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歴史  |    2026.08.21

【三重県桑名市】「村正」に会える寺|佛眼院がひらく、地域の新しい物語【後編】

桑名が生んだ刀工(刀鍛冶)・千子村正(せんごむらまさ)。村正が作る「妖刀」と恐れられた刀は、徳川家にも伝来した名刀でした。佛眼院に眠る村正の墓と、住職が描く「開かれたお寺」から、刀のまち桑名のこれからが見えてきます。

〈前編〉【三重県桑名市】佛眼院|失われても戻ってくる、1200年の不思議なご縁

「村正(むらまさ)」と聞くと、どんなイメージがありますか。

徳川家にたたる、呪いの刀。
妖刀。
時代劇やゲームで、そんな風に描かれることもありますよね。

仏教の教えでは、刀がたたるという考え方はしないのだそうですが、妖刀伝説として語り継がれてきた物語も確かな村正の一面です。
妖しい(あやしい)刀剣。
どこか惹きつけられる魅力、気配。

それは桑名が誇る名刀。
まちなかのお寺で、静かに眠っていました。

村正」は桑名の誇りである。

写真提供:佛眼院

徳川家にも伝来した、村正

「村正は徳川家にたたる妖刀」というイメージは、江戸時代に広まった物語だといわれています。

村正とは、伊勢国桑名で活躍した刀工の名前、そしてその一派が作った日本刀の総称です。
刀は切れ味のよさで知られ、戦国武士たちに広く愛用されました。

たくさん作られ、世に出回ったのです。
だからこそ、徳川家の身近な事件にもたまたま村正が登場した、というのが実際のところのようです。

なにより、徳川家康自身が所持していたと伝わる村正の刀が、尾張徳川家に代々伝来しています。
「名刀」。
「妖刀」。
2つの顔を持つ刀は、家宝のように受け継がれてきました。

千手観音が授けた子「千子村正」

村正には、心あたたまる言い伝えもあります。

その昔、村正の母が、走井山(はしりいさん)の勧学寺(かんがくじ)に祀(まつ)られた千手観音さまに祈り、子を授かったのだそうです。

千手観音さまの子だから「千子(せんご)村正」。

桑名市も紹介している、この土地ならではの言い伝えです。
刀の名人の物語が、観音さまへの祈りから始まっていた。

桑名の信仰と、ものづくりの心が、重なるエピソードです。

昭和9年、土の中から見つかった「千子」の墓

写真提供:佛眼院

走井山と佛眼院、二つの寺を結ぶ縁

なぜ、村正のお墓が佛眼院にあるのでしょう。
その答えも、住職さんが教えてくれました。

かつて佛眼院は、走井山の勧学寺も管理していた時代がありました。
走井山は千子村正の名が付いた生誕の地。

「そのご縁で、村正のお墓がうちに造られたんじゃないかと思っています」

点と点が、すっと線でつながります。

伊勢新聞に残る、発見の記録

村正の墓には、確かな記録も残っています。
昭和9年(1934年)。
水谷長之助さんが、佛眼院の土の中から「千子(せんご)」と刻まれた墓石を掘り当てました。
墓石には「千子宗入禅定門 承応四年正月十六日」の文字。

このできごとは当時の伊勢新聞で報じられ、今も記事を確認することができます。
ただ、ひとつ補足を。
見つかったのは、初代村正その人の墓ではありません。
「千子(せんご)」は村正一族が名乗った姓。
この墓石は、村正の血を継ぐ後裔(こうえい)、千子新右衛門という人物のものでした。

では、初代村正の墓はどこへ。

実は、かつては村正一族の墓が、初代のものも含めて佛眼院にあったと伝わります。
けれども明治30年(1897年)頃、家が途絶えて無縁仏に。

その後、墓の多くは失われてしまったのだそうです。
残されたのは、土の中から顔を出した一族の墓石と、新聞記事の記録だけ。

それでも、名刀の血筋が、確かにこの地に生きていた。

一次資料とともに語られる村正の物語は、何より重みがありました。

2026年、村正の墓が「会いに行ける場所」に

写真提供:佛眼院

積み上げられた無縁墓の中に、埋もれていた

実は少し前まで、村正のお墓はお寺の中で探さないと見つからない場所にありました。
無縁になったお墓が、ピラミッド型に積み重なる一角。
看板もなく、文字も見えづらいものでした。

村正を慕って訪れた人も、「どこにあるんだろう」と境内をさまよっていたそうです。
宝物なのに、たどり着けない。
そんなもどかしい状態が、長く続いていました。

村正の墓の移設へ

写真提供:佛眼院

2026年、ついに転機が訪れます。
永代供養墓を新しくつくるのに合わせて、村正の墓を移すことになりました。

移した先は、佛眼院の横を通る、人通りの多い道沿い。
誰もが立ち寄りやすい場所へと変わりました。

この移設にかかった費用は、村正を想う、篤志家の方からの寄付でまかなわれました。
地域の人の手で、村正がようやく「表」に出てきた。

今こそ、会いに行けるようになったんです。

3月に完成し、移設された村正のお墓は凛とした空気に包まれています。

刀剣ファンが歩く、桑名の聖地巡礼ルート

桑名宗社の「眺憩楼(ちょうけいろう)〜Muramasa Museum〜」

近年、村正の墓を訪れる人が、静かに増えています。
きっかけのひとつが、話題のゲーム「刀剣乱舞ONLINE」。

実在の名刀をモチーフにしたキャラクターが登場する作品で、村正の刀をモデルにした「千子村正」も人気を集めています。
ゲームで村正を知り、本物のゆかりの地を訪ねて桑名へ来る人も。

佛眼院の近くである桑名宗社(春日神社)の境内には、村正の刀を間近で見られる「眺憩楼(ちょうけいろう)〜Muramasa Museum〜」もあります。
あわせて訪ねたいスポットです。

桑名宗社から佛眼院、そして桑名市博物館を巡る「刀剣ファン」の聖地巡礼ルートが自然とできあがっています。

葬式だけじゃないお寺に

写真提供:佛眼院

多くの人に長く寄り添える場所

このお寺がこんなに動いているのは、住職さんの存在が大きいから。

「相談しやすい、ってよく言われます」

私がお話させていただいた時も、確かにそうでした。
話しやすい雰囲気の住職さんに、相談される人が多いことも納得です。

たとえば、お墓や終活の悩み。
年配の住職さんには、かえって相談しづらいこともありますよね。

「自分より先に逝くかもしれない人に、相談しづらいって声も多くて」

若い住職さんだからこそ、長く寄り添える。
そんな安心感もあります。

写経をしながら、悩みを話せる場所に

「お葬式や法事をするだけじゃない、っていうお寺にしたいんです」
そう語る住職さん。

写経の合間に、ふと悩みを話せる時間。

「『相談会』ってなると、ちょっとハードルが高いでしょう。写経や写仏をしながら、自然に話せたらいいなって」
肩の力が、すっと抜けるような言葉です。

墓じまいのこと。
仏壇のこと。
お葬式のこと。

『こんなとき、どうしたらいいの?』と迷っている方も、写経を楽しみながらなら、すっと聞けそうです。

お寺は亡くなった人を供養するだけの場所ではなく、「生きている人のための場所」へと、少しずつ開いています。

このお寺なら、悩みを抱えた人も、そっと扉を叩けそうです。

御朱印、写経、匂い袋。そして春日神社とのコラボ

これからの佛眼院の新しい取り組みは、楽しみなことばかりでした。

御朱印。
写経や写仏。
香りを楽しむ匂い袋。

どれも、ふらりと立ち寄って体験できる催しとして構想が進んでいます。

なかでも注目は、桑名宗社(春日神社)とのコラボ御朱印の計画。
かつてひとつだった、お寺と神社。

その二つの名前が並ぶ御朱印を期間限定で出せないか、という相談が始まっています。

1200年の歴史が、令和にもう一度かたちになる。
御朱印好きにはたまらない、特別な一枚になりそうです。

シールお守りに、108枚の天井画の公開も

ユニークな構想も、まだまだあります。
たとえば、キラキラ光るシール式の「お守り」。

小さなお子様も喜びそうです。

そしてもうひとつが、本堂の天井画の公開。

実はこの天井画、描いたのはプロの絵師ではありません。
何も描かれていない本堂の天井を見て「寂しい」と感じた檀家さんが2年がかりで描き上げました。

その数、なんと108枚。

仏さま、花、鳥、鳳凰、そして十二支。
四隅には、比叡山延暦寺のお守り「角大師」も配されています。

108は、数珠の珠と同じ数。

狙ったわけではなく、偶然そろったのだそうです。
絵筆には供養の想いも込められていました。
まちの人の手から生まれた108枚が、これから多くの人の目に触れようとしています。

「お寺へ行くことが楽しみ」
そう思わせてくれる発想です。

お寺は、ちょっと敷居が高い。
そう感じている方こそ、足を運んでみてほしいんです。

住職さんが語る、これからのお寺

写真提供:佛眼院

「昔は、そうだったのにな」

住職さんが、ぽつりとこぼした言葉があります。

「お寺を、地域に開けた場所にしたいんです。昔は、そうだったのにな。」

かつて、神社やお寺は、地域の人が自然と集まってくる場所でした。
子どもの遊び場であったり、大人の井戸端でもある。
まちの真ん中に、当たり前のようにありましたよね。

しかし今は、人と人が気軽に交流できる場所は、少なくなっているのではないでしょうか。

だからこそ、今。

催しを通して、多くの人と人がつながれる。
そんな開けた場所にしていきたい。
住職さんの願いです。

お寺が、多くの人の居場所に戻っていく。
その光景が静かに思い浮かびます。

お寺を入口に、桑名のまちが動き出す

写真提供:佛眼院

村正でつながるのは、佛眼院だけではありません。

桑名宗社の眺憩楼 Muramasa Museum、桑名市博物館、そして走井山。
まちの宝物が、佛眼院を結び目に「巡る道」になっていきます。
ゲームから村正を知った人が、桑名へ来る。
その一歩が、まちに新しい風を吹かせていく。

「誰もが気軽に立ち寄れる、開かれたお寺にしたい」
住職さんの願いは、そのまま「開かれたまち」への願いと重なります。

焼かれ、手放し、それでも戻ってきたお寺。
佛眼院を訪ねることは、桑名というまちの記憶に会いに行くこと。

次の休日、少しだけ足をのばして。

あなたも、桑名の「戻ってくる物語」の続きを、見届けてみませんか。

お寺の情報

名称   寳興山佛眼院(ほうこうざんぶつげんいん)
宗派   天台宗
住所   三重県桑名市南魚町35番地
アクセス 桑名駅から徒歩約15分/三重交通バス停「寺町」下車 徒歩約5分
電話   0594-22-7668
参拝時間 9:00〜17:00
駐車場  あり(5〜8台)
護摩木  開堂時間内はいつでもご記入・お納めいただけます。(護摩木1本300円)
護摩焚き見学 毎月3日開催。どなたでもご参加いただけます。護摩堂の収容人数に限りがあるため、見学・ご参加をご希望の方は事前にご予約をお願いいたします。
御朱印  最新のお知らせは公式HPまたは公式Instagramをご覧ください。
公式HP    https://butsugenin.com/
公式Instagram https://www.instagram.com/butsugenin_kuwana

あわせて巡りたい

桑名宗社(春日神社)眺憩楼〜Muramasa Museum〜/桑名市博物館/走井山勧学寺

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※記事の内容は取材時(2026年6月)の情報です。イベント・御朱印などの詳細は変更になる場合があります。

【参考文献】
桑名市「刀剣をめぐる桑名旅」https://www.city.kuwana.lg.jp/kanko/modelcourse/course008-touken.html
桑名市「村正生誕の地~走井山を歩く」 https://www.city.kuwana.lg.jp/kanko/tokushu/hashiriisan.html
桑名宗社「眺憩楼~Muramasa Museum~」 https://www.kuwanasousha.org/muramasa-museum/
刀剣乱舞ONLINE 公式サイトhttps://www.toukenranbu.jp/character/063/
佛眼院の天井画108枚が完成(株式会社桑名中日サービスセンター発行紙)

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この記事を書いた人

伊藤みいり

40代管理栄養士ママライター。三重県在住、男の子3人を育てています。日々の家事や育児に奮闘しながら、無理のないシンプルな暮らしを実践中。地元・三重を中心に、子連れでも楽しめるお出かけスポットや、気軽に行ける穴場、地方ならではの魅力も積極的に発信していきます。家族で楽しい時間を過ごす工夫や、「笑顔の時間」を増やすアイディアをお届けします。

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