすることが、自分は気持ち良く感じます。

自分のやることの”植物で染める”ということの価値観を少しでも感じてもらえたり、自分の活動を通して、新しい角度から、見たり、触れたり、感じたり。価値として見出だせたら面白いのではないか、そう思っています。そこに共感してくれたり、興味を持ってくれる人が増えたら嬉しいですね」

・・・少し間をとった服部さん。

「また草木染めの魅力の部分で、話の最初に戻るんですが・・・

草木染めのたまらない瞬間は、色が染まっていく瞬間。ひとつとして同じものは出ないし、同じ材料を使っても、同じ色は出ない。ひとつひとつに個性があることも魅力ですね」

屋号を木霊としている理由

ーー『木霊』を屋号として活動されている服部さんですが、”木霊”とは?

服部さん:

「古代日本人の生活は自然の心に祈ることから始まり、万物には神が宿り、それに対し感謝の祈りや救いの祈りをしていました。
草木にも神が宿るという想いから”木霊”と呼ばれ、人々の生活のおいて最も身近な存在の一つとされていました。日本古来の思想を大切に草木染めを通し、多くのことを表現できたらと思います。
強い薬効のある植物には、良い霊が宿るとされています。
衣服に植物の力を含ませ、身にまとうのが『草木染め』の本来の由来。屋号である”木霊”は、そんな思いで掲げています」

やりたいことへ最短距離でアプローチするのが、服部さんのスタイル。

行動力と、信念を貫く姿勢に、ただただ感銘を受けました。

古着屋さんに勤めつつ、店休日の火曜日を自らの”染めの日”と設定し、活動しています。

お店に並べるものの他にも、地元の友人や知人のオーダーに対応しており、オーダーした友人が遊びに来ることもあるのだとか。

地元ならではのアットホームな雰囲気を、取材を通して服部さんから感じ取れたような気がしました。

お店紹介

こちらが、服部さんがお勤めの古着屋さんです。
服部さんの手掛けた『草木染め』の衣服も販売されています。

住所:神奈川県藤沢市片瀬海岸1−13−8
営業時間:12時〜20時
電話:0466‐60‐3331

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この記事を書いた人

TomokazuYamaoka

湘南に移住し3年。 コミュティに馴染み、つながり、地域のオンリーワン・ナンバーワンを執筆させて頂いております。 いち早く良好なコミュニケーションを築きあげるのが得意。 "取材"の概念より、もう一歩踏み込む「ここでしか聞けない話」を記事にするのがモットーです。 太い"サーフィンつながり"は、余すことなく駆使します。 また、料理経験で舌が肥えました。 能登半島への思いを込めて、能登&加賀料理作りました。

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