アート  |    2026.10.25

年に一度、日常を忘れる夜。身曾岐神社「八ヶ岳薪能」初体験ルポ【山梨県北杜市】

毎年8月3日の夜、山梨県北杜市の身曾岐(みそぎ)神社で「八ヶ岳薪能(やつがたけたきぎのう)」が開かれます。水に浮かぶ能楽殿と、客席を囲むかがり火。能も狂言も初めての私が、神様に捧げる年に一度の舞台を観てきた感動をレポートします。

八ヶ岳薪能

「能って、むずかしそう」。

薪能はおろか、能も狂言も観たことのない私は、観覧券を取る前に少し迷いました。何を着ていけばいいのか、観るときのお作法はあるのか。初心者が行ったら恥をかくのではないかと不安でした。

実際に足を運んでみると、身構えていたのがうそのようでした。会場には子どもや若い人も多く、思ったよりカジュアルな雰囲気でした。八ヶ岳の森のなか、かがり火に照らされた舞台に、気づけば時間を忘れて見入っていました。

終演後、ライトに照らされた能楽殿。池の水面に舞台が映り込む

年に一度、神様に捧げる夜の能

八ヶ岳薪能は、身曾岐神社の例大祭の前夜に行われる「宵宮」の神事です。神事の中で、能や狂言が神様に奉納されます。開催は毎年8月3日で、2026年で第35回を数えました。薪能とは、かがり火をたいた野外で演じられる能や狂言のことです。

身曾岐神社は、北杜市小淵沢町の森のなかにあります。舞台となる能楽殿は、神池の上に建っています。客席からは、舞台が水に浮かんでいるように見えます。

舞台と参列者を祓い清める「清祓の儀(きよはらいのぎ)」や、客席を囲むかがり火に火を灯す「篝火点火の儀(かがりびてんかのぎ)」も、八ヶ岳薪能ならではの見どころです。

開演前の会場。神池に建つ能楽殿を、客席がぐるりと囲む

初めての私が体験した、かがり火の一夜

明るい夕方にはじまり、夜の闇のなかで終わる。3時間ほどのあいだに、舞台の空気は少しずつ変わっていきました。

まだ明るい16時半、「清祓の儀」で幕が開く

開演は16時半です。空はまだ明るく、私も日傘をさして開演を待ちました。

はじまりは神事「清祓の儀」。まず舞台と会場の参列者を祓い清めます。続いて宮司が能楽殿の鬼門に向かって、梓弓(あずさゆみ)に矢をつがえます。弓弦(ゆんづる)を鳴らし、床を踏み立てて、禍神(まがつかみ)を追い払います。厳かな弓弦の音に、客席はしんと静まり返りました。

清め祓いが済むと、宮司は能楽殿の中央から御本殿の神様に向かい、八ヶ岳薪能の開演を申し上げる祝詞(のりと)を奏上します。

そのあと、能楽師と司会の女性の対話形式で、当日の見どころの紹介がありました。今年初めての試みだそうです。

少しむずかしかった舞囃子と、客席がどっと笑った狂言「六地蔵」

最初の演目、舞囃子「三輪」は、私には少しむずかしく感じました。舞囃子は、能の見どころを抜き出し、面や装束をつけずに舞う形式です。袴姿の演者が、扇を手に、謡と囃子に合わせて舞います。筋はつかみきれませんでした。それでも、初めて聞く生の笛や鼓(つづみ)の音が思いのほか美しく、聞き惚れました。

狂言「六地蔵」で、会場の空気はがらりと変わります。仏師になりすます詐欺師「すっぱ」を演じるのは、テレビや映画でも活躍する野村萬斎さん。どこか憎めない、あやしい笑顔で繰り出す悪だくみの数々に、客席のあちこちから笑い声が上がりました。

せりふは聞き取りやすく、身ぶりも大きいので、初めてでも話の流れが分かります。まるでコントを観ているようでした。会場にいた小中学生の子どもたちも、声を出して笑っていました。

狂言「六地蔵」の一場面。コミカルなやりとりに、客席は笑いに包まれた(写真提供:身曾岐神社)

「篝火点火の儀」で、客席のまわりに火が灯る

狂言が終わった18時ごろ、神事「篝火点火の儀」がはじまりました。神職の方が松明を手に、客席を囲むかがり火へひとつずつ火を移していきます。

火がひとつ灯るごとに、会場は夕方から夜の景色へ移っていきました。

篝火点火の儀。神職の方が、松明の火をかがり火へ移していく

能「清経」、虫の音が止み、灰が雪のように降った

あたりが暗くなると、能物語「清経」がはじまりました。俳優の篠井英介さんが、まず能のあらすじを現代語のひとり芝居で演じます。物語を知ってから本編を観られるので、初心者にはありがたい工夫でした。

そしていよいよ当日のメイン、能「清経」です。清経の亡霊を演じるのは、宝生流宗家の宝生和英さん。亡霊が音もなく現れるシーンに見入っていると、鳴き続けていた虫の音がぴたりと止んでいることに気がつきました。

日が暮れた能楽殿で演じられる能「清経」(写真提供:身曾岐神社)

せりふの意味は、私にはほとんど聞き取れませんでした。それでも所作の美しさに目を奪われ、時間が止まったように感じました。車の音も、風の音も聞こえない静けさでした。

ラストシーンでは、かがり火から舞い上がった灰が照明に照らされ、白く降ってきました。まるで雪のようでした。

能を知らなくても楽しめる3つの工夫

初心者の私が助けられたのは、能を知らなくても楽しめる工夫が用意されていたことです。

  • 本日の見どころ:開演直後に、能楽師が当日の演目の見どころを話す
  • 能物語:能の本編の前に、現代語のひとり芝居であらすじが分かる
  • スマホde解説:イヤホンで聞ける解説サービスを、会場で利用できる(イヤホンは持参)

プログラムによると、当日は13時半から体験教室「能のいろは」(60分・要予約)も開かれていました。私は参加していませんが、予習してから観たい方にはうれしい企画です。来年も開かれるかは、公式サイトで確認してください。

能は、謡と舞、囃子で物語を表す歌舞劇です。狂言は、せりふのやりとりが中心の喜劇です。初めてなら、狂言から入ると楽しみやすいと思います。

来年行くなら覚えておきたいこと

観覧券は予約の受付開始日に申し込み、当日は早めに着くのがおすすめです。

  • 観覧券:電話かインターネットで申し込みます。予約の受付開始日は電話がつながりにくく、私はインターネットで申し込みました。紙の観覧券が郵送で届きます
  • 到着時間:私は開場の15時半に着きましたが、空いていたのはいちばん遠い駐車場でした。駐車場から会場までは歩いて5分ほどです
  • 服装:指定はありません。着物や浴衣の人もいれば、アウトドアウェアの人もいました。夏でも夜は冷えるので、羽織るものを1枚持っていきましょう
  • 子ども連れ:観覧券には「未就学児の入場はご遠慮ください」と書かれています
  • 雨の日:雨天決行・荒天中止です。会場内では傘を使えないので、雨がっぱを持っていきましょう
第35回八ヶ岳薪能のチラシ(表面)(画像提供:身曾岐神社)

来年の8月3日は、ぜひ身曾岐神社の八ヶ岳薪能へ

能も狂言も初めてでしたが、むずかしさより、心を動かされた場面のほうが多い夜でした。水に浮かぶ能楽殿と、客席を囲むかがり火。虫の音さえ止んだ静けさは、身曾岐神社でしか味わえないものだと思います。

終演後のかがり火と能楽殿。舞台や火を写真に収める人で、会場はなかなか空かなかった

能や狂言に興味はあるけれど、初めてで気後れしてしまう方。非日常をゆっくりと楽しみたい方。八ヶ岳薪能、おすすめです。

八ヶ岳薪能の基本情報

会場
身曾岐神社
〒408-0041
山梨県北杜市小淵沢町上笹尾3401

開催日
毎年8月3日(例大祭前夜の宵宮の神事)

開催時間(2026年)
開場15:30/開演16:30/終演19:30ごろ
※時間は年によって変わります

協賛金
2026年は1人1万円・全席指定
※金額・予約時期は年によって変わります。最新情報は公式サイトで確認してください

申し込み
電話(八ヶ岳薪能実行委員会 052-753-4737)またはインターネット

駐車場
あり(2026年は約600台)

車でのアクセス
中央自動車道・小淵沢ICから約5分

公共交通機関でのアクセス
JR中央本線・小淵沢駅からタクシーで約5分

問い合わせ
0551-36-3000(身曾岐神社)

注意事項
雨天決行・荒天中止/演能中の写真撮影・録音・録画は禁止

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参考文献・リンク

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この記事を書いた人

宮沢 まみ

山梨県甲府市在住の取材ライター。 地元・山梨を拠点に、観光地や地域に根ざすお店を訪ね、土地の物語や人の想いを丁寧に取材・執筆しています。海外生活の経験も活かし、日本各地の観光と暮らしの魅力を伝えることを目指しています。

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