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スポット  |    2025.12.26

勝海舟が眠り、歌川広重も描いた東京大田区の洗足池ってどんな街?【後編】

最寄りの駅 東急池上線 洗足池駅
前編はこちら

勝海舟が眠り、歌川広重も描いた東京大田区の洗足池ってどんな街?【前編】

前回のあらすじ

ある日、家族が洗足池(せんぞくいけ)の病院に救急車で運ばれるという騒ぎが起きた。「洗足池駅から水路沿いに徒歩12分」にあるはずの病院が見つけられず周辺をグルグル歩き回った。洗足池駅南側の商店街を連日通るうちに出会った「魚忠(うおちゅう)」、「八百屋 丸文(まるぶん)」、和菓子処「梅屋」に、興味が湧いて取材を申し込んだ。

「水路沿いに徒歩12分」の「水路」がピンと来なかったのが迷った原因だ。水路とは、「桜のプロムナード」のことだった。

「桜のプロムナード」は、洗足池から元々は主に田畑の灌漑目的で引いてきた水路沿いに植えられた桜の並木道のことだ。

洗足池と日蓮聖人、歌川広重

そういえば、歴史音痴のわたしが惹きつけられたのは、江戸時代の浮世絵師、歌川広重が描いた『名所江戸百景 千束の池袈裟懸松(せんぞくのいけ けさがけのまつ)』だった。「千束の池」は洗足池のことだ。

日蓮宗の開祖、日蓮聖人(1222-1282)が、身延山久遠寺(山梨県身延町)から常陸国(茨城県)へ湯治に向かう道中、洗足池に立ち寄り、松の木に袈裟をかけ池の水で足を洗ったとされる言い伝えが、名前の由来になった。

歌川広重はその「袈裟掛けの松」を中心に『名所江戸百景 千束の池袈裟懸松(せんぞくのいけ けさがけのまつ)』を描き、右手奥には大岡山付近も描かれている。

参考:『千束の池袈裟懸松』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第93回 nippon.com

https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004093

洗足池のほとり、東側にある御松庵妙福寺(ごしょうあんみょうふくじ)で、3代に渡り、植え継がれたと伝わる「袈裟掛けの松」を見ることができた。

御松庵妙福寺

東京都大田区南千束2丁目2−7 洗足駅から徒歩5分。
時間 9:00-17:00
定休日:無し

洗足池駅前にあるボートハウス内にある無料の休憩所では、洗足池の絶景を眺めながら休憩できる。

テラスに出ると、「広重筆『絵本江戸土産 』の 千束の池袈裟掛松の図」の画像と共に、歌川広重の視点について案内版がある。

それによると、
「<前略> 広重は中原街道側、正確にはこのテラスの五反田寄りで少し高くなった場所から、洗足池を眺めたと考えられます。<後略>」とある。

螺旋階段を上った先の屋上展望台から見ると近い感覚で見られるらしいが、高所恐怖症なので上れない。

世界初!! ミル挽き珈琲の自動販売機

ここは、洗足池を眺めつつ「世界初 !!ミル挽き珈琲自販機」のコーヒーを飲みながら、休憩できる快適な空間だ。

1961年、西田佐知子(夫はテレビ司会者で俳優の関口宏)、が唄い大ヒットした「コーヒールンバ(ベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニの Moliendo Café のカバー曲)」のリズムに乗って1杯ごとに豆挽きコーヒーを淹れ、その過程をモニターで映し出す。

サービスエリアで初めて発見した時はワクワク感が止まらなかった。こんなところで再び出会えるとは思わなかった。

トーヨーベンディング株式会社HP

https://mirubiki-coffee.jp/

洗足池公園の基本DATA

大田区南千束2丁目(洗足池駅徒歩1分)
公園面積 77,000㎡
池面積 41,000㎡(水深 平均1.5m)
池一周 1.2 Km(徒歩 約20分)

洗足池公園 その他

営業時間: 常時開放(24時間)
定休日: 無休
料金: 無料 (ボートハウスは有料)

洗足池公園ボートハウス 洗足風致協会 休憩所

営業時間 9:00~17:00
定休日 12月29日~1月3日

洗足池公園HP

https://senzoku-fuuchi.com

東京一低い東急池上線の「びっくりガード」と歌川広重

洗足駅の改札を出て右、中原街道沿いのモスバーガーの隣にコインパーキング、その間から「東京一低い」と言われる東急池上線のガード、通称「びっくりガード」が見える。

その先の短い石段を上ったあたりで歌川広重が描いたという噂がある。

古今玉てばこ洗足池商店街 洗足商店街の古今スポット

https://senzokuike.jp/spot/

高さ1.4メートルくらい、大人はかがまなくては向こう側に行けない低~いガード下をくぐり抜け、

短い石造りの階段を上ったところで、線路を越えた先の洗足池のあたりを眺めた。

先ほどの案内板は「五反田寄りで少し高くなった場所」とあったから、位置的にはあり得ないことでもないかなぁ、と夢想した。

肝心の「袈裟掛けの松」は、生い茂る木々の影に隠れて見えない。平日の午後10時台、30分ばかりびっくりガード近辺で、線路の向こう側を睨み続けている間、年配の男性と若い女性の2人組が手をとりあってくぐり抜け、別の日の平日午後15時頃、10分ほどの間に若い女性が慣れた様子で腰をかがめながら中原街道側に歩いていった。

「たこ焼き 笛吹」と伊郷俊行さん

びっくりガードからすぐ目と鼻の先、駅前の商店街に向かう路地に「たこ焼き 笛吹」はあった。

別の日に撮った画像、この日も人々の笑いさざめく様子がうかがえた!

15時から21時までオープンのこのお店……ハイサワーってことは居酒屋?と首を傾げていると、店頭ではミニフリーマーケットの真っ最中、あたり一帯が賑やかなオーラを放っていて、気が付いたら店内に吸い込まれた。

早速すぐ先にあるびっくりガードと歌川広重の顛末を語ると、店内の話題は急速に、お江戸、東京の街づくり、中原街道と東海道など周辺の話に切り替わった。

その場にいたお客さんを巻き込み、神輿担ぎの行事帰りの男性、洗足池の管理の仕事をしている男性、ご近所の妙齢女性やら、その場にいたほぼ全員が同時に喋りはじめ、話は、旧幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛が会談し、その後一滴の血も流さずに江戸城が明治新政府に引き渡されたという「江戸無血開城」、後年、明治24年(1891年)に、別邸の*「洗足軒」を持った勝海舟のこと、などに及んだ。

勝海舟は、江戸城の明け渡しについて話し合うため、中原街道を経由して、新政府軍の本陣がおかれた池上本門寺へ向かう途中、洗足池付近で休息をとったといわれています。そのときに、洗足池周辺の風景を気に入り、明治24年(1891)年、「洗足軒」といわれる別荘を現在の*大森第六中学校の地に構えました。
海舟は明治32(1899)年1月19日に亡くなり、遺志により洗足軒の近くに葬られました。明治38(1905)年、海舟の妻民子が亡くなり、一度は青山墓地に葬られましたが、昭和20年代にこの地へ改葬されました。
現在、洗足池のほとりには、二つの五輪塔が並んだ「勝海舟夫妻墓所」があり、地域の方にも親しまれています。

大田区HP 勝海舟と大田区

*大森第六中学校は、洗足池のほとり、東側にある。

勝海舟夫妻のお墓


大田区南千束二丁目14番5号 洗足池公園内 洗足池駅から徒歩約10分。
https://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/rekishi/yukigaya_senzoku/katsukaishuu_bosho.html

大田区立勝海舟記念館

東京都大田区南千束二丁目3番1号 洗足池駅徒歩6分
午前10時から午後6時(入館は午後5時30分まで)
休館日 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始、臨時休館日
https://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/hakubutsukan/katsu_kinenkan/index.html

その日は、店主がお江戸東京に夢中になってしまい、たこ焼き6個焼くのに小1時間……カオス、人気店の由縁である。

後日、取材交渉に伺ったら、店を開けたばかりで店主の伊郷俊行さんはおひとりだった。店内は、新聞の切り抜き、「三遊亭 司の会」「深川ひるま寄席」の告知フライヤー、「浅草演芸ホール」のポスター、など落語関係の告知が多めだ。

書物に漫画、絵葉書……、べたべた貼り付いているフライヤーを眺め続けていると、

ノンストップでお話中だった伊郷さんは、突如、棚に掲げてあったコミック本『まんがサイエンスⅡ』の話題に切り替えた。『まんがサイエンス』は、『5年の科学』、『6年の科学』などに長期にわたり連載された科学漫画。

学研出版サイト

ノーラコミックス『まんがサイエンス 2』 | 学研出版サイト

なんでも、作者の「あさりよしとお」さんは長年の常連客だったが他所へ引っ越しをされた、そう。あさりよしとおさんが残していかれたイラスト画を見せていただいたが、たこが自らたこ焼きを焼いていて、しかもそのたこはどう見ても伊郷さんにしか見えなかった!

ここってかつて渋谷区の恵比寿に長く店を構え、2013年に洗足池に移転した「たこ焼き 笛吹」、知る人ぞ知る有名なたこ焼き屋さんだった。

しかも伊郷さんは、60年、70年代に独自の演劇活動をしていた「発見の会」のメンバーであり、映画『味覚革命論序説』(1975年・日本)の製作に関わっていらした。

「発見の会」とは?

1964年、瓜生良介(うりゅう りょうすけ)を中心に新たな表現をめざす多くの演劇人が集結し、演劇集団発見の会を創立。以後、アングラ演劇の先駆者として「自由なる組織は、自由なる表現を生み出す」をモットーに、今尚多彩な表現者を巻き込み、ラジカルな演劇活動を続けている。(*瓜生良介著『小劇場運動全史 記録発見の会』(造形社)参照)

発見の会 Xアカウント https://x.com/hatsukennokai

演劇、俳優など多彩な活動のお話は、伊郷さんの口からは発せられることはなかったが、ネットのお散歩中に偶然知った。

ところで、すっかりたこ焼きが脇役になったが、ここのたこ焼きは卵焼きみたいな色をしている、卵の量が多いのだ。

たこ焼き1個を一気に口に入れ、思わず口を押えてあっつあっつ~!となると、伊郷さんは、たこ焼き屋店主のお顔にもどり「出してもいいからね~」とおっしゃった……!

そんな、洗足池の街ってとっても日常使いしたくなる街、もうじき家族は無事退院するが、わたしはこの街が恋しくなるに違いない、そんな街なんです、洗足池って。

「注文を受けてから焼くので、10分程度、お時間頂きます!」

「たこ焼 笛吹」

*仕入れ価格の上昇により、やむを得ず2026年より価格改定の予定あり。

https://www.instagram.com/takoyaki_fuefuki/
東京都大田区上池台2-31-2
TEL:070-5576-5309
15:00~21:00(ラストオーダー20時半、売り切れ終了)
木曜 定休日


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この記事を書いた人

まやぎはとこ

広島出身、東京23区在住。 食べること着ることが好きな一方、どケチで優柔不断、そのせいで常に頭が混乱、書くことで正気を保とうとする日々、興味の対象は人間、食べ物や服の好み、趣味、仕事……目の前にいる人になるまでの人生を聞くことが好き。日本を含めた世界中の人々がどんな食べ物をどういうスタイルで食べるのか、何をどう着ているのか、気になります。

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