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スポット  |    2025.10.18

レコード持参で割引?音楽×ゲストハウス、小田原Tipy records inn【後編】

中学時代に音楽と出会い、不登校や転職を経て、バスの運転手として働いていたコアゼユウスケさん。「バンドがしたい」という思いを抱え、自分らしく生きるために副業に挑戦します。この挑戦が、やがてゲストハウス「Tipy records inn」へとつながっていきます。

前編はこちら

レコード持参で割引?音楽×ゲストハウス、小田原Tipy records inn【前編】

アパート1室で始めた副業

「Tipy records inn photon」の客室

路線バスの運転を通じ、国内外の旅行者と接する機会が多かったコアゼさん。旅行者の増加を肌で感じていました。

「民泊なら挑戦できそう」

2016年、バスの運転手になって4年目の秋、アパートの1室を借り、副業で民泊を始めます。後に「Tipy records inn room」となる部屋です。

手探りで始めた民泊ですが、徐々に予約が入り、稼働率も上がっていきました。ちょうど2016年は訪日外客数が初めて2,000万人を超え、前年比21.8%増の2,403万9,000人を記録した年1です。追い風を受けるように、コアゼさんの挑戦もうまく波に乗りました。

当初、自身で客室の掃除をしていましたが、バス運転手の仕事と両立するのは難しく、途中から外注に切り替えたといいます。月に25万円前後の売上があり、諸経費を差し引いても毎月数万円が手元に残るようになりました。

民泊を始める前、コアゼさんにはもう1つ大きな転機がありました。30歳のときに挑戦した高卒認定試験です。

高卒認定で自信を取り戻す

当時、地域の消防団に参加していたコアゼさんは、周囲の人に転職の相談をしていました。そこで、市の職員としてバス運転手の募集があると聞きます。「公務員だし、給料も安定していて、今より時間もお金も楽になるんじゃないか」と考えました。

しかし、「中卒じゃ難しいのかな」と、ためらいが頭をよぎります。

そこで「高卒認定を取れば可能性はゼロじゃなくなるかもしれない」と考えたコアゼさんは、さっそく教材を取り寄せます。バスの運転手をしながら、休憩時間を利用して、3カ月ほど集中的に勉強し、高等学校卒業程度認定試験(通称:高卒認定試験)を受けました。

結果は合格。

通常は3年かけて取る高卒認定を、3カ月で取得したのです。

「俺はやればできるんじゃないか。本気になれば何でもできる」という感覚を取り戻した瞬間でした。この成功体験が、自ら道を切り開いていく原点になっていきます。

バス運転手からゲストハウス経営者へ

「Tipy records inn photon」のエントランス

さて、副業として始めた民泊は順調に推移し、手元には100万円貯まりました。その資金と銀行からの融資をもとに、ゲストハウス運営に本格的に踏み出すことを決意します。

2018年、33歳でバス会社を退職。

銀行から融資を受ける際には、約1年半続けていた副業の実績が役立ちました。すでに売上があったため、スムーズに融資を受けられたといいます。

気になるのは収入です。開業当初の収入源は副業で続けていたアパートの1室と、これからオープンする一戸建ての4部屋のみ。家族を養いながらの挑戦は大きな不安を伴いました。

しかし、妻は反対することなく、寄り添ってくれたといいます。バスの運転手として働く姿を見て、「続けるのはしんどいだろうと思ってくれたんじゃないかな」とコアゼさん。

ついに、2018年4月末日、ゲストハウス「Tipy records inn」を開業します。

「Tipy」という名前は当初、響きのよさで選びました。アメリカ先住民の住居「ティピー」と同じ響きで、中で火をともせるという特徴が、のちに「僕らの思いに近い」と感じたといいます。「records」には、ずっと支えてくれた音楽への思いを込めました。単なる宿の名前ではなく、自分たちのレーベルとなるように。

同年8月には一棟貸しの「Tipy records inn house」をオープンします。1つ目の宿がオープンする前に、不動産会社から「民泊をやる人はいないか」と声をかけられ、思わず「僕がやります」と言葉が出たといいます。追加の資金は信用金庫から借り入れ、同時進行で準備しました。

さらに11月には、副業時代から続けていたアパートメントタイプ「Tipy records inn room」に2室を追加しました。

まるでバンドみたいな宿経営

ギターとレコードに囲まれて仕事をするコアゼさん

事業拡大に伴い、スタッフも必要になります。ちょうど海外放浪から帰国した友人が「働きたい」と声をかけてくれ、最初のスタッフに。子育てをしながら働いていた妻も、休日には宿の仕事を手伝い、休む間もなく支えてくれました。

数字の面でも大きな変化が表れます。副業時代は年間300万円ほどだった売上が、開業初年度には一気に1,000万円を突破。そのまま勢いは止まらず、2019年には2室を追加でオープンし、チェックイン機能のあるラウンジ「Tipy records lounge」も立ち上げました。

このラウンジは、単なるチェックインカウンターではありません。スタッフとゲストが交わるコミュニケーションの場です。

食事や観光など、その土地ならではの情報に出会えることは、ゲストにとって旅の醍醐味。おしぼり配送で街を駆け回り地域を知り尽くしたコアゼさんは、その思いに丁寧に応えました。自然と会話が弾み、ゲストにもスタッフにも笑顔が広がります。

もともとバンドをやりたくて始めた副業でしたが、宿を運営する中で「バンドみたいなことができている」と感じるようになったコアゼさん。

仲間とゼロから形をつくり、そこにお客さんが集まり、最後に「楽しかった」「また来たい」と声をかけてもらえる。その経験は、バンド仲間と練習を繰り返し、ライブでステージに立ったときの感覚と重なりました。

明るい未来が広がっていた矢先、コロナ禍で状況は一変します。

キャンセル続出、売上は9割減

海外からのゲストが多かった「Tipy records inn」では、早い段階で新型コロナウィルスの影響が出始めました。日本で最初の感染者が確認された2020年1月の時点で、すでに予約のキャンセルが相次いだのです。

「やばいと思っていろいろやりました」

オンラインショップやお昼寝プラン、お試し移住プラン、買い物代行サービスなど、海外ゲストに頼らない収入源を模索しました。しかし、2019年秋に月260万円あった売上は、緊急事態宣言後の2020年5月には15万円に激減します。

仕事が減り、これまでの体制を維持することは困難に。部屋を減らし、借金を重ねながら、夫婦で必死に毎日をつなぐ日々が続きました。

やがてコロナは終息。静まり返っていた街に活気が戻り、「Tipy records inn」にも旅行者が訪れるようになります。2023年にはコロナが5類に移行2し、訪日外国人客数もコロナ前の8割3まで回復。ようやく日常が戻ってきました。

ところが、喜んだのも束の間。さらなる試練がコアゼさんを襲います。

立ち退きと新拠点「photon」の誕生

「Tipy records inn photon」の看板

チェックイン機能を担い、オフィス兼ゲストとの交流拠点でもあったラウンジ「Tipy records lounge」に、突然、立ち退き要求が届いたのです。古い建物を安価で借りる際の唯一の条件が、「建て替えの際は退去すること」でした。

「2カ月以内に退去してほしい」

さらに、交渉もむなしく「建て替え後の入居は不可」となりました。再入居できると思っていたコアゼさんは「Tipy records inn」の心臓部を失い、途方に暮れます。

打つ手が見つからず体調を崩し、やけ酒を繰り返すほど追い込まれていたタイミングで、ようやく一筋の光が差しました。周囲の助けと不動産屋の尽力により、新しい物件が見つかったのです。コアゼさんは気持ちを切り替え、「前回できなかったことを実現しよう」と前を向きます。

「今度は宿泊しなくても立ち寄れる場所にしたい」という思いを込めて、クラウドファンディングに挑戦しました。

多くの人の協力を得て、支援者は527人にものぼり、1,000万円が集まりました。こうしてカフェ&ラウンジを併設した新拠点「Tipy records inn photon」が、2024年に誕生します。

光の最小単位を意味する「photon」。名前の由来には、量子力学が好きな妻の存在がありました。

「光は見えてるようで実は見えていない。でも確かにそこにある。それは、人と人の関係も同じ。目に見える言葉や行動以上に、なんとなく伝わる空気やそばにいるだけで感じる温かさが、関係の質をつくると思うんです」

Tipyに来る人みんな「何かがはじまっちゃう」

「Tipy records inn photon」のカフェ&ラウンジ

「Tipy records inn photon」では、宿泊者だけでなくカフェ&ラウンジにふらりと立ち寄る人たちが、コーヒーやお酒を片手に自然と会話を交わします。旅人と地元の人が同じテーブルを囲み、話に花が咲くことも。

その場に彩りを添えるのは、旅人が持ち寄ったレコードです。レアな1枚を見つけて目を輝かせる人、懐かしい盤に触れて青春を思い出す人。持参したレコードに添えられた文章を読み込む人もいれば、久しぶりに針を落として音色を確かめる人もいます。

昔は、ライブハウスをつくりたかったというコアゼさん。「Tipy records inn」を運営する中で、「箱はすでにできている」と感じるようになりました。

「Tipyに来てくれる人をはじめ、移住したい人や事業を始めたい人、小田原で生活している人、誰もが個性を表現できる場にしたい」

10代の頃、学校に行かなかったコアゼさんが欲しかった居場所のような――、世代を超えてさまざまな人と交流し、未来は明るいと感じられる場所でありたいと語ります。

「Tipy records inn」は、肩の力を抜いて自分らしく過ごせるゲストハウスです。地域の人との交流や旅の偶然を楽しみたい人は、立ち寄ってみてはいかがでしょう。小田原であなたも「何かがはじまっちゃう」かもしれません。

「Tipy records inn photon」の基本情報

住所:〒250-0011 神奈川県小田原市栄町2-5-30
アクセス:小田原駅東口から徒歩3分
https://tipyrecordsinn.com/

  1. 出典:日本政府観光局(JNTO)「平成28年 訪日外客数・出国日本人数↩︎
  2. 出典:厚生労働省「新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行後の対応について↩︎
  3. 出典:日本政府観光局(JNTO)「訪日外客数(2023年12月および年間推計値)↩︎

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この記事を書いた人

藤本ゆう子

【神奈川県公認Mediallライター】神奈川県小田原市在住。 おいしいもの・旅行・美術館が大好きで、日々の体験や取材記事を「伝わる言葉」で届けています。 教育・旅行分野を中心に、わかりやすく読者の心に響く文章を執筆。新たなジャンルにも積極的に挑戦しています。 ◆保有資格:クラウドワークス WEBライター検定1級、化粧品検定1級

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