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フード  |    2025.12.20

家族5人で山口県萩市に移住。穏やかな暮らしのなかで、“生米の米菓子”​​が生まれた理由

やりがいを持って続けていた仕事でも、いつの間にかその目的が“お金を稼ぐこと”だけに変化している―。そんな働き方に違和感を覚えながら、現状を変えられないと悩む人は多いのではないでしょうか。

今回、お話を伺った笹瀬香織さんも、20代の頃は仕事に不満を持ちつつ「正社員の立場を捨てる覚悟は持てなかった」そう。

そんな笹瀬さんは2年前、家族5人で関東から山口県萩市佐々並(ささなみ)に移住。農業を営みながら、「地域の魅力を伝えたい」と、萩のお米を使ったお菓子開発に取り組むなどやりたいことに挑戦する日々を送っています。

かつては生き方に迷いのあった笹瀬さんは、どのような気持ちの変化を経て見知らぬ土地への移住を決めたのでしょう?

今回のインタビューでは、新天地で自分たちらしい生き方を目指す笹瀬さんに移住にあたっての思いをはじめ、生米を活用した新しいお菓子作りについても語ってもらいました。

安定を手放し萩へ。家族で目指した自給自足の生活

インタビュイーの画像

―― 笹瀬さんのこれまでの歩みを教えてください。

笹瀬さん:
鹿児島県の沖永良部島(おきのえらぶじま)で生まれ、大学進学をきっかけに関東に出てきました。その後、同じ旅行会社に勤務していた夫と結婚し、家族5人で千葉県で暮らしていました。

旅行会社に勤務していたのは10年ほど。その間、ホテルの手配やオプショナルツアーの予約などを担当していました。

私自身、プライベートでアジアやヨーロッパをよく訪れていたので、お客様の旅行のお手伝いをすることに楽しさ、やりがいを感じていたんです。

ただ、いつしか働くモチベーションがお客様の役に立つことではなく、自分の生活のために変化していました。

―― 日々の暮らしのために働いていたということですね。

笹瀬さん:
そうです。当時の仕事の優先事項はあくまでお金。私自身の楽しさや将来の夢までを見失っていたと思います。休暇が終わると「明日から仕事か」と憂鬱な気持ちになるほどなのに、生活のために正社員の立場を手放せない。そんなモヤモヤを抱えた20代でしたね。

―― そこから笹瀬さんご家族は2年前、現在の拠点・萩市へ移住されます。きっかけは何だったのでしょう?

笹瀬さん:
コロナ禍で子どもが不登校になり、2年間学校へ通えない時期がありました。家にいる子どもに向き合っているとき、「このままキャンピングカーで日本を周ったり、思い切って海外で暮らしたりするのもいいよね」と夫婦で話すようになって。

社会や家族の変化をきっかけに、自分の直感や本能を大切にしながら、働き方や暮らす場所を変えても良いのではと思うようになりました

「こうしなければダメ」とかたくなに生きるのではなく「生涯、同じ場所で同じ仕事をしていなくてもいい」と自分に許可をおろすような生き方を選ぼうと思ったんです。

―― ご主人は移住に対してどのような考えだったのですか?

笹瀬さん:
実は移住は「いつか自給自足の生活を送りたい」という夫の希望でもありました。自然と共存した生活を送りたいと子どものころから考えていたようです。

残りの人生を考えたとき、本当の望みをないがしろにしながら、生活のためにとお金を稼ぐ正社員生活が夫も限界だったのだと思います。

赤い石州瓦の景色にひと目ぼれ。萩市・佐々並の魅力

萩市佐々並の風景

―― そもそも、どうして移住先に山口県萩市を選ばれたのですか?

笹瀬さん:
子どもを連れての移住なので、自然災害が極力少なく、温暖なイメージのある中国地方を選びました。空き家バンクでたまたま見つけたのが萩市・佐々並にある家だったんです。

ただ、日本海側に位置する萩市の気候は雪も多く、思っていたより寒くて寒いのが苦手で、雪かきのいらない地方を選択したつもりだったのですが(笑)。

―― 初めて現地を訪れた際の印象はどうでしたか?

笹瀬さん:
最寄りの島根県石見空港から萩市に向かう途中の景色が忘れられません。この地方特有の赤い石州(せきしゅう)瓦の屋根の家が立ち並んでいるのを見て、あまりの可愛さに感激しました。緑の山並みに赤い屋根が連なる風景が「中世のヨーロッパみたい!」って。

萩市明木の風景

―― 移住した方のなかには、地元の方とコミュニケーションがなかなか取れず、地域に溶け込めないと悩む方も多い印象ですが…。

笹瀬さん:
地域全体が受け入れてくださっています。地元の人が「来てくれてありがとう」「笑い声を聞くと自分たちも元気がでる」と言ってくださるのを聞くと、「ここを選んでよかった」と思いますね。

助けてほしいとき手を差し伸べてくれ、見守ってほしいときにはあえて踏み込んでこない。人との距離感もとても心地よいです。

米粉ではなく「生米」。萩のお米でつくるマフィンに込めた願い

カフェの看板と入り口

―― 移住前は萩市での暮らしをどのようにイメージされていたのでしょう?

笹瀬さん:
半農半Xな暮らしです。半農半Xとは、生活する上で必要となる食材を自分で生み出し(半農)、残りの時間は好きな仕事ややりたいことに使う(半X)という考え方です。

私たちが理想とした半農半Xには、自分たちで事業を興すことも含まれていました。移住後も何ができそうか、ずっと考えてきましたね。

―― どのような事業を立ち上げられたのですか?

笹瀬さん:
まず、2024年7月に自宅に宿泊客を泊める民泊を始めました。以前からゲストハウスのような、人が交流する場所を作りたいと思っていて。

地元の人は「ここは何もないところ」と言うのですが、私は佐々並の赤い石州瓦と山々が連なる風景にこそ価値があると思っています。この景色を都会の人に見てもらいたい、佐々並の魅力を広めたいと思い、民泊を始めました。

笹瀬さん:
さらに、2025年4月には、萩市明木(あきらぎ)にある築100年の古民家で、カフェ「The 34Sassys(ザサッシーズ)」をオープンしました。地域の食材や自家栽培のお米を使ったおむすびを提供するとともに、生米を使った米菓子(マフィン)を販売しています。

カフェや米菓子販売も、民泊同様、地域の魅力を地域外の人にも知ってもらいたいという思いで取り組んでいます。

カフェ内部の様子

―― お菓子作りに使用されている米はご自分たちで作っているのですね!

笹瀬さん:
米作りは初めてでしたが、近所の人が手助けしてくれました。地域の人のあたたかさを実感しています。

今年は自分たちの力でやってみようと、苗を手植えし、稲刈りも手刈りで行いました。昔ながらの脱穀機を使い、ハゼかけで乾燥させた稲穂を脱穀したのですよ。

―― それは本格的ですね。笹瀬さんの作るマフィンは「米粉」ではなく「生米」から作られているのも特徴かと思います。

笹瀬さん:
よく「米粉で作っているんですか?」と聞かれるのですが、みなさんが家で食べるお米で作っています。「生のお米でお菓子が作れるの?」という驚きとユーモアを、米菓子を知った方に感じていただきたくて。

インタビューで出てくる米菓子

―― 私も初めて食べたときは驚きました!私たちの家庭でも同じように作れるものなのですか?

笹瀬さん:
ご自宅でも作れますよ。お店で米菓子を知った人たちが、家庭でも作れることを目指しています。

自分で作れば、家族の体調に合わせて甘さを調整できますし、米菓子が家庭のおやつになれば、子どもたちにとってもお米がもっと身近な存在になると思うのです。

いずれはお菓子だけでなく、米から作るパンも提供できたらと思っています。お菓子やパンが米から作れたら、お米を使う機会が増えますよね。米作りをしている農家さんにとってもメリットにつながるのではないかと。

いつかはカフェでお菓子教室を開いて、みんなに米菓子のレシピをシェアしたいですね。

―― どうしてそこまで「お米」に思い入れがあるのですか?

笹瀬さん:
お米は日本中どこでも作られています。そんなどこにでもあるお米がおいしいお菓子になるというインパクトで、米菓子をこの地域の特産品に育てたいのです。

佐々並も明木も過疎化が進んでいます。子どもが通っている学校も人数が少なく「こんなにすてきな場所なのに、どうして人がいないのか?」と悔しい思いをしていて。

地域の魅力を広め、たくさんの人に興味を持っていただきたい。そうして最終的には移住を選択する人が増えたらと思うんです。

地域を知ってもらうために今の自分ができることを考えたとき、地元で一番身近な農作物の米を使った米菓子制作がアイデアとして思い浮かびました。

「普段食べているお米からこんなにおいしいお菓子ができる」という驚きをきっかけに、佐々並や明木に興味を持ってもらいたいですね。

新たな出会いを生むのは、萩の自然が教えてくれた“自分のものさし”

お客様と談笑するインタビュイー

―― 地域の魅力を発信しようと精力的に活動されている様子が伝わります。萩市に移住してから、ご自身の内面に変化はありますか?

笹瀬さん:
「やりたい」と思っていたことに素直に取り組めるようになりました。「人が集まる場所を作りたい」とは以前から漠然と考えていましたが、実際に民泊やカフェを始めようと動き出したのは移住してからです。

自分の想いに素直に動くと、その行動がまた次の出会いをもたらしてくれるようで、楽しいです。

また、自然のなかで心が満たされリラックスできているからか、自分の外側の環境に刺激を求めることがなくなりました。たとえばショッピングや外食などですね。食事もお米とみそ汁とお漬物があれば「おいしい」と思うようになって。今は昔ながらの素朴なものを大切にする生活を送っています。

―― 日々の何気ない瞬間に幸福を感じられるって、すばらしいですね。

笹瀬さん:
朝日や夕焼けの色、小川のせせらぎ、木の揺れ具合、風の音や鳥の鳴き声など、ちょっとしたことが自分の五感に響いてきます。そんな手つかずの自然に囲まれていると「ぜいたくだな」と感じるんです。

自然の美しさに気づくことは、故郷の沖永良部島で培ってきた自分の感性。移住をし生き方を変えたことで、自分の感性が戻ってきたのだとも思います。

―― 移住という大きなライフシフトを経て、本来のご自身の生き方を取り戻されているように感じました。一方で、笹瀬さんのように環境を変えたいと望みつつ、一歩をためらってしまう方も多いかと思うのですが…。

店内に提供されている米菓子とドリンクの画像

笹瀬さん:
仕事やお金がなかったら、「生きていけない」と不安にもなりますよね。でも、私たちが今実践しているように、自分たちで食べるものを自分の力で作っていけたら、場所を選ばずどこでも生きていけると思えるのではないでしょうか。

「私たちはこういうものが作れるから大丈夫」という芯ができればいいのかなと。自分が経験してそう思ったので、挑戦している私たちの生き方を通じて、都会で今不安を抱えている人へ「こんな生き方もあるよ」とメッセージを伝えられたらと思っています。

私自身、まだまだやりたいことリストがあるので、これからもチャレンジを続けながら自分の生き方を見せ、これから新しいことに挑戦する人の背中を押す存在でいたいです。

***

私が笹瀬さんに初めて出会ったのは、マルシェ会場でした。自然な甘さでもっちりとした食感のマフィン。「米粉ではなく米から作っているのですよ」という言葉に驚くとともに、地元の米の魅力を米菓子を使って広めたいと語る笹瀬さんの熱意に、いつかもっと詳しい話を聞きたいと思いながらマルシェをあとにしたのです。

家族で移住という人生の大きな変化を軽やかに乗り越え、自給自足の生活のかたわら次々と新しいビジネスを生み出している笹瀬さん。その姿は、より自分らしく生きたいと願う人々に、人生を選択するうえで大切なことを伝えてくれるかもしれません。

「移住した萩市の魅力を伝えるために、米菓子を特産品にしたい」
「米菓子が、この場所を訪れる人のきっかけになってほしい」

そんな熱い思いを持つ笹瀬さんと、自然豊かな山間の空気を求めて、The 34Sassysを訪れてみませんか?

▼The 34Sassys店舗情報

住所:山口県萩市明木3231
営業時間:10:00-16:00
公式HPInstagram

〈取材・文=明石みほ/編集=ながたせいこいしかわゆき

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この記事を書いた人

明石 みほ

山口県周南市で暮らすライターです。実家のある広島市との二拠点生活中。共感力で人と人、モノとモノ、情報と情報を結びつけ、橋渡しができるライターを目指しています!ストーリーのある人やモノに目が輝く熱しやすいミーハー気質で、地方の魅力を発信します。暮らしの中で見つけた様々な思いを受け取り、広い世界へ発信するお手伝いがしたい。そんな気持ちでライターをしています。

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