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スポット  |    2025.09.15

戦争のリアルを自分事のように考えられる「ピースおおさか」で平和を祈る|大阪府大阪市

戦争といえば、長崎や広島の原爆を思い出しがちですが、大阪にも空襲があったことをご存知でしょうか?当時のことを知っている人はもう数少なくなりましたが、大阪城公園内にある「ピースおおさか」では、大阪空襲当時、人々の生活はどんな様子だったのか、日本全体を取り巻く空気感はどのようなものだったのかをリアルに体感することができます。

今回はそんな大阪国際平和センター「ピースおおさか」をご紹介します。

大阪大空襲ってなに?

大阪にも空襲があったと聞くとそうだろうとは思っても、原爆の長崎や広島に比べて書物や資料も少なく、あまり詳細は知らないという人も多いでしょう。ですが、戦争当時、大阪は50回以上も空襲を受けていたようです。大阪大空襲は、その中でもB29爆撃機が100機以上で来襲した大空襲のことをいいます。そんな大きな空襲は8回もあり、約1万5千人もの人が犠牲になったと言われています。大阪市の港区、大正区を中心に、西淀川区、天王寺区、生野区、淀川区、北区など広範囲で被害を受けたそうです。

「ピースおおさか」では、大阪大空襲の犠牲者を追悼し、平和を祈念する平和ミュージアムとして、大阪大空襲を中心とした戦争の記録や資料の収集・保存・展示を行っています。館内はいくつかのブースに分かれていて、全体をまわるのに1時間ぐらいは軽く必要とします。

町全体の様子を表したジオラマ、映像、当時の子供たちの作文、実際の教室の風景、個人の持ち物や生活の様子など、展示や模型といったさまざまな形で表現されています。また焼夷弾の実際の大きさを知ることができる模型や防空壕の様子なども体験できます。

日本全体を取り巻く重苦しい空気感

日本国内に戦争の歴史を伝える施設はいくつかありますが、「ピースおおさか」のすごいところは、その当時の重々しい空気がリアルに感じられるという点です。

館内には当時を伝えるポスターやチラシ、標語などの展示もあります。「日本はいずれ敗戦する」と、今となってはわかっていることではありますが、当時は不利な戦局からなんとか士気を上げようと「あと少しで戦争に勝つからもうひと頑張りだ」というメッセージが送られてきます。

ですが、当時の質素な食事内容や今の子供に比べても低すぎる身長と軽すぎる体重から、日本は勝っているというメッセージに矛盾を感じていた人もいたのではないでしょうか?館内に展示されている当時の食事内容からも食糧不足の深刻さが伝わってきました。

そして、戦争資金を集めるためのプロパガンダのポスターが同調圧力を求めるように重苦しくのしかかってきます。

また、大阪でも出征していく若者たちも多くいたのでしょう。当時の出征していく若者がかけていた生々しいタスキの展示がありました。大きく名前を書かれたタスキは、当時は彼をたたえるつもりで書いていたのかもしれませんが、今に見ると、まるで煽って逃げられないようにさせているようにも思え、若者の息苦しさを感じました。

「ピースおおさか」の建物の出口付近では、大空襲当時を振り返って描かれた大阪市民の絵が飾られています。その絵には、大空襲を受けた時、大阪のどこで何をして、何を見たのかが克明に記されています。大阪市民なら誰もが知っている地名や場所で、一瞬にして家族を無残な姿で亡くした様子は自分事のように感じて、あまりのリアルで生々しい様子に、きっと心が揺さぶられますよ。

「ピースおおさか」の詳細情報

住所:〒 540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城2-1(大阪城公園内)
電話番号:06-6947-7208
アクセス:JR大阪環状線・大阪メトロ中央線「森ノ宮駅」より徒歩約7分
営業時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
休日:月曜日、祝日の翌日(9~11月を除く)、所定月の月末、年末年始(12/28~1/4)
※祝日の翌日又は所定月の月末が土曜日又は日曜日の場合、翌火曜日が休館
料金:大人250円、高校生150円、65歳以上、中学生以下、障がい者の方は無料

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この記事を書いた人

kisaragisyu

如月柊 大阪を中心とした京阪神、奈良を担当します。大阪に住んでいるからこそ知ることができる旬の情報を皆さんにお届けしたいと思います。是非、大阪に遊びに来てくださいね。

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