枚方市中宮の住宅街の中を、まっすぐ一本の線のように伸びているのが中宮平和ロードです。車通りから少し離れているため、車の音はほとんど聞こえず、静かな住宅街の中にある通りです。しかし、その名の通り、中宮平和ロードはその背景には重い戦争の記憶が刻まれています。かつてこの辺りは何があったのでしょうか?実際に歩いてみたのでレポートします。
中宮平和ロードはかつての軍用鉄道の廃線跡を整備した遊歩道

中宮平和ロードは、かつて禁野火薬庫へ軍需物資を運ぶために敷かれていた軍用鉄道の跡地を活用して整備された遊歩道です。戦後長く放置されていたこの廃線跡は、1991年に約600メートルの散策路として生まれ変わりました。現在は静かな住宅街の中に溶け込み、地域の人々が日常的に歩く穏やかな道となっています。

枚方市は戦前、旧陸軍の火薬庫や製造施設が複数置かれていたことから「軍需の町」と呼ばれていました。その象徴ともいえる禁野火薬庫では、1939年に大規模な爆発事故が発生し、約700名もの死傷者を出す深刻な被害が記録されています。この事故は市内外に大きな衝撃を与え、長く語り継がれる悲劇となりました。

こうした歴史を忘れず、未来へ伝えるため、枚方市は1982年に大阪府で初めて「非核平和都市」を宣言します。その取り組みの一つとして、軍用鉄道の廃線跡を「中宮平和ロード」と名付け、平和を願うモニュメントや説明板を設置しました。かつて軍需のために使われた道が、今では平和を考える場所として静かに息づいているのです。
中宮平和ロードに残る戦争の傷痕
さっそく実際に中宮平和ロードを歩いてみましょう。

静かな遊歩道はレンガが敷き詰められています。周りには花が咲いていて、今は平和そのものです。

こちらは子供のモニュメントです。「子供群像」といって、無邪気な子供たちがモデルになっています。子供が子供らしくいられるのは幸せな日々があってこそ。戦争がない平和な世界にあって、初めて子供は子供らしくいられるのかもしれませんね。

次に見えてきたのは「トレリス」です。トレリスは、もともとガーデニングで用いられる格子状の柵や支柱のことで、バラや葉などのつるのある植物をそこに這わせて、庭の装飾に使われるものをいうようです。

こちらにあるのはアーチ形のトレリスで、当時、陸軍で使われた砲弾や火薬を禁野火薬庫から各地に運んだ蒸気機関車を表しているようです。その証しにこのトレリスには大きな車輪が。実際通ってみると意外と大きいので、ずいぶんたくさんの火薬を運んでいたんでしょうね。
次にあったのがこちら。

こちらは「パーゴラ」です。パーゴラもまた、格子状の屋根を持つつる棚のことで、庭やウッドデッキに設置するものです。そして、こちらは船の形をしています。どうやら、江戸時代の三十石船を表しているよう。江戸時代から明治初期にかけて、三十石船は京都と大阪を結んでいた淀川の定期船です。江戸時代も戦争時代も同様に、枚方は物資を運ぶのに重要な中継地点だったのですね。

今は散歩する人たちが休めるベンチとして活躍しています。

次に見えるのが半鐘です。半鐘はもともと火災や緊急事態を知らせるための鐘なのですが、禁野火薬庫も火薬や砲弾を扱う危険な施設だったため、半鐘が命を守るための警報装置として置かれていたと言われています。今は時計となって、現代の暮らしの彩りになっているのですね。

最後はこちら。軍用電柱です。軍用電柱は戦争の残骸として残されたもので、当時には珍しい鉄筋コンクリート製です。こちらの軍用電柱は電力を送るインフラとして大活躍したそう。これらの痕跡がなければ、かつてこの地に戦争による犠牲があったなんて思わなかったかもしれませんね。
中宮平和ロードはいかがでしたか?戦争がなければ、大きな火薬庫も必要なく、大規模な爆発事故でたくさんの死傷者を出すこともなかったかもしれません。今はのどかで穏やかに見える中宮平和ロードですが、過去の歴史を風化させないためにも、歩きながらその記憶に思いを馳せてみるのも良いかもしれません。
中宮平和ロードの詳細情報
住所:〒573-1196 大阪府枚方市中宮11
(府道139号線の「宮之阪3東」交差点付近から、府道144号線の「コマツ前」交差点付近)
電話番号:072-841-1221(枚方市役所)




