大阪・関西万博会場内「ギャラリーWEST 屋内展示室1」で、大阪府主催のイベント『Back to EXPO’70』が、9月16日・17日の2日間に開催されました。『太陽の塔』が重要文化財に指定されたことを記念して行われたもので、1970年に開催された大阪万博のパビリオンや会場風景がプロジェクションマッピングによってよみがえりました。
高度経済成長の象徴、大阪万博

1970年の大阪万博(日本万国博覧会)は、3月15日から9月13日までの183日間にわたり開催されました。会場は大阪・千里丘陵に広がる約330ヘクタールで、2025年の大阪・関西万博(約155ヘクタール)の2倍以上の規模でした。
来場者数は6,400万人を超え、当時の国内総人口の6割以上に相当する驚異的な数字を記録。アメリカ館の「月の石」やソ連館の「月探査機」、岡本太郎の「太陽の塔」などが大きな話題を呼びました。
また、日本初の「動く歩道」や、現在開催中の大阪・関西万博でも注目されている「人間洗濯機」が世に知られるきっかけとなったのも、この万博です。
時を超えるプロジェクションマッピング

来場者を迎えたのは、4面に広がる海中映像。魚たちが優雅に泳ぐ涼やかな世界が、熱気あふれる万博会場を歩いてきた人々を癒やしました。
没入感を高める映像はリアルで美しく、会場は一気に引き込まれていきます。

本編は1970年当時の映像から始まり、途中で一瞬、現在の夢洲・コネクティングゾーンの風景が広がるシーンもありました。まるで2025年から1970年へタイムスリップするかのような演出で映像が進んでいきました。

映像制作を担当したのは、映像演出のスペシャリスト・株式会社シムディレクト。これまで数々の空間演出やプロジェクションマッピングを手掛けてきたクリエイティブカンパニーで、その高い表現力が今回の映像にも存分に発揮されていました。

タイからやってきて、神戸から会場まで歩いたゾウ16頭の行進も迫力満点で再現され、観客の目を釘付けに……。
こうした再現は、1970年を直接知らないスタッフも多いなか、大阪府から共有されたデジタル素材や資料を活かし、丁寧に構成を練り上げて生み出された成果でした。

当時は防災や安全基準が今より緩く、自由度の高い建築が可能だったことから、豪華で奇抜なパビリオンの数々も登場し、観客を驚かせました。

クライマックスでは、太陽の塔と花火が共演!1970年と2025年が重なり合うような特別な瞬間が広がり、約10分間の映像は瞬きも惜しいほどの体験となりました。
限定スタンプ&ガチャ、参加者の反応

映像体験の後には、太陽の塔がデザインされたイベント限定スタンプが登場。初日は会場外に1970年万博のスタンプとともに設置され、多くの人が記念に押印しました。

さらに来場者アンケートに回答すると、オリジナルグッズが当たるガチャを回せる特典も。

参加者からは、「祖父母から聞いていた万博を追体験できて嬉しかった」「懐かしくて涙が出そうになった」といった声が寄せられました。
一方で、「建物が流れていくだけだったので、もうちょっと深く中が見たかった」「解説などがあれば、なお良かった」という意見も。1970年の万博を体験した人たちの記憶が、最新の技術によって鮮明に呼び起こされるイベントでした。
ARでよみがえる1970年のパビリオン
大阪万博が開催された万博記念公園(大阪府吹田市)では現在、『大阪万博55周年フェスティバル ツナグフィルム1970』が開催されています(※参加費無料。10月14日火曜日まで)。スマートフォンを通して、当時のパビリオンや会場風景を最新のAR技術で体験できるイベントで、フランス館や三菱未来館、ガスパビリオンなどが再現されています。
ARスポットは、万博記念公園内「太陽の広場前」「太陽の塔裏」「夢の池」「わくわく池冒険広場横」に設置。専用アプリ「mietARa1970」を使えば、今の風景に当時の建物が重なり合う不思議な光景を楽しめます。
※別途、自然文化園への入園料(大人260円、小中学生80円)が必要です。
※こちらの記事は、大阪府、株式会社シムディレクトの許可を得て、取材・撮影を行っています。