
静岡県浜松市・春野町。お茶の産地としても知られ、山に囲まれた自然豊かなこの地域で、いま「香り」を軸にした事業が動き始めています。
和精油ブランド「山香」を手がけるのは、金属バネ製造を本業とする「春野スプリング製作所」です。同社は、地域の農業や林業に携わる人々と関わりながら、原料そのものだけでなく、その背景や循環にも目を向けたものづくりに取り組んでいます。山に入り、自然と向き合い、地域の人々との関係性を大切にしながら精油を生み出してきました。

春野という土地で、和精油事業がどのように生まれ、広がりつつあるのか。今回は、山の香事業部を担当する牧野一彦さんにお話を伺い、その歩みを追いました。
廃棄されてきた資源から生まれる、和精油の原料

「山香」で使われている原料は、杉や檜の間伐材、剪定後の松、山に自生するクロモジ、収穫・加工後の柑橘類など、これまで十分に活かされてこなかった資源が中心です。
「杉や檜を伐採する予定があるときは、林業組合の方から連絡をもらうんです。植木屋さんの剪定の時期にも伺って、クロマツを分けてもらっています」
杉や檜は林業の現場で定期的に間伐が行われますが、建材などに使われることなく処理されるケースも少なくありません。山香では、そうした間伐材を精油の原料として活用しています。
また、柑橘類についても、収穫されずに残ってしまう柚子や、加工後に廃棄されてきた皮を原料として再利用する取り組みを進めています。
「みかん農園では、加工後の皮を廃棄せずにどう使うかがなかなか難しいんです。ジュースやゼリーに加工したあとに残る柑橘の皮を見て『この皮を活用して精油が採れないか』と農家さんと一緒に考えています」
原料の調達において重視しているのは、「集めやすさ」や「効率」だけではありません。
山香では、地域の農家や林業に携わる人々と直接やり取りをしながら、どのような背景でその資源が生まれ、どのように扱われてきたのかを理解したうえで活用することを大切にしています。
廃棄されてきた資源に新たな役割を見出し、精油として価値を生み出すこと。山香の精油の原料には、春野という土地の環境や産業の歴史が、自然と映し出されています。
希少なクロモジを原料にするという選択

山香の商品の中でも、特に人気が高いものがクロモジです。クロモジは和精油の原料としても知られる代表的な植物ですが、一般的には「希少」と言われ、安定した調達が難しい原料でもあります。
「クロモジは希少な植物といわれていますが、実は森の中では身近に生えているんです」
クロモジは日本各地の山に自生していますが、林業の管理の一環として下刈りが行われる過程で、一緒に刈られてしまうことも少なくありません。そのため、「そもそも存在していたかどうかさえ分からない」状態になっているケースもあります。
現在、山香で採取しているクロモジは、春野の山奥で育ったものです。クロモジが十分に育つには、長い時間が必要だといいます。
「一度刈ってしまうと、また育つまでに10年近くかかります。だから、採る場所やタイミングはかなり意識しています」
採取の際には、すべてを刈り取ることはせず、枝先だけを使ったり、翌年以降の成長を見越して量を抑えたりするなど、山の状態を見ながら判断しています。
「その年に使う分だけを採って、あとは休ませる。この山は今年使ったから、次は数年後、というように考えています」
こうした判断を支えているのは、地域の人々の存在です。山に入る際には、地元の方から話を聞きながら、採取を進めていきます。
希少なクロモジを原料にし、精油を作り続けるのは簡単なことではありません。それでも山香では、自然への配慮と地域の人々との関わりを大切にしながら、持続可能な精油づくりに向き合っています。
地域の人とともに広がる、香りの可能性

山香では、春野町をはじめとする浜松周辺で農業や林業に携わる人々、個人で事業を営む起業家、地元企業などと関わりながら、香りを起点にしたさまざまな連携を生み出しています。
「以前はイベント中心の活動が多かったのですが、今はSNSでの発信をきっかけに、企業や個人の方と繋がるケースも増えてきました」
たとえば、浜松でハーブ農園を営む農家とは、栽培されたハーブの精油を使って、調香体験といった形での協力が生まれています。また、三ヶ日みかんを栽培する農家とは、加工後に廃棄されてきた皮を活用し、香りとして新たな価値を加える取り組みを進めています。
「うちは小規模で精油を作っているので、この素材を活かしてアロマが作れないかというご相談も多いんです」
こうした連携は、個人や農家に限ったものではありません。自然派コスメを手がける企業に和精油を提供したり、企業とのコラボレーション商品を開発したりと、香りを通じた関係性は少しずつ広がりを見せています。
香りをきっかけに、人と人がつながり、これまで交わることのなかった分野同士が結びついていく。山香の取り組みは、地域の中に眠っていた可能性を少しずつ表に引き出しています。
香りを通して描く、春野のこれから

春野町は、お茶の産地として多くの茶農家や茶工場があり、地域の産業を支えてきました。一方で、現在は後継者不足などの影響から、稼働を止めた茶工場や使われなくなった設備も少なくありません。春野スプリング製作所は、そうした地域の状況を背景に、製造業だけでなく、香りという新たな切り口で春野の可能性を考えています。
「お茶の時期は5月が中心で、それ以外の期間は茶工場が止まってしまうことも多いんです。
設備や環境はあるのに、使われていない時間が長い。そこが、もったいないと感じていました」
そこで同社では、休眠している茶工場を、アロマの蒸留所として再び活用する構想も描いています。お茶づくりと香りづくりは扱う素材こそ異なりますが、製造工程には共通する点も多く、既存の設備を活かせる可能性があるといいます。
「春野を“香りの町”にできたらという思いがあります。5月はお茶の香りが立ち、秋や冬には、クロモジや杉、檜の精油を作る香りが町に広がる。そんな風景が生まれたらいいですよね」
香りを通じた取り組みは、少しずつ次の世代にも広がり始めています。近年では、地元の中学生が職場体験として訪れる機会も増え、精油づくりや原料の話に関心を示す姿も見られるようになりました。
「香りの仕事って、まだ知られていない部分も多いですが、 実際に見たり触れたりすると、興味を持ってくれる子が多いですね」
春野スプリング製作所が描く「春野のこれから」は、地域にある資源や人の手を丁寧につなぎ直し、香りという形で新たな仕事や関係性を生み出していくこと。その積み重ねが、春野という土地の未来につながっていくと考えています。
香りを通して、人と自然、産業と暮らしがゆるやかに結び直されていく。和精油ブランド「山香」の取り組みは、春野の風景の中で、いまも進行中です。
山香/株式会社 春野スプリング製作所 山の香事業部
住所:静岡県浜松市天竜区春野町杉1076
電話:053-984-0220




