前編では「奇跡のバックホーム」の舞台裏を紹介しました。しかし、松山商業高校・元監督の澤田勝彦氏(以下、澤田氏)の真髄は勝利そのものではなく、野球の技術以上に「人としてどうあるべきか」という問いでした。
挨拶などの礼儀や、私立校との格差を埋めるための24時間の使い方など、日常の積み重ねが強豪校の土台を作ったといえるでしょう。後編では、1,000人を数える教え子に説き続けた「目標」と「目的」を履き違えない生き方など、人生の指針について深く掘り下げます。混迷する現代を生き抜くうえでも必要な「人間力」とは何かを解説します。
「目標」と「目的」を履き違えてはいけない

澤田氏が指導者として常に掲げてきたスローガンがあります。それが、「目標は全国制覇、目的は人間形成」という言葉です。この二つの言葉の順序と意味の違いに、成功の秘訣が隠されていると語ります。
「人間、目標だけ決めた人の93%は達成できないと言われとるんです。なぜなら、自分一人のための目標は長続きせんのよ。じゃあ、達成できる残り数%の人は何が違うんかというと、同時に『目的』を決めとるんです。
例えば、学生が『成績を上げたい』と思うのは目標。でも、それによって『母ちゃんを喜ばせたい』というのが目的。目的のためにやろうと思えば、自ずとして目標は達成できるもんなんです。野球も同じ。
甲子園に行くのはあくまで手段であって、本当の目的は野球を通じて立派な人間になること。この『目的』が揺るがなければ、苦しい時でも踏ん張れるんです」
澤田氏自身が「目的」を重視した指導を続けてきた結果、自ずと全国制覇という目標にたどり着いたと振り返ります。
「日本一のボール拾い」に宿る感性の磨き方

澤田氏の哲学を象徴する言葉が、「日本一のボール拾いになれ」という教えです。1,000人を超える教え子たちに伝え続けてきたこの言葉には、単なる謙虚さの推奨を超えた、深い「感性」の磨き方が込められています。
「野球は力だけの勝負じゃない。洞察力とか感受性とか、そういう感性が必要。だからこそ、普段から『目配り、気配り、声配り』をしろと言い続けてきました。道にゴミが落ちとれば拾う。道具を大切にする。一見、野球に関係ないような地味なことに真剣に心を注ぐ。その積み重ねが、土壇場での一瞬(勝機一瞬)を掴む力になるんです」
澤田氏は、挨拶一つとっても「感性の交換」であると説きます。
「挨拶は感性の交換なんです。こっちがおはようと言って、相手がどう感じるか。感性がない選手は挨拶をおろそかにする。イコール、挨拶ができるようになれば感性が豊かになるということです。礼儀として形だけする挨拶には意味がない。気持ちを込めた挨拶ができるようになれば、自ずと野球のプレーも変わってくるんです」
損得ではなく「善悪」で接するリーダーシップ

「鬼の澤田」と恐れられた澤田氏の指導には、厳しさの裏に絶対的な公平さがありました。それが「損得ではなく善悪で接する」という信念です。
「私自身が控え選手だったからこそ、監督になった時に『レギュラーも補欠も関係ないわい』という思いを持って接してきました。レギュラーだろうがエースだろうが、怠慢なプレーをした時は許さなかった。逆に、試合に出られないレベルの選手でも、真剣にやっとる選手はしっかり見てやった。損得ではなく、善悪で判断する。それが一番のこだわりでした」
この一貫した姿勢が、チームの信頼関係の土台となりました。

「引退した後、教え子に『何でお前ら、こんな厳しい俺についてきてくれたんや』と聞いたんですよ。そうしたら間髪入れずに、『監督はレギュラーも補欠も分け隔てなく接したでしょう。だからみんなついていったんですよ』と言ってくれてね。ああ、自分が長年思い続けとったことが間違っていなかったと、答えが出たような気がしました」
澤田氏にとって、補欠だった選手が卒業式で涙を流して感謝を伝えてくれることこそが、最大の財産であり、「監督冥利に尽きる」瞬間なのです。
「平等な24時間」の戦略――公立が私立に打ち勝つ唯一の道

強豪私立校との差を埋めるために澤田氏が提唱したのが、「24時間の使い方の意識改革」です。公立校である松山商業が全国の頂点に立つためには、物理的な制約を精神的な集中力で超える必要がありました。
練習のほか、授業中や家でバラエティ番組を見て「この人たちが成功するまでの過程」を感じ取ることさえも、野球につなげる「感性の修業」だと選手に説いてきた澤田氏。
「起きている間はすべてを野球につなげろ。それを積み重ねていかないと、物理的な環境で勝る私立には絶対に追いつけない」と強い意識を植え付けることで、公立校としての誇りと勝利を引き寄せたのです。
部室に掲げられた「辛」迷いを断ち辛抱を花にする

松山商業の部室には、澤田氏が設置した文字が掲げられています。縦棒が異様に長い「辛」です。
「辛いという字の縦棒を長く書いた『辛抱(しんぼう)』。辛いという字に一本棒を足せば『幸せ』に近づく。『辛い時こそ辛抱の棒を長く持てば、いつか大輪の幸せに変わる』。これを選手たちが毎日目にする場所に掲げました。人生の苦境も同じ。必死になって続けることで景色が変わり、困難の先に大輪の花が咲くんです」
現代を生きるあなたへ:人と比べない勇気

澤田氏は現代を生きるすべての人、特に何かに悩み、立ち止まっている人々へ力強いエールを送ります。
「悩みを持つ大元は何かと考えた時、常に人と比べないことが大事なんじゃないかと思うんです。自分の思い、行動に対して、『自分は自分』という軸を持てば、迷いは解消される。人と比べるから、不平不満が出るんです」と澤田氏。
「また、常に感謝することも大切です。厳しい状況に置かれても、『自分が成長するための試練だ』と感謝できるかどうかで運命は変わってくる。苦しい立場に追い込まれた時、人は人からも自分からも逃げたくなるけれど、逃げずにごまかさなかった人間は、最後には必ず笑えます。野球を通して培ったこの『生きる力』を、一人でも多くの人に感じ取ってもらえたら、私自身も嬉しいことですね」
最後に

後編では、澤田氏が42年間の指導で一貫して掲げた「目的は人間形成」という哲学の真髄に迫りました。部室の「辛」の文字が象徴する、辛抱を糧にする生き方は、現代を生きる私たちに普遍的な「生きる力」を提示しています。
人と比べず、今この一瞬を実直に積み重ねる澤田氏の教えは、困難な時代を歩むための確かな指針となるはずです。




