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もの・こと  |    2025.09.27

商店街の片隅で境界線が溶けあう居場所づくりを目指して|「まごころはうす かまやん」の在り方

かつての賑わいが影をひそめる、愛媛県四国中央市の栄町商店街。今はすっかり静かになった街の一角に、笑顔の絶えない場所があった。

「まごころはうす かまやん」。デイサービスと居宅介護支援事業所を展開しているほか、有償ボランティアも提供している。

「境界があいまいになる場所があってもいい」

「もともと、介護や福祉の仕事しか経験がないんです」

そう話すのは、かまやんを運営する「NPO法人ぽっかぽか川之江」の鎌倉裕基さん。

大学卒業後、特別養護老人ホームで働くも人間関係の軋轢や利用者さんへの関わり方に悩み退職。以後、旅をしながら見聞を広げたという。その中で出会ったのは、富山県のとあるデイサービスだ。

「年齢や障がいといった枠が溶けだしたようなその場所に、大きな衝撃を受けました」と鎌倉さんは語る。

医師に扮し利用者さんに話しかける鎌倉さん。

支援者として現場に入ると、どうしても「高齢者だから」「障がい者だから」というフィルターがかかる。

年配の方にはこう接する。障がいのある方にはこう関わる。

それは専門職として持っていて当たり前の視点だが、時として人との触れ合いを阻害する危険性をはらんでいるのだ。

介護の仕事は、少ない職員が多くの利用者さんをケアする形となるケースがスタンダードと言ってもいい。それはつまり「いかに効率的に業務をこなすか」という意識が生まれることを意味している。

「日々時間に追われながら介護職員として働く中で、次第に心が疲れてきたんです」

職場内の複雑な人間関係を知ったり、業務の効率化を求められたり。次第に鎌倉さんの心は疲弊していったのだそう。

「業務スピードが早ければ『仕事ができる』ってことになる。僕も次第に感覚が麻痺していくのを自覚していました」

そんなとき、ふと疑問が浮かんだそうだ。

いつか親になったとき、自分は子どもに胸を張れる生き方をしているんだろうか。

「今のままだと、きっと子どもに嘘ついちゃうなと思って。それで、その老人ホームを退職して、地元に戻ってきたんです」

地元で出会った救いの場所

退職して地元に戻ってからも、心の中にはずっと「枠にとらわれない場所があってもいいのに」という思いがあったという。

雑多で、のどかで、だれもが気兼ねなく足を運べる場所。その実現を夢見て、鎌倉さんは当時の民生委員さんに相談を持ち掛けた。そうしてたどり着いたのが「まごころはうす かまやん」の前身ともいうべき、商店街の「憩いの場」だった。

「最初『なんだろうここは』って思いました」と鎌倉さんは笑う。

宅老所であり、就労支援の場であり、そうかと思えばボランティアで働く人の赤ちゃんが癒しのパワーを振りまいていたりする。駅からほど近い商店街にこんな場所があったのか。

誰もが気負わず、特別な肩書きも持たず、ただ時間を共有している。それも何かに縛られず、めいめいに思いのままに過ごしているのだ。

ここで働きたい。運営者の方に伝えたところ、即答で「無理です」と言われたそう。

「助成金で成り立っている場所で、お給料を出せないから雇えないって言われたんです。でもボランティアでよければいらっしゃいと言ってもらえて」

この場所でさまざまな人とつながりながら、鎌倉さんの心は少しずつ救われていく。

ちょっとくらい混沌として、ちょっとくらい境目が見えなくなるような場所があっていい。そんな思いがますます強まっていった。

とはいえ、介護保険制度が生まれてからはルールの遵守が求められる場面が増えた。

これまでできていたことができなくなる。そんな悔しさを感じる瞬間もあったそうだ。

「人間は誰でも年を取るし、いつどうなるかわかりません。だからこそ、今を生きる、いろんな世代のいろんな背景をもつ人が集まれる場所を作りたいと思うんです」

熱い思いを語る鎌倉さんにお願いし、デイサービスにもお邪魔した。

垣根を取り払って、共にある

施設というには家庭的で、家庭というには社交的。そんな印象を受けた。

誰が職員さんで、誰が利用者さんなのか。制服を着ているのだから、もちろん職員さんと利用者さんとの見分けはつく。しかし、親戚同士がテーブルを囲んで談笑しているような、ご近所同士がちょっと集まって井戸端会議をしているような。大きな施設でよく見る、効率性や計画性をそっと脇に置いてただ「今、この時」を楽しむ。ゆるやかな空気が満ちていた。

室内にも玄関にも、可愛らしいくす玉があちこちに飾られている。

商店街のアーケード下にも。

「このくす玉のパーツは、目が不自由な方が作ってくれているんですよ」

管理者の堤竹さんはそう微笑む。

見せていただくと「自分には作れないな」と思うほど美しく折られたパーツがたくさん仕上がっていた。

これを、目が見えない状態で作ってしまうのか。件の女性は、淡々と手を動かす。細い指先が、何とも器用に折り紙を折る。繊細な指の動きは見惚れるほどだ。

テレビに夢中になる人、話に花を咲かせる人。ベッドで休む人、作業に勤しむ人。

それぞれがそれぞれのやりたいことを、ただしたいように。

ルールでがんじがらめにならない時間が、そこにあった。

ところで「まごころはうす かまやん」は、こだわりの食事が魅力の一つだ。日々の食事がリールで紹介されているインスタのアカウント、実は筆者もこまめにチェックしている。

この日はカレー。スパイシーな風味を活かしつつ、誰の舌にも合う辛さ。大人も大満足だ。

サラダのまろやかさと、果物の甘さが優しい。

添加物を極力減らし、天然塩を使用。かまやんの畑で栽培した野菜を使い、利用者さんの身体を第一に考えた食事が作られているのだ。

身体の内側から健康を培う意識、ぜひ見習いたいところだ。

デイサービスからほど近い場所にのお寺に、利用者である女性たちは、堤竹さんのエスコートのもと、慣れた様子で足取り軽く向かう。

とかく介護施設は、事故リスクを考えて外出に関しても懸念するケースが多い。その理由は要介護度の程度であったり、認知症の症状であったりとさまざまだ。

しかし、そこだけにフォーカスしていては、介護の本質である「個別的な関わり」に影が落ちる。

もちろん、最優先すべきは利用者さんの安全だ。いかなる場合であっても、根幹が揺らぐことはない。

それを踏まえたうえで、本人の「これがしたい」を叶える。

簡単なようでいて、実はとても難しいことだ。

境内を歩く女性たちの後ろ姿はどこか毅然としていて、けれど互いを支える手は優しい。

歩んできた道程の長さと、積み上げてきた経験値、得た知見、人への思いやりの深さ。きっと、永遠に敵わないのだろうな、と思わされる。

それぞれに過去があり、苦悩があり、喜びがあり、そして、今日がある。

一瞬一瞬を生きる人の姿は、まぎれもなく美しい。

まごころはうす かまやん

〒799-0101 愛媛県四国中央市川之江町1660番地8 

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この記事を書いた人

佐藤恵美

愛媛県の最東端、四国中央市在住のWebライター・ICT教育支援員です。 教育、介護、メンタルヘルスなど、人の暮らしに寄り添う分野を中心に執筆しています。 介護職・相談員の経験を活かし、心に寄り添う文章を心掛けています。 あまり外を飛び回るタイプではありませんが、ひとりで行動する時間が大好きです。外出先で美味しいお店に飛び込んだり、急に気が向いて海を観に行ったりしています。

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