「作業療法士」と聞いて、どんな仕事をイメージしますか。多くの人は病院や福祉施設でのリハビリを思い浮かべるかもしれません。しかし、愛知県蒲郡市で活動する作業療法士の市川しょうこさんは、少し違った形で専門性を発揮しています。
市川さんが主宰するのは、離乳食や発達の段階など育児に心配ごとのあるママたちが集う「赤ちゃんおやこ教室わたげ」です。食べることと発達の両面から「子どもの食」を専門に地域の親子を支え続けてきました。なぜこうした活動を始めたのでしょうか。その歩みと想いを聞きました。
ママの不安を和らげる、離乳食相談
ある平日の午前、市川さんの活動を見させてもらうため、蒲郡市の小江(こえ)公民館を訪れました。行われていたのは、公民館主催のママ向けイベント「赤ちゃんひろば」。「離乳食と発達の専門家」として招かれた市川さんが、子育ての不安や悩みを抱えるママたちの相談に応じながら、交流の場をつくっています。

この日集まったのは、6組の親子。市川さんが育児の困りごとをアドバイスするほか、赤ちゃんの五感を刺激するカラフルな布やボールを用いた遊びの時間も設けられました。赤ちゃんたちは寝転がったり、興味のあるほうへ歩いたり、自由に過ごしています。ママたちはわが子を目で追いながらも、リラックスした様子です。
打ち解けた空気の中で、ママたちから日頃の悩みが少しずつ語られていきます。「うちの子は食事のときに席を立ってしまうんです」と1歳3ヶ月の子を持つママが離乳食の悩みを話し始めました。「私が食事の準備をしていて動き回っているからですかね?」そのママが自分なりの考えを市川さんに投げかけます。
「そうですね。ママがごはんの準備をし終わってから、座らせるといいですね。お子さんが食べ終わるまで、ママは隣で見守ってあげてくださいね」。笑顔でやさしく答える市川さんの言葉に、相談したママは安心してホッとした様子でした。

その他にも、食べ過ぎではないか心配、食事中にお皿やスプーンを投げて困るなどの相談も。市川さんはどんな悩みにも丁寧に向き合い、ママたちが自然と話したくなる和やかな雰囲気をつくります。相談を終えたママたちは、来たときよりも明るい表情で帰っていきました。
育児書に頼らない、わが子の発達に向き合える教室

市川さんが主宰する「赤ちゃんおやこ教室わたげ」は、生後1ヶ月から歩き始めの頃までの赤ちゃんとママを対象に、離乳食期の食べ方や発達について学べる教室です。食べ物を噛まない・食べない・座れない・発達がゆっくりなど、育児の心配ごとを抱えるママたちが集まり、市川さんと一緒にわが子に合った関わり方を探ります。
教室の内容は、参加する赤ちゃんの発達程度などに応じて毎回アレンジされます。その日の悩みをその場で聞いてもらえる「個別プチ相談」、手や口の感覚を刺激することで食べる力につなげる「感覚遊び」、実際の食事場面で離乳食の進め方や食べさせ方を一緒に確認する「親子のランチタイムでの離乳食支援」など、食と発達に関わる学びが詰まっています。
参加者の悩みはさまざまです。「丸のみしていないか心配」「上の子が食べられずに悩んだ経験があるから、下の子は丁寧に関わりたい」など、ママたちは発達への関心が高いからこそ、不安もまた大きいようです。
離乳食期は、生涯続く「食べる力」を育む大切な時期です。ミルクを飲む・おもちゃを口に入れる・座るなど、赤ちゃんが日々積み重ねるこうした行為が、すべて食べる力の土台につながっています。だからこそ、わたげでは、赤ちゃんの成長や発達の中での心配ごとを丁寧に拾い上げて、解決に導く支援を行っているのです。

「わたげ」という名前には、市川さんの深い願いが込められています。
「優しく包まれていたたんぽぽのわたげは、ひとつずつ風に乗って飛んでいき、大地に根を張り育っていきます。そんなわたげのように、乳幼児期にママやパパの愛情に包まれて育ったお子さんたちが、親元を離れてもそれぞれの場所で活躍していってほしい。そんな願いを教室の名前に込めました」

参加するママたちは、育児知識が豊富な方や、2人目以降のお子さんを育てている方が多いそう。いまや子育ての情報は、ネットや書籍など世の中にあふれています。しかし、SNSや育児書に載っている情報が、自分の子どもの状況にぴったりと当てはまるとは限りません。だからこそ教室で学ぶことで、食事中の声掛けやスプーンの使い方など我が子に合った対処法を見つけられるようになります。市川さんは、これまでに何度もママたちの不安や迷いが自信へと変わっていく瞬間を見届けてきたそうです。
地域に発達の相談の場を。子ども専門作業療法士への道
市川さんの原点は、保健室の先生だった母のそばで、健康や医療を身近に感じながら育った幼少期にあります。その影響から医療系への進路を考える中で出会ったのが、作業療法士という仕事です。
作業療法士が支援する「作業」とは、食事・入浴・仕事・地域活動など、人の日常生活に関わる全ての活動のこと。その人らしい生活を支えるという仕事の在り方に惹かれ、「この仕事をしたい」と進路を決めました。藤田保健衛生大学(現:藤田医科大学)リハビリテーション学科へ進学し、卒業後は大学病院で成人の脳卒中後のリハビリを担当。2015年まで7年間勤務し、出産を機に退職しました。

ところが、育児生活は順風満帆ではありませんでした。長男が1歳半を迎えた頃、穏やかだった生活に陰りが差し始めました。市川さんは当時の心境をこう語ります。
「長男が同じ言葉しか話さず、言語の発達が遅れていると感じるようになりました。地域の相談窓口に行ってみたのですが、『大丈夫ですよ』と帰らされてしまって……。不安が募る日々が続き、精神的に不安定になるまで追い込まれてしまいました」
それでも市川さんは前を向きます。「誰かに頼るより自分で学んだほうが早い」と思い立ち、オンライン勉強会やセミナーに参加して、子どもの発語が遅れる要因や神経発達症(発達障害)に関する勉強を始めました。
こうして子どもの発達への関心が高まる中、長男の通う保育園の園長から、「蒲郡市児童発達支援センターが作業療法士を探しているから、働いてみたらどう?」と声がかかります。この縁から、2019年からパートとして勤務し、2歳から5歳の子どもの療育に携わるようになりました。

現場で親子と向き合ううちに、市川さんはある課題意識を抱くようになります。それは、発達に特性のある子どもを育てるママの中には、強いストレスを抱え、つい感情的になってしまう人が多くいるということです。
「ママが子どもに怒りや焦りをぶつけてしまう姿を見て、もどかしい気持ちになりました。赤ちゃん時代からずっと抱えていたモヤモヤが、5歳を迎える頃には怒りへと変わってしまうんだと思います」
こうした現実を目の当たりにして、ある考えが市川さんの頭に浮かびます。「発達に遅れや違和感がある子どもを持つママやパパが、身近に相談できる場はまだまだ少ない。それなら、私がその場をつくればいいんだ」。この気づきが市川さんを新たな一歩へと突き動かしました。
思い描く支援を実現するには、子どもの発達や食に関する専門性をもっと深めなければならない。そう感じていた市川さんのもとに、思いがけない声がかかります。隣町の歯科クリニックが発達と食べることの支援に力を入れており、院長から、「作業療法士として勤務しませんか?」と誘われたのです。歯科での仕事内容は大きく分けて2つ。子どもの身体と心を育てる感覚あそびの個別セッションと、食べることに必要な機能に課題がある子に対する摂食訓練です。院長の理解と後押しもあり、勉強に充てる時間も確保できるようになりました。こうして、市川さんは歯科で専門性を磨きながら、地域の親子のための活動の準備に取り組み始めました。
食べ進めにくい背景にある「感覚」。作業療法士だから見えるもの

そして2024年、地域の親子のための食と発達の相談活動をスタートさせました。募集はInstagramやLINEから。未就学児のママやパパを対象に、自宅訪問の対面またはオンラインで相談にのります。
赤ちゃんが離乳食に興味があるのに数口で食べるのをやめてしまう、口に入れるもの全てを嫌がる、食べ物を詰め込みすぎて心配など、寄せられる相談はさまざまです。市川さんはその子の様子を丁寧に観察したうえで、睡眠や授乳間隔の見直し、静かな環境にするなど、ベストな対応策を伝えます。
「作業療法士だからこそできる食の支援があるんです」と市川さん。その理由をこう語ります。
「作業療法士は身体・心・行動を総合的に捉える専門性があります。赤ちゃんが食事をする様子から、性格や体の使い方はもちろん、音や光を強く感じすぎる感覚過敏なのか、刺激に気づきにくい感覚鈍麻(どんま)かといった感覚の受け取り方までわかるんです。
たとえば、赤ちゃんが食べ物を丸のみしてしまうというご相談では、よく観察してみると、口をモゴモゴして噛む様子が見られました。その子は噛む機能が弱いのではなく、感覚が鈍いために口にたくさん食べ物を入れないと感じられなかったんです。口の感覚は心の発達ともつながっているので、食事面だけでなくコミュニケーション面でのサポートも必要だと判断しました」

現在市川さんは、地域の親子支援と並行して、助産師や保育士など専門職向けの研修活動も行っています。2024年6月には、名古屋市のもりかわ母乳育児相談室にて、「運動発達×離乳食講座」を開催しました。このときの受講者はほとんどが助産師。なぜなら、産後ケアが公的な事業として確立されるなかで、助産師が離乳食や栄養について親から相談を受ける機会が増えているからです。これまでの専門知識だけでは対応しきれない場面も出てきており、新たな視点を学ぶ必要性が高まっています。「専門職のみなさんが、自分の専門とは異なる視点を学ぶことで、その先にいる親子をもっと助けられる」と市川さんは考えています。

ひとりの専門家では届かない場所へ。専門家チーム「うみはぐ」誕生

作業療法士は、身体・心・行動を横断して支援できる、守備範囲の広い専門職です。それでも、赤ちゃんの育ちに関わる悩みは、一人の専門家だけで解決できるほど単純なものではありません。授乳や口腔機能、産後のママの体など、それぞれに異なる専門知識が必要です。市川さんは、個人で活動を続けるなかで、異なる分野の専門家が連携する必要性を強く感じるようになりました。
そうした思いから生まれたのが、専門家チーム「うみはぐ」です。作業療法士の市川さん、歯科衛生士さをりさん、助産師かおりさん、看護師さきさん、愛知県の海沿いの市で活動する4人の専門家が集まりました。チーム名の「うみ」は「海×産み」、「はぐ」は「育み×hug(抱きしめる)」を意味します。赤ちゃんたちの健やかな育みを支え、ママの気持ちに寄り添いたい。そんな温かな想いが込められています。
授乳がうまくいかない、口がぽかんと開いたままになる、頭の形が歪んで向き癖がある。こうした悩みは、複数の専門分野が絡み合って引き起こされています。だからこそ、4人それぞれの専門性を持ち寄ることに意味があるのです。
月1回、全4回で開催している「0歳からのまるごと育児クラス」では、「向き癖×頭の形」「授乳×お口」など、単独の専門職では完結しないテーマを掛け合わせて解説します。前半はミニ講義で知識を深め、後半は少人数グループでの相談タイム。ひとつの悩みに対して複数の専門家がそれぞれの立場からアドバイスするので、自分の子どもに合った関わり方が見つかります。実際、ママが関わり方を変えたことで、赤ちゃんが元々持っていた力が引き出され、体をうまく使えるようになったケースもあるそうです。
発達の悩みを抱えた親子が、孤立しない環境をつくりたい

教室やチームでの活動を通して、市川さんのもとには前向きに育児を頑張りたい、発達について誰かに頼りたい親子が集まるようになりました。口コミで輪が広がり、「もっと早く知りたかった」と声をかけられることもあります。
しかしその一方で、気がかりな現実もあります。乳幼児健診で「経過観察」と言われたものの、その後どこに相談すればよいのかわからず、不安を抱えたまま過ごしているママやパパが少なくないことです。
「発達について相談先がないママやパパに、頼ってもらえる存在になりたいんです。だからこそ今後は、行政との連携をさらに深めていきたいと考えています」と市川さんは言います。健診後の相談の受け皿となり、必要な支援へとつないでいく。現場で親子と向き合い続けたからこそ見えてきた課題に、次の一歩を踏み出そうとしています。

市川さんが屋号としている「sitoa(シトア)」はフィンランド語で「つなぐ」という意味です。「社会の中でつながっていく」という想いが込められています
発達のペースや食べ方には、一人ひとり違いがあります。その背景には、神経発達症(発達障害)や感覚・身体機能の特性が関係していることも少なくありません。子どもの「やりにくさ」を理解し、それぞれに合った関わり方を続けることで、少しずつ育ちやすくなっていきます。
離乳食を食べないことも「わがまま」だけではなく、口の動きや姿勢、感覚の受け取り方など、身体の育ちが影響している場合があるのです。安心できる関わりの中で、「食べたい」という気持ちが育っていくこともあります。
「うちの子、大丈夫かな」と感じたとき、一人で抱え込まずに専門家に相談することが大切です。小児科の発達外来、児童発達支援センターや療育施設、市区町村の子ども家庭相談窓口や保健センターなど、頼れる場所は身近にあります。
「大きくなれば自然に解決することもありますが、早めに相談するほどその子に合った関わり方の選択肢が広がります。まずは、一度専門家に相談してほしいです」

最後に、市川さんは地域の親子に思いを馳せながらこう語ってくれました。
「地域の親子が集まれる場をつくっているのは、ママやパパ同士でつながってほしいからです。他の方の悩みを聞くことで、『悩んでいるのは自分だけじゃない』とずいぶん気持ちが楽になります。一人で抱え込まなくていい、そう思えることが大切だと思います。
そして、地域に気軽に相談できる場所があることも知ってほしいです。私から悩みに合った専門家につなぐこともできます。育児の中でちょっとした違和感や不安を感じることがあったとき、頼ってもらえる存在であり続けたいです」




