浜松市郊外の浜松市地域遺産センターでは10月4日(日)まで地域展「出土品が語る浜松の歴史」を開催。
同展では市内各所の遺跡から発掘された石器や土器、埴輪など、さまざまな出土品を多数展示しています。
展示品の出土場所は主に浜名湖北岸と都田川流域エリア。出土品の中には西(三河地方)の特徴が見られるものや、海を越えてやってきたものも。
旧石器時代から近世まで浜松の歴史の流れを見ることができる地域展です。
浜松市地域遺産センター地域展「出土品が語る浜松の歴史」とは!?


JR浜松駅から北北西へ直線距離にして約15キロ。
浜松市浜名区引佐町井伊谷地区にある浜松市地域遺産センターは白っぽい外観をした3階の建物で、浜松市内各所の遺跡から発掘された出土品による企画展を多く開催しています。
企画展や常設展などは2階の展示室で。2階へは階段のほかエレベータで上ることができます。

5月28日(木)から10月4日(日)まで行われている地域展「出土品が語る浜松の歴史」では、主に浜名湖北岸や都田エリアの遺跡からの出土品を時代別に分けて展示。
展示室の向かって左側から時計回りに回ると、旧石器時代から近世まで流れるように鑑賞できます。
まずは旧石器からスタート! 弥生時代後期には稲作開始!
まずは旧石器時代~弥生時代の展示から。
旧石器時代から近世まで、どの時代も解説パネルの下に置かれたガラスケースの中に出土品が並んでいます。

解説パネルによると、浜名湖北岸地域において最も古くから人々が活動していた痕跡のひとつが、井伊谷地区の北神宮寺遺跡だそう。
同遺跡は旧石器時代だけではなく、縄文時代や中世(鎌倉、戦国時代)など各時期の遺物が出土しています。太古の昔から絶えることなく人々が暮らしていたことを窺い知ることができるでしょう。

縄文時代の次は弥生時代へ。
大陸から約2,400年前(約2,900年前とも)に九州北部へ伝えられた稲作農耕は、この時代の後期になると浜名湖北岸地域でも本格的に行われていたようです。
この時代の出土品には弥生土器の壺や高坏(たかつき/食べ物を盛った脚付き器)、銅鏃(どうぞく)、鉢など。
出土品をよく見ると継ぎ接いだ痕跡がわかると思いますが、これは発掘された出土品の破片を繋ぎ合わせた跡です。補填した箇所の表面はなめらかなので、どの部分を補填したのかチェックするのも楽しいかもしれませんね。
上の画像右奥の台付甕の場合、黄色の楕円形で囲んだ菱形のような箇所が補填した場所です。
古墳時代の幕開けは井伊谷地区から

弥生時代の後は埴輪や勾玉など古墳からの出土品が展示されている、古墳時代の展示です。

浜名湖北岸地域での古墳時代の幕開けは井伊谷地区から。
地域遺産センターから北東方向へ約1.6キロの丘陵上に築かれた北岡大塚古墳が、市内最古の古墳です。
解説パネルによると、浜松市内でこれまでに確認された古墳の数は約1,700基。
古墳の形状は前方後円墳と円墳、方墳、前方後方墳の4種類で、主に天竜川西岸の河岸段丘上や浜名湖北岸、都田川流域、三方原台地の東端部に築かれました。

展示ケース内に並ぶのは画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)の複製品や二重口縁(こうえん)壺の一部分、円筒埴輪、人物埴輪など。
なかでも人物埴輪はまわしを着けていることから力士埴輪とみられ、当時から相撲が神事であったことが窺えます。相手方は出土していないようですが、がっぷり四つに組んでいたのか気になる方もいるようです。

浜松市内では古墳時代後期になると、横穴式石室を持つ直径10メートルほどの小さな円墳が多く見られるようになります。
市内の古墳に見られる横穴式石室は、畿内系石室と在来系の石室が混在しているそう。両者の違いや詳細について知りたい方は、写真や図解が入っている解説パネルをどうぞ。

横穴式石室展示のところでは勾玉や丸玉、須恵器の長頸壺(ちょうけいこ)、平瓶(へいへい)、平べったい形をした提瓶(ていへい)などが。
勾玉の産地が気になったので同センターの方に伺うと、「産地は不明ですが茶色のものは瑠璃性で、右側の2点は蛇紋岩(じゃもんがん)性です。蛇紋岩は当地周辺で産出する石材なんですよ」と教えてくださいました。
また、長頸壺や平瓶に光っている箇所があるのは、焼成時に自然に灰が溶けて付いた自然釉が原因とのこと。
偶然の産物とはいえ、てらてらと光っている壺や瓶を見た当時の人々の様子が気になりました。
人々の暮らしぶりが分かる奈良・平安~中世~近世

横穴式石室展示の向かい側は奈良・平安時代の展示です。
赤茶色をした土師器が多かった古墳時代の頃とは異なり、展示ケースの中には青灰色をした須恵器の鉢や壺などが多く並んでいます。

奈良・平安時代になると、古代に築かれた寺院の痕跡や、伊場遺跡群などにおいて発見された多数の木簡や墨書土器などから、中央政権との結びつきを知ることができます。
展示されている墨書土器に書かれているのは漢字や記号など。
製作者の名前なのか所有者名なのか目印なのか、はたまたメモ書きなのかは分かりませんが、遠い昔の人々が書いたものを直接見ることができる貴重な史料ですね。

墨書土器の右下には小さな手づくね土器や陶製品の陶馬と土製品の土馬など。これらは水辺の祭祀用に用いられていたと考えられています。

中世社会の展示では、中世社会と井伊谷の遺跡や戦国時代の集落の様相と生産について書かれた解説パネルと出土品を見ることが。
浜松市内では15世紀後半頃から次第に市内の各地域において、集落の増加がみられます。
井伊谷もそのひとつで、旧石器時代から人々が暮らし始めていた北神宮寺遺跡でも15世紀後半から集落の造営が確認されています。

江戸時代の浜松は浜松城を中心とした浜松藩が成立しますが、浜名湖北岸は幕府の直轄領となり気賀へ陣屋が設置され、本坂道(姫街道)を通る人々を監視するために関所が設けられました。

交通網が発達し全国各地との交流が見られたことから、展示ケース内では京焼の丸碗や肥前の染付丸碗、志野の丸皿などさまざまな地域の焼き物が見られます。
その他、下段には大きな羽無釜や内耳鍋も。
単体のガラス展示ケースは得出し品!
展示室の中央にある単体の展示ケース内には得出し品の遺物が展示されています。

羽のような飾り(立ち飾り)がついた埴輪は、浜名湖北東岸の丘陵上に築かれた狐塚古墳出土の蓋形埴輪です。
蓋(きぬがさ)とは高貴な人にさしかける日傘のことで、この埴輪は傘の部分をつけた筒形の台部に、別作りの立ち飾りを乗せて組み合わせたものなんですよ。

ぐるりと回って羽根飾り部分の形状や線刻などもご覧くださいね。

長方板革綴短甲も狐塚古墳からの出土品です。
中央の山になっている部分が胸側で、左右の部分を背中に回して革紐で綴じて着用していました。
蓋形埴輪と長方板革綴短甲が出土したことなどから、狐塚古墳の被葬者は古墳周辺を治め軍事面にも明るかった首長だったと考えられています。

展示室の奥に近い場所のガラス展示ケースでは、奈良時代の寺院に葺かれていた古代瓦を見ることができます。
上の画像は三ヶ日町にある楠木遺跡出土の単弁12葉の蓮華文軒丸瓦です。その左隣には単弁16葉の古代瓦も展示。
さらに背面には同じ楠木遺跡から出土した簾文(れんじょうもん)軒平瓦と小花文(しょうかもん)軒平瓦も。
瓦の文様は三河地方(愛知県東部)の古代寺院との共通点が多く見られるそう。蓮華文軒丸瓦とあわせてどうぞ。
須恵器の大甕2点にも注目!
同展の展示品はこれだけではありません。ロビーには弥生時代の壺や須恵器の大甕も!

その大きさから展示室に入らなかったのか、ロビーの奥に展示されている須恵器の大甕は2点。
出土地は向かって左側が半田山C39号墳、右側が下滝遺跡5地区2号墳。どちらも古墳時代に三方原台地の東端部に築かれた古墳です。
同センターの方に大甕の用途を尋ねると、「甕は煮炊き具ではなく、貯蔵具のため煮炊きの用途では使用しないんです。煤痕は、焼成時等についたものと考えられます」と教えてくださいました。
気になる高さは左側の大甕の復元器高が約115センチで、右側の大甕が約95センチです。

大甕の表面では、どちらも筋模様入りのタタキ具によるタタキ技法の痕跡を観察することができます。
さらに左側の半田山C39号墳出土の大甕の一部分では、ほぼ完成した段階での補修の痕跡の確認ができます。興味のある方はチェックしてみて!

また下滝遺跡5地区2号墳出土の大甕内部では、同心円状のアテ具の痕跡も確認可能。
制作技術者の技能の高さが窺える出土品と云えましょう。
展示室には紹介しきれなかった出土品がまだまだあります。
浜松市地域遺産センターの地域展「出土品が語る浜松の歴史」は10月4日(日)まで開催。
開催期間が長いので、休日や夏休み期間中に出かけてみませんか?
<基本情報>
所在地:浜松市浜名区引佐町井伊谷616-5
電話番号:053-542-3660
開館時間:午前9時~午後5時(最終入館16時30分)
地域展「出土品が語る浜松の歴史」開催期間:
2026年5月28日(木曜日)から10月4日(日曜日)まで
観覧料:無料
休館日:毎週月曜日(祝日の場合翌平日)、12月29日から1月3日
駐車場:あり(無料)
浜松市公式サイト内浜松市地域遺産センターの公式サイト(外部リンク)
2026年6月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。




