桑名駅から徒歩約15分。路地の奥にたたずむ寳興山佛眼院(ほうこうざんぶつげんいん)は、最澄が創建したと伝わる長い歴史をもつお寺です。
戦火で多くを失いながらも、一度は手放した仏像や梵鐘(ぼんしょう)が、不思議な縁に導かれて戻ってきました。
桑名のまちに溶け込む、最澄ゆかりの古刹

細い路地に入ると、お寺が現れます。
地域に根ざした、どこか温かみのある場所。
桑名駅から歩いて約15分のところに、最澄が創建したと伝わるお寺がありました。
桑名と聞けば、ハマグリや七里の渡しが頭に浮かぶ方も多いでしょう。
しかし、この地に1200年の歴史を抱えたお寺があることを、知っていましたか。
失って、また戻る。
一度離れたものが巡り巡ってこのお寺に戻ってくる。
そんなご縁があるお寺です。
最澄が開き、天皇が認めたと伝わる佛眼院の歴史

延暦寺の記録に残る「伊勢国桑名佛眼院」
佛眼院の歴史は、およそ1200年。
なんと平安時代までさかのぼります。
驚いたのは、その始まりです。
住職さんに見せていただいた比叡山延暦寺の記録には、最澄(伝教大師)が伊勢国桑名にこのお寺を建てたと書かれていました。
天台宗を開いた、最澄です。
佛眼院は今も天台宗のお寺として続いています。
春日神社を守る「別当寺」という役目
神と仏が、まだ一緒に祀(まつ)られていた時代。
神社とお寺の境目が、今よりずっとあいまいだった頃のこと。
佛眼院は、桑名宗社(春日神社)を管理する「別当寺」を務めていました。
醍醐天皇から任命された、と寺には伝わっています。
当時は、お寺が神社をまとめ、信仰の全体を見ていた時代があったんですね。
桑名の総鎮守を、このお寺が支えていた。
地元の人でも、知らない人は多いのではないでしょうか。
桑名空襲が、すべてを焼いた
本堂も、徳川ゆかりの品も、灰になった
1200年の歴史。
しかしながら、その多くが戦争で失われます。
桑名は空襲で大きな被害を受けたまち。
佛眼院の本堂も、まるごと焼け落ちました。
かつては徳川家の位牌所もあり、掛け軸などの宝物も伝わっていたそうです。
けれども、そのほとんどが灰になってしまいました。
「記録は残っているんです。でも、物としては、もう何も残っていなくて」
淡々と語る住職さんの言葉が、かえって胸に残りました。
参道まで、失った

失われたのは、お寺の中のものだけではありません。
戦後の都市計画で、お寺の参道に道路が通ることになりました。
本堂を建て直す資金を考え、先代たちは土地を手放すことを決断します。
「今思えば、もったいないですよね」
大きな通りから、まっすぐお寺へと入れた参道。
それが道路に変わり、お寺は路地の奥へと隠れてしまいました。
江戸時代・文政8年(1825年)の桑名城下絵図にも、佛眼院は今と同じ場所に描かれています。
焼かれて、削られて。
それでも、このお寺はここに在り続けています。
それでも、焼け跡から残ったもの
すべてが失われたわけではありません。
奇跡的に炎をくぐり抜けて、今も残っているものがあります。
秘仏・雙身毘沙門天(そうしんびしゃもんてん)

ひとつは、雙身毘沙門天です。
天台宗のお寺で大切にされてきた仏さまであり、平安時代から伝わるといわれています。
「雙身(そうしん)」は、「双身」の旧字体で、二体が対になっていることを意味します。
下向きに合掌して独鈷杵(とっこしょ)を持つ尊像と、上向きに合掌して宝輪を持つ尊像。
この二体が背中合わせに立つ姿で、顔は赤く、三つの目を持ち、怒りをあらわにした表情をしています。
財宝守護だけでなく、再出発を後押しし、災難から守り、幸せをもたらす仏さまとして信仰されてきました。
高さ15cm、銅製の小さな仏像。
それでも「力が強いから、外へは出せないんです」と住職さんは言います。
秘仏として今も非公開のまま、お寺の奥でしっかりと守られています。
この仏像が姿を現したのは、太平洋戦争の空襲のあと。
長い年月のうちに人々の記憶から遠ざかっていた仏さまが、焼け跡の中から再び見つかったのです。
天海大僧正ゆかりの法具「独鈷杵(とっこしょ)」
もうひとつ、ぜひ知ってほしいのが独鈷杵です。
聞き慣れない言葉ですよね。
これは、場を清め、邪気を祓(はら)うための法具のこと。
加持祈祷のときに使う、大切な道具です。
この独鈷杵も、炎から守られたのです。
おもしろいのが、その呼び名。
先が一本なら「独鈷」、三本で「三鈷」、五本で「五鈷」。
修行が進むほど、扱える本数が増えていくのだそうです。
佛眼院の独鈷杵は、江戸時代から伝わるもの。
寛永の頃、天海大僧正の弟子がこのお寺を再興した際に残していった、と伝えられています。
人から人へ。
手から手へ。
何百年もかけて受け継がれた一本が、今もここにある。
そう思うと、ただの道具には見えてきません。
桑名市指定文化財の「喚鐘(かんしょう)」

今も本堂のそばには、火災をくぐり抜けた「喚鐘」があります。
喚鐘とは、説法を始める合図に鳴らす小ぶりな鐘のこと。
通常は口径30cm内外ですが、佛眼院の喚鐘は47cmと珍しく大きく、桑名の鋳物師 広瀬家次(ひろせいえつぐ)の作品です。
昭和34年には、桑名市の文化財(工芸品)に指定されています。
失ったものが、なぜか戻ってくるお寺
ここからが、私がいちばん心を動かされたお話です。
このお寺には、「不思議な縁」があります。
一度は手放したものが、巡り巡って、また戻ってくるのです。
「本尊・阿弥陀如来」は質屋の倉庫で見つかった

お寺の経営が苦しかった明治から大正の頃。
当時の関係者たちは、仏像の多くを競売にかけてしまいました。
一度は、よその手に渡ってしまったのです。
ところが、です。
ある質屋さんで代替わりがありました。
倉庫を整理していたときに、「伊勢国佛眼院」の銘が刻まれた一体が見つかりました。
「あ、これは佛眼院のものだ」と返してくださったそうです。
そうして阿弥陀如来は、長い旅の果てに佛眼院へ帰ってきました。
かつてのご本尊は文殊菩薩でしたが、空襲で失われました。
現在は、この戻ってきた阿弥陀如来がご本尊として祀られています。
北勢地方最古の「銅鐘」は寄付を集めて、買い戻した

戻ってきたのは、阿弥陀如来だけではありません。
桑名市の指定有形文化財でもある銅鐘も、この地へ戻ってきました。
鋳造は寛永15年(1638年)。
京都の職人である近撰丹波藤久の手によるもので、北勢地方に現存する最古の梵鐘(ぼんしょう)です。
この鐘は明治元年(1868年)、神仏分離の混乱のなかで、桑名市東金井の徳元寺へ売却されました。
それから約150年。
平成29年(2017年)、佛眼院が寄付を募り、買い戻したのです。
「お寺の鐘は、お寺へ。」
そんな思いが、人と人をつないだのでしょう。
約400年前の音が、今も境内に響いています。
お地蔵さんも、戻ってきた
そして、お地蔵さんまでも。
仏像が。
鐘が。
そしてお地蔵さんが。
ひとつひとつは偶然かもしれません。
それでも、引き寄せられるようにこの地へ戻ってくる。
不思議なご縁を感じずにはいられませんでした。
「無事帰る」「失せ物封じ」お寺が込めるこれからの想い
失くしたものが、戻ってくる。
どこかへ行っても、無事に帰ってくる。
そんな歴史を重ねてきたからこそ、佛眼院はこれから「無事帰る」「失せ物封じ」のお寺として、その想いを伝えていきたいと考えているそうです。
仏像も、鐘も、お地蔵さんも帰ってきたお寺。
これほど説得力のある「無事帰る」が、ほかにあるでしょうか。
大切な人の無事を願うとき。
失くしたものが戻りますように、と祈るとき。
ふと立ち寄りたくなるお寺です。
精義小学校の名前が生まれた場所

桑名で暮らす方には、特に響くお話かもしれません。
「ここが寺子屋発祥の地っていうのは、本当なんですよ」と住職さんが話してくださいました。
学制が発布された明治5年(1872年)、桑名のまちに「市街学校」が開校しました。
その3年後の明治8年(1875年)には、「精義学校」が誕生します。
「精義」の名前は、今から約150年も前に生まれていたのです。
そして佛眼院の境内も、子どもたちが学んだ校地のひとつでした。
学校はその後、訓蒙学校や致遠学校など近隣の学び舎と合併や改称を重ねていきます。
桑名町立第二尋常小学校、桑名市第二国民学校。
名前が変わるたび、「精義」の名はいったん地図から消えました。
それが戦後の昭和23年(1948年)。
桑名市立精義小学校として、再びこのまちに帰ってきたのです。
仏像も、鐘も、そして学校の名前までも。
このお寺のまわりでは、失われたものが戻ってきます。
お子さんが精義小に通うご家庭も、卒業生の方も。
みなさんの学びの原点は、約150年前のこの場所にありました。
佛眼院の境内には、精義小学校開校の地を示す記念碑が建てられています。
焼かれても、手放しても

このお寺には、大切なものが戻ってきました。
長い年月を経て、焼けた土の中から姿をあらわした雙身毘沙門天や独鈷杵。
仏像も、鐘も、お地蔵さんも。
そして子どもたちの学び舎の記憶と名前までも。
不思議な魅力に包まれた寳興山佛眼院。
1本路地を曲がり、その地を訪れてみてはいかがでしょうか。
【後編】“村正”に会える寺|佛眼院がひらく、地域の新しい物語
お寺の情報
名称 寳興山佛眼院(ほうこうざんぶつげんいん)
宗派 天台宗
住所 三重県桑名市南魚町35番地
アクセス 桑名駅から徒歩約15分
電話 0594-22-7668
参拝時間 9:00〜17:00
駐車場 あり(5〜8台)
護摩木 開堂時間内はいつでもご記入・お納めいただけます。(護摩木1本300円)
護摩焚き見学 毎月3日開催。どなたでもご参加いただけます。護摩堂の収容人数に限りがあるため、見学・ご参加をご希望の方は事前にご予約をお願いいたします。
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※記事の内容は取材時(2026年6月)の情報です。
【参考文献】
・桑名市「刀剣をめぐる桑名旅」 https://www.city.kuwana.lg.jp/kanko/modelcourse/course008-touken.html
・桑名市「村正生誕の地~走井山を歩く」 https://www.city.kuwana.lg.jp/kanko/tokushu/hashiriisan.html
・『精義百年史』(桑名市立精義小学校 創立百年記念会 編集発行、昭和50年)
・『桑名城下切絵図 ―文政8年城下絵図による桑名藩士居宅―』(桑名叢書Ⅳ、桑名市・桑名市博物館 編集・発行、令和4年)




