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歴史  |    2024.02.05

目指せ世界遺産!埼玉古墳群|埼玉県名発祥の地、国宝から世界へ|埼玉県行田市【前編】

皆さんは埼玉県名発祥の地を知っていますか?

国指定特別史跡に指定されている「埼玉(さきたま)古墳群」は行田市埼玉にあり、この地域は県名の由来となっております。

この埼玉古墳群は5世紀後半から7世紀初め頃までに造られた、9基の大型古墳が群集しております。

この時期の古墳群としては、私達の国でも有数で昭和13年に国の史跡に指定され、令和2年には特別史跡に指定されました。現在は埼玉県により、保存整備が行われています。

埼玉県にとっても日本の歴史にとっても、貴重な史跡についてわかりやすく紹介していきます。中でも規模の大きな4基の古墳にフォーカスを当て、それぞれの特徴や歴史を紐解いていきましょう。

これを読めば、歴史が苦手でも、日本の文化に疎くても、さきたま古墳群の見どころがわかります!

ひときわ目立つ大きな看板と埴輪がお出迎え!

秩父鉄道行田市駅方面から、県道77号線古墳通りを走ると現れる「さきたま古墳群」の看板。

広い駐車場の入り口には、馬の埴輪が出迎えてくれます。

ここ「埼玉古墳群」は多くの埴輪が出土しており、公園内では埴輪を作る体験ができる施設もあります。

さきたま広場

3万平方メートルの広大な芝生広場には、家族連れ、カップル、友達と来た子どもが遊んだり、散歩したり軽食を食べたりしていて、休日の癒やしの場としてなくてはならない場所になっていました。

早速古墳へ!

令和6年3月まで博物館本館休館中

設置してある案内板を見ながら、最初の古墳を目指します。

最初の古墳の道中、散歩コースにもってこいな道や、芝生に囲まれた池があり、ただ歩くだけでも気持ちの良い景色が広がります。

また途中にある、あずまやは休憩所として各地に用意されており、長めのウォーキングで疲れた足を休ませることができますね。

日本最大級の円墳!丸墓山古墳

歩いていると正面にひときわ高い古墳が現れる。

高さ17.2メートルの丸墓山古墳です。

丸墓山古墳について

丸墓山古墳は日本最大級の円墳(平面が円形の古墳)で、出土した埴輪は6世紀前半に作られたと考えられています。

目の前に立ったときの大きさはちょっとした山で、急な勾配の階段を上がり頂上へ登れます。写真左と墳頂の木は桜の木です。春になると満開の桜を目当てに、観光客や地元の人々が集まります。

この古墳から駐車場へ続く道は、戦国時代に忍城を水攻めする時に築いた堤(水をせき止めるための土手)の跡と言われています。

早速登ってみます!

古墳は空から見たほうが映えますね!案内板には歴史が英語や点字でも書かれております。

実際に登ってみました!古墳ってお墓だよな…登っていいのかな…などと心配しましたが、あまり考えないようにしましよう!

墳頂で反対側に降りる事ができ、公園内の歩道全てと繋がっているため、ウォーキングコースとして利用してる方や、親子連れで楽しそうに登っている人とすれ違ったりしました。

映画「のぼうの城」の忍城水攻め

登頂しました!今歩いてきた道を一望できますね。

写真右下に見える歩道から奥の駐車場に続く道を「石田堤」といい、冒頭で少し触れた忍城を水攻めした際の堤の一部です。

天正18年(1590)に豊臣の命を受けた石田三成が、長さ28km(一説には14km)にも及ぶ堤をわずか1週間で利根川と荒川の水を流入させたと言われています。

三成の陣は、今私が立っているこの墳頂に張られていたそうです。

古墳、公園内や市内、忍城も一望できる

すすきが美しいです。

春には美しい桜並木になります。

稲荷山古墳の前方後円墳の形が綺麗に見えますね!

次の目的地です!

将軍山古墳も見えます。広い公園の至るとこにある木々や整備された歩道は、散歩したい気持ちになります!

写真中央にある忍城、見つかりましたか?

忍城についてはまたの機会に記事にしたいと思います!

天気が良ければこのように一望できる景色が広がり、ゆっくりできますね!

貴重な遺物が出土!稲荷山古墳

次に向かったのは、稲荷山古墳。年季の入った案内板を確認しながら…

数百メートル歩くと見えてきました。

丸墓山古墳から見たときとは違った印象ですね。

神々しい聖域のような雰囲気を、私は感じました。

稲荷山古墳について

稲荷山古墳は、昭和43年(1968)に発掘調査が行われ、金錯銘鉄剣・帯金具・勾玉・鏡をはじめ多くの遺物が出土しました。昭和58年(1983)にこれら一括して国宝に指定され、さきたま史跡の博物館にて展示されています(博物館は令和6年3月末まで工事休館中)。

全長120mの前方後円墳で、周囲には長方形の堀が中堤を挟んで二重に巡り、墳丘くびれ部と中堤には造出しと呼ばれる張り出しがあります。

この古墳は5世紀後半ごろ造られたと考えられていて、埼玉古墳群の中で最初に造られた古墳です。

頂上には何があるのか

青空にくっきりと映る前方後円墳。前方部は1937年に土取工事で失われてしまいましたが、1997〜2004年に発掘調査を元に復原整備が行われ、当時と近い形に復原されました。

古墳の前方部分に登りました。先に後円に繋がる階段が見えます。

奥に見えるのが丸墓山古墳、稲荷山古墳の方が7メートルほど低いです。

そしてここは墳頂部で、国宝が出土した河原石でつくった埋葬施設の様子が展示されています。

後円部墳頂から2基の埋葬施設が発見されています。

柵の中は発掘された時の様子が実物大で書かれています。

埼玉県最大の前方後円墳!二子山古墳

稲荷山古墳から歩いて行くと歩道があり、丸墓山古墳から見た歩道を歩いているんだと、何故かしみじみ思って歩いていました。更に先へ進むと、大きな二つの山が見えてきました。そう二子山の名の通り、側面から見ると二つの山のように見えます。

園内でもひときわ大きく、古墳群の中央付近にある二子山古墳。

残念ながら墳丘への立ち入りはできませんが、中堤を歩いて一周することができます。

かつての武蔵国(現在の埼玉県・東京都・神奈川県の一部)で最も大きい前方後円墳です。

古墳が造られた時期は、6世紀前半と考えられます。

最新の発掘成果

墳丘の残りは良好ですが、発掘は周辺に集中しており、埋葬施設の位置などはわかっておりません。墳丘造り出しからは須恵器(青灰色の焼き物)や土師器(赤褐色の素焼きの土器)などが出土していて、埋葬に関わる儀礼が行われていたと想定されます。平成29年(2017)にレーダー調査が行われた際に後円部東側に横穴式石室(古墳時代後期に主流となった埋葬施設)の存在が想定されています。

埼玉古墳群の魅力

日本の歴史に気軽に触れることができるだけでなく、広々とした園内でのんびり散歩、大切な人と過ごすなど、園内を歩いていると思い思いに過ごす人たちの笑顔が見れて、ここは様々な人々にとって重要な場所だなと思いました。

後編では、将軍山古墳展示館や稲荷山古墳で出土された「国宝」について深く探っていきたいと思います。

埼玉県立さきたま史跡の博物館

〒361-0025
埼玉県行田市埼玉4834

[ TEL ]048-559-1111(代表)048-559-1181(学芸)

[ FAX ]048-559-1112

[ mail ]k591111@pref.saitama.lg.jp

[ 休館日 ]毎週月曜日、年末年始(12/29~1/3)、ほか臨時休館あり

令和6年3月末まで工事休館、4月2以降再開

[ 観覧時間 ]9:00~16:30(7/1~8/31のみ 9:00~17:00)
※入館は閉館の30分前まで

公式サイト

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この記事を書いた人

そーや

埼玉在住の取材ライター。「相手のために考え、寄り添う」が取材ポリシー。得意ジャンルはフィットネス系と取材ライティング。地元に関わらず、お気に入りや気になる場所を発信。人生経験全てがライティングに活かせると思っています。趣味はトレーニングとバイク。

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