現在、日本のさまざまなメディアで活躍するアイシスさんはカナダのトロント出身。
大好きな日本で夢を叶え、充実した毎日を送っている彼女ですが、もちろん多くの壁にぶつかってきた過去があります。
「夢を諦めたくない」一心で前に進んできたアイシスさんの、これまでの人生を伺ってきました。
日本に興味を持ったキッカケ
アイシスさんが13歳のころ、友達に誘われて見た日本のアニメ「The Slayers」が起点だといいます。
アニメで日本語を話す声優に感動し励まされ、日本、そして日本語にも興味を持ち始めました。その後は、アニメの世界だけでなく日本の音楽やドラマにも魅了される日々を過ごします。
高校生で初の日本へ
日本への興味が薄れることなく高校生になったアイシスさんは、学校で1か月間の「ホームステイプログラム」に参加。そこで、憧れの日本へ行けるチャンスが訪れました。
さっそくプログラムへと申し込んだアイシスさんですが、その年は運悪くSARSコロナウイルスが流行していた時期。
とくに流行地域であったのがカナダのトロントです。
アイシスさんはトロントに住んでいたため、日本全国のホストファミリーへ問い合わせるも受け入れを断られてばかりでした。
そんな中、北海道の上富良野町のホストファミリーがアイシスさんを受け入れてくれたのです。
上富良野町といえば「ラベンダー畑」が有名で、6月後半から7月になるとラベンダーが見頃を迎えます。アイシスさんが訪れたのがちょうどその時期。広大な敷地に広がるラベンダー、背景にはまだうっすらと残る雪景色も忘れられないものとなったようです。
ホストファミリーの奥様がラベンダー関連のお仕事をしていたため、アイシスさんも一緒に連れて行ってもらう機会があったそう。
当時、高校生だった娘さんの学校にも参加することができたといいます。
素敵なホストファミリーに恵まれ上富良野町で過ごした日々は、アイシスさんにとってかけがえのない時間となりました。
そこで「やっぱり日本が大好き」と強く感じ、カナダの大学を卒業後に再び日本へ行くことを決意。
大学卒業後に再び憧れの日本へ
カナダで大学を卒業した20歳のアイシスさんは、すぐに日本へ飛び立ちます。狭き門のJETプログラム(地域の国際化を推進するために、語学指導等をおこなう外国青年招致事業)の一員として向かった先は、北海道の白糠町。
そこで、人生初の仕事を日本で経験しました。
保育園・幼稚園・小学校のALT(語学指導助手)としての仕事を手に入れたのです。
当初、英語学習は小学5・6年生からスタートする時代。しかし、早期の英語教育に力を入れたい町長からは「小学生からではなく、0歳から英語を楽しく学べるプログラムを作って欲しい」と言われたそうです。
ただ単語を並べるような英語学習ではなく、コミュニケーション重視の楽しい授業を作り上げ、町長の思いに応えたアイシスさん。
好きなことを仕事にしたい
先生としての仕事はうまく進み、町での生活も充実した日々を送っていました。人々のあたたかさに触れ、居心地のよい白糠町を大好きになっていったそうです。
ALTの仕事が半年ほど経ったころ、町長から「もう1年いませんか?」とオファーを受けました。
ちょうどそのころ「先生の仕事は楽しいけれど、何かほかのことに呼ばれている気もする・・・」と感じ始めていたそう。町長に自分の気持ちを素直に伝えたところ、町長から「何がしたい?」と聞かれたのです。
アイシスさんは「日本のテレビやラジオ、音楽や舞台の世界が好きだから、そういうコンテンツを作る仕事がしたい」。
「動画制作やカメラマンもしてみたい、そしていつか日本の映画も作りたい」と語ります。
日本のエンターテイメントは、自身が影響を受けて励まされたものだからこそ、それに関わる仕事がしたいと思ったのです。
そんなアイシスさんに対し、町長は「カメラの裏じゃなくて、前に出なさい」と強く言ったそうです。
一度きりの言葉でしたが、彼女にとって忘れられない、心に強く残るものとなりました。その後「そうするべきかな?」と思い始めたアイシスさんは自分を後押ししてくれた白糠町の町長の助言を胸に、夢を追いかけます。
夢を叶えに向かうのは、北海道の経済や文化の中心地である札幌市。
【後編】では、アイシスさんが苦難を乗り越え、自身でチャンスを掴み、夢を叶えたお話について書いていくのでお楽しみに!