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アート  |    2023.09.25

「感性はどこにいたって変わらない」パリの画家の言葉に背中を押されたイラストレーター・CHINATSUさん

表紙のイラストに惹かれて資料請求したCHINATSUさんのポートフォリオ(イラスト提供:CHINATSUさん)

この表紙のイラストにとてつもなく惹かれて「ポートフォリオいただけませんか?」と問い合わせをしたことがある。

問い合わせ先は、イラストレーターのCHINATSUさん。鹿児島に拠点を置きつつも、全国からお仕事を受注し、制作を手掛けるイラストレーターだ。

鹿児島の商業施設で開催されたイラフェス#02にて(写真提供:CHINATSUさん)

詳しく話を聞くと、独学でイラストを学び、持ち前の営業力と行動力で自分のキャリアを切り拓いてきたらしい。

プライベートでは、中学3年生の男の子と小学6年生の女の子を育てる2児の母。

「CHINATSUさんはどんな道を歩まれて、今があるのか」「どのようにして仕事と子育てをしてきたのか」「イラストレーターとして働く原動力」などについて話を伺った。

将来の夢がなかった学生時代

CHINATSUさんは鹿児島県枕崎市生まれ。高校卒業までは枕崎市で過ごした。

幼少期から絵を描くことが好きだったものの、何を仕事にしたいのか分からないまま、鹿児島市内の短大へ進学し、養護教諭になるための勉強を専攻した。「なんか違うな」と違和感を抱き、卒業後は専攻分野とは無縁の仕事に就いた。就職先は福岡。そこで約2年間OLを経験した。

22歳のとき、当時の彼氏(後の夫)の勧めで、公募ガイドに載っていた留学提携会社のコンテストに応募した。すると、見事大賞を受賞。賞金として、フランス・パリでの1ヶ月留学を得た。

この受賞は「騙されているのではないか」と疑うほど自分でも信じ難い結果だったようで、実際にこのコンテストの審査員だった東京藝術大学の助教授に電話で「本当に私を選んでいただいたのですか?」と問い合わせをしたという。

「どこにいても自分は自分なんだ」と思えた最後の言葉

パリ留学期間中に本場のアートに触れた(写真提供:CHINATSUさん)

この留学を機に、勤めていた会社を退職し、渡仏した。ピカソの弟子だった芸術家からフランス芸術について教わり、本場のアートに触れた。

その後の人生に大きく影響を与えたアトリエのオーナー(写真提供:CHINATSUさん)

留学期間、絵を描く人の生き方を間近で見てきて、そんな人生に惹かれた。そして、アトリエで過ごす最終日に、オーナーから「あなたの感性はどこにいたって変わらない」という言葉をもらった。その言葉をかけられて、CHINATSUさんは「どこにいても自分は自分なんだ」と思えた。

この留学中にロンドンを旅行し、そこでも感性を養った。あっという間の留学を終え、帰国。

そこからは迷いもなく、独学でイラストレーターを目指した。しばらく福岡でフリーターをしながら生活費を稼ぎ、その後鹿児島に帰省。25歳のときのことだ。

鹿児島から東京へ営業、そしてニューヨークでのグループ展も経験

鹿児島に戻ってからは、鹿児島の出版社に自ら営業をかけ、イラストの仕事を受注できるように駆け回った。無償で雑誌にイラストを掲載させてもらったり、有償でイラストマップを描く仕事を受注したりもできた。

初めは手描きのイラストを制作していたが「手描きだと修正ができないから、PCで描いてもらえないか」というクライアントの要望があり、PCでの制作にシフトしていった。

徐々に実績が増えていった27歳の頃、鹿児島を飛び出して東京の出版社への売り込みを開始する。電話をかけたり、ポートフォリオを片手に突撃訪問したりと積極的に動いたという。

自分の作品を展示したニューヨークでのグループ展(写真提供:CHINATSUさん)

イラストレーターとしての仕事が軌道に乗り始めて5年経った頃、イラストレーター仲間とニューヨークでグループ展を2回開いた。

1回目は東京で活躍するイラストレーター数名と。2回目は「サツマティック」というユニット名で、鹿児島のイラストレーター仲間と。

そうやってとにかく動けるだけ動いた。

葛藤はあっても、自分が築き上げたキャリアを崩したくないから

仕事と子育ての両立に悩んだことも(写真提供:CHINATSUさん)

30代半ばで長男を出産した。すると、これまで全力で駆け抜けてきたキャリアがスローペースに。産後1ヶ月には仕事復帰したものの、長男が1歳を迎える頃までは以前のような仕事ができないことに寂しさがあった。その3年後、長女が誕生。コアラのように子どもを抱えて仕事をしながら、仕事と子育ての両立をする日々に葛藤や罪悪感があった。

今では「子どもたちが元気で、仕事ができるんだったらそれでいい」「子どもたちが元気だからこそ、仕事ができる」と思っているという。

2人の子どもたちが大きくなった今「イラストレーターとしてのお母さんを応援している」「これはお母さんの作品なんだ」「お母さんが仕事でストレスを感じているときもあるけど、仕事ってそんなもんなんだな」と応援されたり、励まされたりしているようで、これがCHINATSUさんの原動力になっている。

やり遂げたいことは山ほど

クリエイターEXPOの出展ブース(写真提供:CHINATSUさん)

今年6月に東京ビッグサイトで開催された「クリエイターEXPO」に出展。開催期間中は常駐し、700部のパンフレットを配布した。その甲斐あって、夢の1つだった月刊全国紙の表紙イラスト制作を受注できた。この雑誌は教育に関わるもので、子育て世代のCHINATSUさんにとって喜びを倍増させた。

「イラストレーターのお母さんとして子どもを育て上げる」という大きなミッションが、働くモチベーションになっているようだ。

「全国規模の百貨店全体の空間イラスト、飛行機や新幹線などの車体イラストなど、自分のイラストが大きく使われ、世間にインパクトを与えるような制作を手掛けるのは夢のまた夢という感じもしますが、いつか成し遂げたいですね。また、まち・子ども・生活に関わる分野のお仕事、例えば教科書の表紙や挿絵のイラストもやってみたいですね。まだまだやりたいことはたくさんあります」

そう力強く語ってくれた。目の前の人や仕事に真摯に向き合い、これまで着々と夢を叶えている「イラストレーター」であり「お母さん」であるCHINATSUさんなら全部叶えてしまいそうな気がした。

CHINATSUさんに関する情報

鹿児島の名所・仙巌園と桜島を描いた作品(イラスト提供:CHINATSUさん)

WEBサイト:https://chi72.com/
X:https://twitter.com/chinatsunatsu
Instagram①:https://www.instagram.com/chinatsu_illustrator/
Instagram②:https://www.instagram.com/1000______chinatsu/

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この記事を書いた人

きゃんまり

鹿児島出身、関東在住。広告代理店に勤務し、ライターとしても活動中。取材ありの記事執筆やイベントレポートの作成が得意。一歩鹿児島を出ると、「鹿児島の本当の魅力が知られていない」「鹿児島と無縁の人が多い」と痛感しています。大好きなふるさと鹿児島を一人でも多くの人に知ってもらい、ファンになってもらうために、鹿児島のモノ・コト・ヒトに関する情報をお届けします。

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