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フード  |    2024.02.01

130年の歴史を未来につなげる|陸前高田の奇跡のりんご【後編】

海産物のイメージが強い岩手県の陸前高田では、りんご栽培が130年続けられています。陸前高田のりんごのルーツには「家族みんなで暮らしていけるように」という願いが込められていました。震災の経験をきっかけにホテルマンからりんご農家に転身した吉田司さんに、りんご栽培に込めた未来への想いを伺いました。

前編では、陸前高田のりんごの魅力を紹介しています。
前編はこちらからご覧ください。

明日、自分が死んだら何を残せるだろうか。震災をきっかけにした価値観の変化

吉田さんはもともとホテルマン、農業に進むことは考えていなかったそうです。転機となったのは東日本大震災。震災の惨状を目の当たりにしたことで価値観が大きく変わったそうです。

お世話になった方たちが震災で大勢亡くなられて死を間近に感じ「自分が死んだら何を残せるだろうか」と不安や焦りのような気持ちが湧いてきたと言います。

「これからの人生をどこで生きていくか考えたとき、生まれ育った陸前高田の街を住みやすい街にしたいと思い、地元に戻ることを決意しました」と吉田さん。

陸前高田で農業を始めようと思ったのは2つのきっかけがありました。

1つ目は、支援物資で届いたりんごを食べたことでした。「やっぱり、青森や長野のりんごは美味しいな」と思っていたところ、実は陸前高田のりんごと聞いてものすごく驚いたそうです。

「そのりんごはジュースのように瑞々しく、食感はシャキシャキ。酸味と甘味のバランスが絶妙で皮までしっかり甘味が乗っていました。美味しさに感激したのはもちろんですが、何より、地元で青森や長野に引けをとらないりんごがあるということに衝撃を受けました」

2つ目は、こんなに美味しいりんごの生産が今まさに途絶えてしまうかもしれないという事実を知ったことです。陸前高田にはりんご農家が100軒ほどあったのですが、その中で30代以下の担い手はたった1人でした。

その事実を知ってしまったからには、こんな宝が地元にあるのにこのまま無くしてしまう訳にはいかないという思いが湧き上がってきたのです。それが「農業」という職業に初めて興味を持ったきっかけでした。

ですが、当時はガレキの撤去作業などやらなければいけないことが山のようにあり、りんご農家をしたいという気持ちにそっと蓋をしていました。

当時は陸前高田市内の宿泊施設で働いていた吉田さん。

「その仕事も好きだったのですが、40歳を目前にして、今後は自分の軸となる人生最後の仕事をしていきたいと漠然と考えていました。そんな時、地域のNPO法人のりんごの生産管理の求人募集を見て、すぐに電話して『入りたいです』と言っている自分がいました。

農業は土壌や肥料などにこだわると、今まで世の中になかったものが作り出せます。例えば、りんごよりも甘い糖度のニンジンやネギ、生で食べられるカボチャなどがあります。今、農業は変革期にきていると思ったので、自分にしかできない仕事は農業ではないかと思ったのです」

りんごの育て方や農業経営を一から学び、4年後の44歳の時に個人農家「イドバダ・アップル」として独立を果たしました。

応援される人間になり、産業を次世代につなぎたい

「次世代にりんご農家を残すために自分がどんな人間になるかが大切だと思っています。『吉田さんが作ったりんごなら大丈夫』と思ってもらえるようになりたいです。

ただ、農業マンとは言え、異常気象や台風災害などのリスクヘッジを考えれば、農作物に依存しない戦い方も無いとは言えないんです。農業経営の在り方の、持続可能な”選択肢”を増やしたい。毎日が勉強ですよね」 

そう語る吉田さんは、クラウドファンディングを行ってご自身の農園「イドバダ・アップル」が立ち上がるまでのストーリーを詳細に伝えています。

「葉取らずりんごって知っていますか?りんごを甘くするためには葉っぱから運ばれる養分が欠かせません。この葉摘みを行わずに自然の状態で育てると、色づきにはムラがあっても、養分を蓄えた味の締まったりんごが実ります。こういうりんごの価値を伝えていきたいです」

SNSでは、りんごを育てる過程でうまくいったことも、うまくいかなかったことも包み隠さず発信しています。おかげで昨年は大勢の方からの支援が集まり、農園のりんごが全て売れたそうです。

陸前高田の魅力と今後の姿

吉田さんが感じる陸前高田ならではの魅力を伺ってみました。

「真逆のものが揃っているところだと思います。気候、風土、そして人も全部そう」 

東北地方なのに比較的暖かく、滅多に雪が降らないそうです。寒い地域と暖かい地域の農産物が両方育てられ、りんごの他にお茶やゆずも作られているとのこと。

人でいうと、長い間住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんもいれば、震災ボランティアやインターンがきっかけで移住してきた若い世代もいます。

「実は、陸前高田を訪れる人はリピーターが多いんです。震災ボランティアから繋がったご縁で毎年20人くらいのツアーを組んで来てくれる人もいますし、ツールド三陸という自転車のイベントがきっかけで毎年遊びに来てくれる人もいます。きっと、住民の僕には気づけない、訪れた人にしか分からない魅力があるのでしょう。来るたびにまちの風景が変わっていくことや、何より震災以前の歴史に興味を持っていただく方が多い」

陸前高田の街には、震災をきっかけに移り住んだ人や地元に戻ってきた人が多くいらっしゃると伺いました。様々なバックグラウンドを持った人が、この街を盛り上げたいという思いを持って集まってきたそうです。

「震災で物理的に街が壊滅したので、昔からの慣習に囚われずにゼロから新しいことに挑戦できる環境にあると思います。大変ですけどね。実際に彼らの取り組みは、まさに今芽が出始めています」

今は、比較的若い人が新しい特産品を作る活動が盛んです。市内には初のワイナリーやクラフトビールの醸造所ができました。醸造所では吉田さんのりんごを使ったビールも作っているとのこと。赤いトウモロコシや椿茶、三陸ジンジャーやお米「たかたのゆめ」など、新たな特産物も次々とお店に並ぶようになっています。

「何か新しいことをしてみよう、という人が多いと思います。陸前高田は壊滅からハード面では復興を遂げて、進化の過程に向かっている街なんじゃないかと思っています。こんな街は日本でも珍しいのではないでしょうか」

取材を終えて
陸前高田は、昔から地域の変遷を見守ってきた人たち、故郷の復興のために戻ってきた人たち、そして震災をきっかけに地域とつながった人たちで成り立っています。皆さんが手を取り合いながら陸前高田の新しい未来をつくっていこうとする力を実感しました。

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この記事を書いた人

まゆこ

【Webライター】 東京在住。出版社で編集・ライターを経験し、現在は複業ライターとして活動中。実際に行ったおすすめスポット・旅のお役立ち情報を発信します。 得意ジャンルは、美味しいもの・絶景・カフェ・お土産・温泉・神社です。

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