愛媛県松山市で、ロケット教室を主催する堀内章さん(以下、堀内さん)は74歳。
総務省の発表によると、2020年の70歳以上の就業率は17.7%と判明しており、働き続ける選択をする方は少数派だと言えます。
楽しんで仕事をしたり、年齢に関係なくチャレンジを続けたりする堀内さんに対して、憧れを抱く方は多いでしょう。
後編では、堀内さんの内面や、チャレンジを続けられる原動力などに迫ったインタビューの様子を紹介します。
最後まで読めば、仕事を楽しみ、自分らしく生きていくコツを学べるでしょう。
えひめ夢プロジェクト代表・堀内章さんの経歴

「地域で若者を育て、地域で若者を残す!」をモットーに、活動を通して堀内章さんは地域の発展に貢献してきました。
大学を卒業し、数回の転職を経験した33歳のとき、堀内さんは昭和27年創業の菓子製造会社「株式会社ハート」に入社します。
営業の経験を活かして、堀内さんは会社の業績向上に貢献します。
先代の社長の思いに応え、2014年6月に代表取締役社長に就任し、約5年に渡り経営者として活躍しました。

画像出典:「株式会社ハート」独立行政法人 中小企業基盤整備機構
退職後も、以下の通り堀内さんは精力的に活動を続けています。
- ロケット教室の主催:2024年に「えひめ夢プロジェクト」を立ち上げ
- 路上靴磨き:靴磨きトラベラー「佐原総将」さんの講演を聞いたのがきっかけで開始
- インタビューシップ活動の推進:主に高校生が企業の経営者や社員から働く意義などを学び、キャリア形成を実現
- ワンシート作成の指導など:経営指針を整理し、具体的にアクション
教育機関や中小企業家同友会、倫理法人会などで経験や考えなどを伝えてきた堀内さんは、多くの方の人生に良い影響を与えてきました。
ここからは、堀内さんにインタビューさせてもらった内容を紹介します。
ロケット教室で伝えたいのは?

「ロケットを組み立てて発射したときには感動とかね、達成感とかがあって自信になるんですよ。
失敗するときもあるんだけど、そういうこともあると学んでもらえれば。
普段の感情ではなくて、すごい目が輝くとか、打ち上がった瞬間、子どもたちに感動を味わってもらうのが大事。

自分がすごいことをやっているっていうふうには思わなくて、相手に対して何かを伝えられればと。
地域を元気にしたり、子どもたちのために夢や希望の持てる地域にしていく活動に関わったりしながらやっていきたいです」
74歳でもチャレンジを続けられる原動力はどこから?

「本当の意味で生きるって、思いを行動に移すことだと思っています。
食べたり遊んだりするのは、生きるためではないのかも知れません。
70歳だからと言って終わってもいいけど、いくつになっても新しいことを始め、自分で人生を作れると思っています。

私にとっては、それが『生きる』。
毎年『ああなったらいい、こうしたい』と何をやるかを書き、夢を描き続けてきました。
平成7年に、自分の部門はこうしていくと書き始めたのがきっかけです。
30年近くずっと続けてきたので、今では当たり前になっています。

『本当にうまくいくの?』って人から言われることもありますが、『どうなるかわからんけどやろう』って行動してきました。
毎年、自分の思いの言語化によって、主体的に生きてこられました」
影響を受けている方はいますか?

「馬場秀司さんです。
2018年にALSという難病を発症し、ハンデを背負いながらも、地域を良くしたいと思い活動しているところを尊敬しているので。
難病の人たちが過ごしやすい社会にするために、馬場さんは自立支援や福祉の仕組みを作ったり、介護でのグローバルな人材育成に取り組んだりしています。

馬場さんを見ていると、目的に対して行動するのが生きることだと改めて感じます。
難病の馬場さんが頑張っているのだから、五体満足で元気な自分はもっとできるんじゃないかと」
仕事でやりがいを感じられない場合はどうすればよいでしょうか?

「自分は何をしたいか、考えながら働いてはどうでしょう。
会社員の中には、目標を持たず一日なんとなく過ごして帰る人もいますよね。
否定はしないけれども、『もっとこうしたい、ああしたい』とやれるといいのかなと。

大学卒業後、私は33歳まで転職を繰り返し、満足のいく生き方はできていませんでした。
だけど、その時期があったからこそ、違う人生になるわけですね。
最初からうまくいっていたら、何も考えず、そのまま歩んできたでしょう。
失敗とかうまくいかないことなどがあるおかげで、成長できました」
堀内さんはなぜ仕事でやりがいを持てたのですか?

「商品、会社が好きなのと、新規営業でどんどん注文を取ってこられたからです。
クリスマスの菓子の詰め合わせの売上で日本一の会社にしたいと思い、ずっとエンジンがかかりっぱなしでした(笑)
最初は数千万円ほどの売上だったものの、年々数字が上がっていき、5年ぐらいでお菓子の詰め合わせ「ブーツ」の売上日本一の会社に。
入社したとき売上27億円だった会社が、10年くらいで50億円を超える規模に成長しました」
会社のどういうところが好きだったのですか?

「会社を良くしたい、みんなをよくしたいという経営者に魅力を感じていました。
大正4年生まれの創業者と2代目のどちらも、すごく尊敬できる方です。
同時に、経営者に負けないぐらい会社に愛情を持っていたと自負しています。
会社への愛情って、自然に湧き出るものだと思っています」
社長になってから実践したのは?

「当たり前のことを当たり前にするのではなく、誰にも真似できないほど徹底してやるっていうこと。
特別なものじゃなくて、普通のことをみんなで一生懸命取り込んでいった。
会社は磨くと良くなると思っていたので、小山昇さんの経営の本の内容を取り入れました。
具体的には、環境整備運動や気持ちの良いあいさつ運動、サンクスカード運動などです」
会社に変化は表れましたか?

「上の人がリーダーになるのではなく、熱い思いを持っている人たちの中からリーダーが生まれていきました。
リーダーを中心にみんなで話し合いをして、会社全体に伝えていくんですよね。
それで会社の雰囲気がどんどん変わっていきました」
取り組みが成功した理由は何でしょうか?

「社長の私から働きかけるのではなくて、社員が自ら考える運動にしていったことです。
それぞれの部署から推進委員を出してもらって、毎日話し合いながら物事を決めていきました。
だから、私は中心にいなかったんですよ。
また、運動に一番取り組んだ人をみんなの前で表彰し褒めました。
消極的な人を減らすのではなく、積極的に取り組んでいく人を増やすようにしました。取り組む人が毎年増えていき、会社の雰囲気も変化しましたね」
人の持つ可能性は無限

今回取材させてもらったきっかけは、2025年3月に堀内さんが銀天街で路上靴磨きをしていたことでした。
大変失礼ながら、最初は変な人がいると思ったものの、20代の若者のようなキラキラとした瞳で靴を磨く様子を見て感動しました。
特に男性の場合、年齢を重ねたり社会的な地位を得たりすると、プライドが高くなり行動しなくなる傾向にあると言えます。
74歳になった今もチャレンジを続ける堀内さんを見ていると、年齢は数字に過ぎないと希望を抱かせてもらえます。
堀内さんと同じランニングチームの女性は「堀内さんは常に笑顔で、存在自体が好き。愛のある人」だと話していたのが印象的でした。
関わる人を笑顔にし続ける堀内さんは「令和の花咲か爺さん」と言えます。
堀内さんをきっかけに、これからも幸せの輪が広がり続けるでしょう。