今回は、神奈川県で英会話教室と、ハワイ発祥のマッサージ「ロミロミ」を提供するヨウコさんにお話を伺った。
人との繋がりを大切にしながら、多くの人へ「癒し」と「学び」を届けるヨウコさん。現在は神奈川県で個々のスキルに合わせた英会話教室「EMU」を運営している。過去にオーストラリアで9年間滞在した経験を持ち、メルボルンの国立大学で教育学を学び、ビクトリア州の教員資格を取得した正真正銘の英会話のプロだ。
しかし、今でこそ英会話教室で多くの生徒さんに英語の楽しさや学びを教えているものの、以前は不動産会社で会社員をしており、英語を喋ることはまったくできなかったそう。
ヨウコさんは、なぜ安定した生活を捨ててまで、英会話を学ぼうと決心したのだろうか。その背景には、数えきれないほどの挫折と挑戦が交差していた。
恐怖の事情聴取から、人生をひっくり返した英会話講師のヨウコさん
——ヨウコさんは、なぜ安定した会社員生活を辞めて、英会話の道へ歩もうと思ったのでしょうか?
「だいぶさかのぼると、小さいころから英語教室には行っていたので、学校の英語はそこそこできたんですよね。大学まで英語の成績は良かったんですけど、友達の家に遊びに行こうと思ったときに、シカゴに一人で行ったら、とんでもないことになってしまって…」
——とんでもないこと…ですか?
「友達が空港で待っててくれるから、英語なんか喋れなくてもいいやって思って行ったんです。ただ、ちょうど9.11(アメリカにおける飛行機テロ)の2年後かそこらだったので、セキュリティが厳しくて。入国審査も、通常ならちょっと話して『サイトシーイング(sightseeing)』って言ってれば出れるので大丈夫かなと思っていたのですが、空港を出るまでに3回も4回も質問される場があったんですよ。それで空港の入国管理や出入国審査の人たちとかが何人か来て…」
——雲行きが怪しくなってきましたね。
「『サイトシーイング、サイトシーイング』じゃ、もうダメなぐらい色々なことを聞かれて、でも私は何もできなくて半泣きになってしまいました。それで『こいつは怪しい』ってなったんでしょうね。入国管理の大きい人から『What’s your job?』 って聞かれて。私の仕事は不動産屋だけど、不動産屋って英語でなんて言うの?と思考停止して『I don’t know』って言ってしまったのです。すると入国管理の大きい人は『おい、自分の仕事も知らないのか?大問題だ!』みたいになって『チケットは誰が買ったんだ』とか『いくらだった』とか、さらに聞かれてパニック状態です」
——それは怖いですね。僕も海外に行ったことがありますが、異国でそのような体験をしたらと思うと、恐ろしいです。そのあとは結局どうしたのですか?
「そのあとは結局、日本人のグランドスタッフさんが私の言ってることを全部通訳してくれて事なきを得ました。で、もう本当に空港を出るまでずっと半泣き状態でした。その経験があって、あまり海外に行くことに興味がなかったのですが『これじゃダメだ、今の時代、一人で海外旅行にも行けないのではダメだ』と思って、大手英会話教室に通い始めたんです。で、そこで少しずつ練習していくうちに、次第に実践が大事だと思って日本語を教えるボランティア団体に入りました」
——ボランティア団体ですか。
「それも不思議な縁で、自由が丘の大きなボランティア団体と、たまたま出会う機会があったんです。三、四カ国語を操り、貿易関係で飛び回っていたような人たちが、英語や中国語、韓国語をバックグラウンドに持つ人たちに日本語を教えていました。そこで私も、日本語を教えるというボランティアを始めたのです。それで、日本語を教えるって面白いなと思い、現地ではどのように教えてるんだろうと気になって、その1年後に会社を辞めてポン!とオーストラリアに行ったっていうのが、オーストラリアに行くまでの簡単な経緯です」
——あれ、さらっと会社辞めてましたけど!(笑)ヨウコさんは好奇心が面白いほど行動に表れるのですね!
「どこに向かうかはわからないけど、一人でできることは、パッとやります!」
恐怖の事情聴取から、英語への復讐心とも言える“興味”を行動に変えたヨウコさん。英語を学ぶために安定した会社員生活を捨てた背景には、純粋な好奇心があった。
しかし、英語を学ぶためにオーストラリアに渡豪したものの、入学した大学ではまったく英語の授業についていくことができなかったそうだ。次第に追い詰められていくヨウコさんは、自身の心が卑屈になっていったと言う。