2階建ての「姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」では、奥浜名湖エリアの民俗資料と歴史資料を展示しています。
館内1階では実際に漁で使用していた和船やかつて行われていた藺草(いぐさ)栽培と畳表生産時に使用していた機械や道具などが、2階では奥浜名湖エリアで出土した2種類の銅鐸や姫街道に関係する歴史資料などが鑑賞可能。
本記事では小規模ながら充実した内容の資料館2階部分をご紹介します。
「姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」ってなあに? なにを展示しているの?

天竜浜名湖鉄道・気賀駅から北へ直線距離にして約350メートル。
「姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」は細江公園南側の坂の途中に位置する小ぢんまりとした資料館です。
建物の向かって右側に建っているのは、1985(昭和60)年の春に移築された「旧山瀬家のコヤ(産屋)」。
産屋とは女性が出産までの一定期間を家族と離れて生活する場のことで、こちらの産屋は明治時代の初め頃まで実際に使用されていたものです。
内部の見学は不可ですが、産屋の外観などから当時の雰囲気を感じ取ることができそうですね。

資料館は2階建てで、1階展示室では浜名湖の支湖・奥浜名湖(引佐細江湖)岸部エリアの民俗資料が、2階展示室では近隣地域から出土した銅鐸や、姫街道などに関する歴史資料が鑑賞できます。
2階見学の前後に1階へもどうぞ。

1階と2階とをつなぐ階段脇には「姫様道中」のミニチュア人形が飾られていました。
姫様道中は毎年桜のシーズンに合わせて行われる細江町の伝統行事で、その名の通り江戸時代に公家や大名のお姫様が姫街道を通った時の道中行列を再現したものです。

2階展示室で鑑賞できるのは、少しだけ前述したように奥浜名湖エリアで出土した銅鐸や姫街道などに関する歴史資料のほか、姫街道の風景写真パネルや畳表製造に関わる資料など。
時代に沿って見学したい方は、向かって右側の出入り口から中へ入るのがお勧めです。
銅鐸は展示室向かって右の壁側に

室内中央にはジオラマや再現品が計3点並び、それらを取り囲むように銅鐸や姫街道などに関する歴史資料なとが展示されています。
銅鐸展示ケース手前には、模型ですが実際に叩いて音を聞くことができるやや小振りの銅鐸(聞く銅鐸)が吊るされています。
どのような音色なのか気になる方は叩いてみて!

聞く銅鐸から向かって左側には、浜名湖周辺で出土した銅鐸がズラリと。なかには原品が東京国立博物館所蔵品のものも。
銅鐸とは弥生時代に作られた釣鐘型の青銅器で、初期の頃は小さめの「聞く銅鐸」でしたが、時代の移り変わりとともに大型化されました。

銅鐸には三遠式(さんえんしき)銅鐸と近畿式銅鐸の2種類があり、前者は三河(愛知県東部)と信濃(長野県)と遠江(静岡県西部)を、後者は近畿地方を中心として分布しています。

浜松市は出土数が意外と多く、しかも三遠式銅鐸と近畿式銅鐸の両方が出土される珍しいエリア。
浜松市内ではこれまで19個の銅鐸が出土し、浜名湖周辺ではそのうちの14個が出土(いずれも破片を除く)。なかでも細江町中川にある滝峯(たきみね)の谷は、銅鐸が6個出土したことから「銅鐸の谷」と呼ばれるほどなんです。
なお、銅鐸の谷から出土した6個のうち実物が展示されているのは、滝峯才四郎谷銅鐸と七曲り2号銅鐸、穴ノ谷銅鐸、七曲がり1号銅鐸の4個です。
三遠式銅鐸と近畿式銅鐸の違いとは?

ところで「三遠式と近畿式ってどこが違うの?」と思う方もいますよね。
三遠式銅鐸と近畿式銅鐸の違いはいくつかあります。
上の画像では向かって左側が三遠式の前原銅鐸(複製)で、右側が近畿式の滝峯才四郎谷銅鐸です。

パッと見て分かりやすいのは、銅鐸上部についている吊り手部分に飾り耳(双頭渦文飾耳
:そうとうかもんかざりみみ)があるかないか。ぐるぐる渦巻型の飾り耳がついているのが近畿式銅鐸で、ついていないものが三遠式銅鐸です(画像内、それぞれ上の赤丸部分)。
銅鐸に描かれている太い線(突線)にも違いがあるので、気になる方は資料館で見比べてみてくださいね。
ちなみに同館リーフレット表紙の銅鐸は滝峯才四郎谷銅鐸です。
フロア内に設置されている展示ケースにも注目!

展示室内中央には手前から奥に向かって、ジオラマや再現品が計3点並んでいます。
上の画像は手前にある「銅鐸の谷と弥生遺跡」のジオラマです。
手元には銅鐸の出土場所や弥生時代の遺跡の場所が記されていて、場所名のボタンを押すとジオラマ内の該当箇所が光る仕組みになっているので、場所が気になる方はポチっと押してみて。

3つ並んだ中央には、滝峯才四郎谷銅鐸の出土状況を再現したものが。
浜松市の公式サイト内「滝峯才四郎谷遺跡」には、
電気的な探査により、銅鐸が埋まっていることが予想されたことから、充分な体制で発掘調査が進みました。
と発掘時の様子が書かれていました。
出土地周辺はどうたく公園として整備されていて、誰でもレプリカを見ることが可能です。

奥のジオラマ「姫街道と東海道」には、各街道の宿場町や一里塚、名所や峠などのほか、新居関所と気賀関所の位置が記されていました。
姫街道とは東海道の脇往還で、見付宿(みつけしゅく、現在の磐田市内)から浜名湖北岸を通り御油宿(ごゆしゅく、現在の愛知県豊川市内)へ通じる道のこと。東海道の関所は女性に対して通行チェックが厳しかったことから、比較的チェックの緩い姫街道を通る旅人も多かったそう。
階段脇にあった姫様道中は、この姫街道を公家や大名の息女が通った道中行列を再現したものなんですよ。
このジオラマもボタンが光る仕組みになっているため、いろいろ押して確認できます。
奥浜名湖エリアの歴史資料展示も充実


展示室内奥のL字型展示ケース内には、東海道と姫街道を描いた江戸時代の絵図や井通遺跡からの出土遺物、近藤用和作の脇差、気賀関所女通行手形、蜂先神社裏山から出土した鏡などが。
気賀関所の女通行手形は、江戸時代末期の文久3年に気賀油田村から気賀呉石村へ嫁ぐ女性のものです。
油田村と呉石村は都田川を挟んだ対岸同士で、直線距離にして1キロほど。
「東海道に設けられた新居の関所よりも取り調べが厳しくなかった」と云われている気賀の関所ですが、実際は住民でも手形が必要なくらい厳しかったようです。

この展示ケース内では、江戸時代後期に起きた安政の大地震による津波被害の状況を描いた引佐細江津波絵図と、荒所起き返り絵図を見ることができました。
たしかにこれだけ津波被害を受けると、塩に強いリュウキュウイの存在は心強いですよね。
詳しくはこちらの記事をお読みください▼
琉球藺って知ってる!?「姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」で知る奥浜名湖エリアの歴史と民俗│静岡県浜松市

2階の歴史資料展示で見ることができるのは、これだけではありません。
壁には古寺や坂、お堂に関所の屋根などの歴史を今に残す姫街道の風景写真パネルが飾られ、展示ケースには畳表製造に関わる資料のほか、お面やはくせっこ(落雁に似た干菓子)の型などが並んでいました。
これだけ多くの奥浜名湖エリアの民俗資料と歴史資料を見ることができて、入場無料。
地元の方もそうでない方も気軽に立ち寄れる嬉しい資料館です。

細江町では三遠式銅鐸がデザインされたマンホールの蓋をあちこちで見ることができるので、ぜひ探してみてください。
マンホールの蓋に描かれたデザインのモデルは袈裟襷文銅鐸(けさだすきもんどうたく)の悪ヶ谷銅鐸(細江町中川出土 / 東京国立博物館蔵)です。
<基本情報(施設情報)>
所在地:浜松市浜名区細江町気賀1015-1
電話番号:053-523-1456
業務時間:午前9時~午後5時
休館日:月曜日、祝日の翌日、年始・年末(12月29日~翌年の1月3日)※臨時開館・休館等により、休館日が変更される場合があります。
観覧料:無料
駐車場:あり(無料)
姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館の公式サイト(外部リンク)
浜松市の公式サイト内「滝峯才四郎谷遺跡」(外部リンク)
2026年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。




