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フード  |    2024.11.19

関東を駆け巡るフードトラック「キナリノワ」が今も走り続ける理由【後編】|炊き出しと母と私

後半では、まみさんが能登半島地震の際に炊き出しへ行った話をベースに取材を行った。

まみさんがボランティアへ行こうと思ったきっかけや、まみさんの人間性を形作ったお母様との関係について深掘りしたので、ぜひ前編を含めて読んでいただきたい。

前編はこちら

関東を駆け巡るフードトラック「キナリノワ」が今も走り続ける理由【前編】|パンとおみそとそば

能登半島地震の被災地にフードトラックで炊き出しに行った本当の理由

キナリノワ フードトラック

——今年(2024年)のお正月にあった能登半島地震の際は、ボランティアで炊き出しに行ったそうですね。それはどうしてですか?

「能登半島地震があったとき、私はすぐに『炊き出しに行きたい!』って思ったんです。というか、行かなきゃ!って使命感が湧いてきたんですよね。すぐに石川県庁に連絡したのですが、さすがに県庁もあたふたしていてボランティアにはきてほしいけどどうしたらいいかわからない!って状態でした。そしたら奇跡的に、知り合いの議員の方が掛け合ってくれて、行けることになったんです」

「でも、能登で泊まる場所もないので、フードトラックに荷物を詰めて日帰りで行ったんです。大変でしたが、現地でおみそ汁とソーキそばを提供した時に言われた言葉の数々が、今でも涙が出るくらい感動したのを覚えています。『ありがとうございます』『今日のことは忘れません』とか、私の方が感動をもらったというか、すごい体験ができたな〜と思いました」

ほとばしる直感を具体的な行動に移せるまみさんの決断力とフードトラックの機動力は、長年バディを組むベテラン刑事たちのように相性が良いらしい。

キナリノワ 清水麻美子さん

能登半島地震の際に、関東圏で実際に動いた人はどれくらいいるのだろうか。数えるのもおかしな話だが、少なくとも筆者の周りにはいなかった。まみさんの行動は、それほど貴重で尊いものであると確信する。

さらに、炊き出し後に帰ろうとすると、大雪が降ったそうだ。地面もぐちゃぐちゃで危険な道のりを、なんとか乗り越えて帰ってきたらしい。一度目でこんなにも大変な思いをしたにもかかわらず、まみさんは同年3月に再び炊き出しへと能登に出向いた。

—— 能登半島地震の際にボランティアへ行った経験が、今の大和市との防災協定に繋がったのでしょうか?

「能登半島地震の時に言われた言葉の数々に感動したと言いましたが、やはり私がフードトラックをやっている意味は、こうゆうことなのかなって思います。今後も地震や津波などで被災された方々のために、いつでも炊き出しができるよう活動していきたいと思ったんです。それで、まずは拠点である大和市と-災害時におけるフードトラックによる炊き出し等の実施に関する協定-を結びました」

まみさんの人助けの精神は素晴らしい。だが、筆者はもっと根底にあるまみさんの心情を知ってみたかった。なぜ、被災地への支援に行かなきゃという使命感が湧いて出てきたのか。これは、まみさん自身が辿ってきた人生の中にヒントがありそうだ。

母との確執が今の私をカタチづくる

キナリノワ 清水麻美子さん

——まみさんがそこまでして誰かのために動けるって、今までの人生が関係しているとしか思えません。現在の価値観を形成するに至るまで、何か印象的な出来事があったのではないでしょうか?

「よく分かりましたね!実は私、結構波乱万丈の人生を歩んでいて、多分それが影響しているんだと思います」

——差し支えなければ、その人生の一部分だけでも教えていただいてもよろしいでしょうか?

「いいですよ。実は私、母と確執があって、昔から意見が合わなかったんです。母のやることがすべて分からなくて、いつも喧嘩していました。多分、母は母で私をちゃんと育てなきゃいけないという強い固定概念があったのでしょう。ただ、次第に母は自分の理想を私に押し付けるようになってきて、それが嫌で家出なんかもして、非行に走ったこともありました」

「ただ、やっぱり親子なんでしょうね。家を出て行くけど、ちょっとすると母が心配になってまた戻ったりして。何度も切ろうとした縁がついに切れた出来事は、私に娘が生まれてからでした。私の娘が成長して行くに連れて、母は私から娘へと矢印の方向を変え、自分の理想を押し付け始めたんです。心を病んでしまうほど母は執拗に私の娘を追い詰めたため、どうにか大和市へ逃げてきました。母に否定され続けた私は、今でも自己肯定感が低いままなんです。だからこそ、自分のためというよりは“人のために”と思った方が動けるのかもしれません」

キナリノワ 清水麻美子さん

まみさんは最後に「母のことは恨んでいません」と語り、話を終えた。

まみさんとお母様のことは、外野が何を言おうと二人のことでしかない。二人の間に渦巻く感情や真意は、到底分からない。だが、今のまみさんをカタチづくっているのは、間違いなくお母様の影響もあるだろう。まみさんはだからこそお母様に感謝しているとも語った。反面教師として捉え、お母様にされて嫌なことは自分の子どもにはやってこなかったし、母とは逆の思考回路を持つことで今の自分になったそうだ。

おそらく、まみさんが周りからすごいと言われるのは、まみさんが他人を優先して考えられるからなのだろう。自己中心的で利己的である人間が多いなかで、他人のために動けるまみさんの行動は真似しにくい。それがたとえ自己肯定感が低いからとか自分に否定的だからとか、ポジティブではない感情からくるものであっても、人のために動けることは結果的にプラスに働く。だから周りは、まみさんを「すごい」と言うのだろう。そして筆者も、簡単な言葉では片付けたくないものの、まみさんを「すごい」と言いたい。

まみさんがフードトラックで災害時に炊き出しへ行けるよう大和市と協定を結んだのも、頷ける話だ。もし「キナリノワ」とまみさんに遭遇したら、温かくて美味しいソーキそばを食べてみてほしい。

キナリノワ 清水麻美子さん

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この記事を書いた人

みくと

映画と映画館をひたすら愛するフリーライターです。2000年に横浜で生まれ、現在は妻と娘と大和市に住んでいます。普段は映画レビューの寄稿やSEO記事の執筆、ホームページのライティングなどをしています。趣味は、次に観る映画を「何にしようか」と悩むことと、文章を書くことです。Mediallでは、地域の映画館や神奈川の魅力溢れるお店などをご紹介します。

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