横浜はなぜ開港地になったのか
幕末、日本は黒船来航によって大きな転換点を迎えました。
1853年、ペリー提督率いる艦隊が浦賀に現れ、開国を迫ります。翌年の日米和親条約で下田と箱館が開港しましたが、さらに本格的な通商を求めるアメリカとの交渉が続き、1858年に日米修好通商条約が締結されました。この条約で開港地に選ばれたのが神奈川(横浜)でした。
ーーなぜ横浜だったのでしょうか?
当時は小さな漁村に過ぎなかった横浜村。
アメリカ側からの“江戸に近い港”という条件は守りつつ、外国人と庶民の接触を最小限に抑えたいという幕府の思惑から選ばれたといわれています。こうして横浜は、日本の近代化の玄関口となったのです。
今回は、そんな横浜の開港の歴史を感じられるスポットを歩いてみました。
日米和親条約締結の地:幕末外交の現場
最初に訪れたのは、「日米和親条約締結の地」。

歴史的な瞬間を示す石碑は、横浜市中区の開港広場の一角にあります。
1854年、ペリー提督の来航を受けて締結された日米和親条約により、下田と箱館が開港し、アメリカとの外交関係が正式に始まります。
横浜はこの時点ではまだ開港地ではありませんでしたが、この和親条約が後の日米修好通商条約へとつながり、横浜開港のきっかけとなりました。

公園内は静かで、ここが歴史の転換の地であったとは不思議な心地がします。
広場の隣には、日本で最初のプロテスタント教会である横浜海岸教会が建っています。
横浜開港資料館:歴史を体感できるスポット
次に向かったのは横浜開港資料館。
英国総領事館として使われていた、歴史を感じるクラシックな洋館です。
館内に入ると、まずは大きな地球儀がお出迎え。

開港当時の横浜の地図や写真、外交文書などが展示されています。


こちらはペリーが乗ってきた黒船サスケハナ号の模型。
面白い展示があったのでご紹介しますね。

当時の地図に現在の名所を重ねた展示があります。
山下公園がある場所は、かつて海の上だったことがわかります。
横浜開港資料館の位置も、当時は波止場のすぐ近くでした。
さらに印象的なのが「ペリー提督・将兵の横浜上陸図」。ペリーが500人もの兵を率いて横浜村に上陸した様子が描かれていますが、その絵の中にある一本の木が、現在資料館の中庭に立つたまくすの木の前身だといわれています。


つまり、資料館のある場所は、幕末の上陸図と重なる歴史の舞台なのです。
展示はコンパクトですが情報量は多く、じっくり見れば1時間は過ごすことができます。入館料は大人200円とリーズナブルなので、歴史散策の途中に是非立ち寄ってみてください。
山下公園散歩:港町の風景
最後に、山下公園へ。
ここは関東大震災後の復興事業で整備された公園で、ここでも横浜の歴史を感じることができます。
海沿いの遊歩道や芝生広場があり、ベンチに座って景色を眺めたり、レジャーシートを広げてお昼ごはんを食べたり、のんびり過ごす人の姿があります。

公園からは、戦前の豪華客船氷川丸や、開港100周年を記念して建てられた横浜マリンタワーが見えます。


氷川丸は日本郵船が建造した大型の貨客船で横浜ーシアトル間を就航しました。
戦前には豪華客船として活躍し、チャールズ・チャップリンや秩父宮殿下なども乗船しています。
マリンタワーは高さ106m、展望台からは横浜港やみなとみらい、横浜ベイブリッジを一望でき、晴れた日には富士山まで見えることもあります。夜間のライトアップは幻想的で、デートスポットとしても人気です。
まとめ
幕末の外交交渉から始まり、近代化の扉を開いた街、横浜。
今回歩いた「条約締結の地」「横浜開港資料館」「山下公園」は、その歴史を肌で感じられるスポットでした。
ぜひ歴史の舞台を歩いてみてください。



